ステマ 19
「これ洗うのかよ? うんざりだな」
幽霊騒ぎの翌日。その放課後。昨日の夕方とは打って変わった陽光まぶしい屋良堰田高等学校の家庭科室。
調理台の上に外され並べられた換気扇のプロペラ部。ずらりと並べられたそのプロペラは、自己犠牲の塊のように油まみれの姿を見る曝している。
吾斗廣告はその粘液質な油をねっとりまとわりつかせたプロペラを見下ろし、うんざりと唇を歪めて呟いた。
「外は楽しい部活や帰宅の放課後。俺らは悲しい罰ゲームってか」
廣告が家庭科室の窓から外を覗き見る。
そこにはグラウンドを走り回る生徒とその一角で人だかりができているのが見えた。
廣告はしばらくそちらを見つめた後に家庭科室に目を戻した。
家庭科室には科学部でクラスