転校生の変化していく立場(4)
「これは立派な暴力よ!」
手に持っていた箒で一度、地面を叩く。
穂体で叩いたせいで音に迫力は無いが、その動作だけで、灯が怒っているのは十分に伝わる。沼上を攻撃していたグループは、どこか気まずそうに視線を逸らした。
「ったく……うっせぇなぁ」
松来以外は。
彼は立ち上がり、そのまま真正面から灯を見下ろし睨みつける。
「は? なによウルサイって。そうやって真面目に掃除している子に暴力振るってるんだもの。止めるに決まってるじゃない」
普通の女子ならそれだけで竦み上がりそうなその視線を、彼女は怯むことなく、逆に力強い瞳で見つめ返す。
「大体中学生にもなってそんなガキっぽいことして。恥ずかしくないの?」
「ガキっぽい? はっ、バカじゃねぇの? これのどこがガキっぽいんだよ」
「一方的な暴力を振るってることがよ」
「んなもん、コイツが抵抗しねぇのが問題なんだろ。イヤなら抵抗しろってんだ。ガキっぽいってんなら、むしろオレに好き勝手されたままのコイツだろ? っていうか、なんも抵抗しないってこたぁ、コイツもオレにこんなことされるのを望んでるってことだ。それの何が問題だってんだ」
「相手を傷つけておいて……問題ない訳ないじゃないっ!」
「だから、イヤだったら抵抗してこりゃいいのに、こいつが何もしないんだろうがっ!」
互いに感情的になり、自然と語気が強くなる。
ただ灯とは違い、松来だけはいまだうずくまったままの沼上くんの腹を、全力で蹴り上げた。
「がぁっ……!」
「なっ……! 大丈夫っ!?」
吐き出しそうな声を上げた沼上の様子を、しゃがんでまで窺う灯。
蹴られた場所を押さえ、苦しそうな呻き声を上げるだけの彼を見て……ついに、感情が抑え切れなくなった。
「松来くん……! 暴力はダメだって話してる途中だよねっ!?」
「だからっ! これがこのクラスでは当たり前なんだよ! いい加減分かれよ転校生がっ! いっぺん殺すぞボケがぁっ!」
「っ!」
本当にやってきそうなその言葉に、さすがの灯も少しだけ怯えてしまう。
けれども、睨みつける視線を全く濁らせない。
ここでその怯えを見せてはいけないと、分かっているのだろう。
「おい、さすがにそれは……」「そうだよ。止めた方が……」「なんかヤバいしさ……ね?」
その本気の空気を彼のグループまでもが察してか、さすがに止めに入ってきた。
「……ちっ……!」
それで白けてしまったのか、彼は一つ舌打ちをする。
先程までの怒気は霧散し、残っているのは燻るような苛立ちだけのようだった。
「しらけちまったな……ま、お前はこのダニみたいなヤツが大好きなんだからしゃあねぇわなぁ」
「…………」
「……ちっ! マジでしらけた。ちょっとは反応しろよ正義女。マジ寒いわ、お前」
その捨て台詞を教室に残し、その場を去ろうとする。
灯を気にし戸惑いながらも、松来のグループも彼の後に続く。
「待って」
そんな彼らを、灯は止めた。
「あん?」
「沼上くんに謝って」
「はぁ?」
「蹴ったことを、謝って」
その、余計とも取れる一言でまた、互いに睨み合う。
しゃがんだままの灯を、ただただ静かに睨む松来のその表情からは、心の中が読み取れない。
ただ灯は、止めてからようやく、教室全体の空気が静まり返っているな、と気がついた。
互いに感情を言葉に乗せてぶつけた時から満ちていたその空気。
前の学校ではこんな時、心配したり、尊敬したりといった視線が自分に向けられていたな、と思い出していた。
そんなことを思い出すものだから、今もきっとそうに違いない、なんて、間違えた結論を出してしまっていた。
「や……べ、別に……いいから」
お腹の痛みが引いてきたのか。
沼上が座り込みながら、遠慮がちに言葉を口にする。
「良くない。謝罪して、それで手打ちにしないと」
「ほ、本当に……大丈夫だから」
間違えている結論を既に出してしまっている灯には、その沼上の言葉は、ただ遠慮しているだけにしか聞こえない。
本当に、余計なことをしないで欲しいと思っている彼の感情に、気付きもしない。
「……くそが」
口元だけを動かすように呟き、立ち去ろうと背を向けていた松来が、沼上の元へと歩み寄る。
沼上が、その近づいてくる彼に、恐怖の視線を向けていることにも、気づかない。
正しいことをしていたら、相手も分かってくれる。
これは前の学校でも、この学校でも変わらない。
自分が悪いことをしていたんだと分かれば、気まずいながらも、謝り辛いと思いながらも、強制されたことだと思いながらも、謝って……それから少しはきぐしゃくするかもしれないけれど、それでももう、争うことは無くなって――
「悪かったな。沼上。いつもみたいにしてやれなくて」
そんな、平和ボケしたような間抜けな考えを嘲笑うかのように、松来は制服のポケットからナイフを取り出して、沼上の太ももに深々と突き刺した。
「が、ああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーー……!」
沼上の、痛みに震える絶叫が響く。
「……………………えっ?」
その光景を灯は、呆然とした目で見ていることしか出来なかった。
刃が突き刺さった箇所から血が滲み出て、謝ったはずなのに人を傷つけて、刺された箇所の周りを押さえるようにして、痛みを堪える声が漏れ出ていて……。
混乱した頭では、何が起きているのか分からなかった。
「バカかっての。謝るわけねぇじゃん」
おかしそうに笑いながら、その異物を抜き取る。
血飛沫が、沼上のすぐ傍にいた灯の顔に、手に、脚に、制服に、かかる。
教室の木板が、赤黒い水溜りの色に染まっていく。
いくつもある同じようなシミを、また新たに作っていく。
「え……? えっ??」
自分の考えと真反対の出来事が、今目の前で繰り広がっている。
「なんでもそうやって解決すると思ったら大間違いだっての」
まだ呆然としている灯を小バカにする松来。
そして今度こそ彼はグループを引き連れて、教室を出て行った。
「……………………」
さすがに、今度は引き止めない。
いや、引き止められる精神状態じゃなかった。
何が起きたのか。何をされたのか。
それをようやく――クラスが、いつもの喧騒を取り戻してきた頃にやっと、理解出来てきて……。
クラスメイト全員が、いまだ刺された場所を押さえ痛がる声を堪えている沼上を無視して、再び自分達の喧騒を繰り広げているなんて、これまた理解出来ない空間が出来上がっていて……。
誰も、彼を助けようとは、していなくて……。
保健室に連れて行くことすらも、心配そうに駆け寄ることすらも、していなくて……。
「…………なんで……?」
灯自身でも自覚なく漏れた呟き。
それはまさに、混乱する彼女の心情を、的確に表した一言だった。
◇ ◇ ◇
「おかし過ぎるだろ、あの転校生。『前人間』ってのは皆ああなのか?」
その日の放課後。
いつものように空き教室でゆかりから勉強を教わっている間の休憩時間。
つい先程と言っても差し支えないほど前に起きた出来事が、自然と葉柄の口からついて出た。
「あのまま黙って見送ってりゃあアイツが刺されることも無かっただろうによ。わざわざ引き止めて謝れなんて、尋常じゃねぇよ」
あの時のクラスメイトの視線は全て、葉柄と同じものだった。
どうして引き止めたのか、なんであんなヤツを庇うのか、どうしてそんな行動を取っているのか……。
端的に言えば、クラスの皆が灯を、バカを見るような目で見ていた。
「う~ん……確かに余計な一言だったかもね~」
答えながらゆかりは、自らの水筒を傾け蓋のコップへとお茶を注ぎ、ソッと口に当て静かに飲む。
「でもま~、『前人間』がどうというより~、アレは木林さん自身の性格なんだと思うな~」
「正義バカってことか?」
「正義感が人一倍強いってことだよ~」
飲み終えたコップを水筒の上に被せ、蓋としてキュッと締める。
「『前人間』だなんてバレたら~、それこそ“殺すぞ!”の一言で身動き取れなくなるでしょ~? それなのに~、バレるリスクを犯してまでああして人助けをするんだから、すごいよね~」
普通の人間である彼らクラスメイトは、何をされてもどんな怪我をしても、〇時を過ぎれば回復するし傷も治る。
だからそんな脅しは通用しない。
だが『前人間』の灯は違う。
傷つけられれば回復にだって時間が掛かるし、一度殺されれば死んでしまう。
結局あの出来事の後、灯が一人肩を貸して保健室へと連れて行った沼上とは訳が違う。
深々と突き刺されたせいで出来たその傷が、翌日に完治していることなんてない。
それなのに彼女は、殺されるかもしれないことを率先して行った。
その勇気は確かにスゴい。
「……いや、だったらやっぱりおかしいじゃねぇか。それだったら余計、あんなヘタレを助けることもねぇだろ」
庇えば庇うほど、攻撃されるリスクが高くなる。
攻撃されてもし死んでしまえば、それまでだ。
だったらあんな危険な場面、無視するべきだろう。
まして攻撃されていたのは、死んでも大丈夫なのに特攻一つかけない無反撃のドへタレ野郎。
あんな根性なしをそこまでして庇う理由なんて、一つも無い。
「だから、正義感が人一倍強い、ってことだよ~」
そんな葉柄の考えを読み取ってのゆかりの言葉に、彼はなんとなく疑問を口にした。
「もしかしてゆかり、転校生のこと嫌いじゃなくなったのか? さっきからやけに擁護してるみてぇだけど」
「まさか~、キライなままだよ~。今日みたいに~、自分の正義のために本来助けようとした人を傷つけることになるってのを想像できない人はね~。でもさ~、社会に出たら~、たぶん木林さんみたいな生き方が正しいと思うんだ~」
「えぇっ!?」
「あっ、正義を振りかざすって部分じゃなくてね~……う~ん……ほら~、会社で働いている人を殺して~、その人の仕事を差し止めて~、そのせいで会社が潰れちゃったりしたら~、殺した人が罰せられるでしょ~?」
「そうらしいな」
応えながら、勉強を教えてもらい始めた最初の頃にゆかりから出された小テストを思い出していた。
「だから大人になったら~、なんでも暴力で解決すれば済む、ってことはなくなると思うんだ~。で、木林さんってね~、言うことを聞かせたいからって、暴力に訴えたことが一度も無いんだ~。少なくとも、この学校に来てからは、だけど」
「つまり、社会で生きていくためには、それを見習わないといけねぇってことか」
「うん~。まぁ今は、『前人間』を理解していない感覚を利用してるだけで~、木林さんの実力とかはないと思うけれどね~」
だからそういうのを無しに自分の言い分を通せるようにならないといけないかな~、と呑気な顔をして、ゆかりは言った。




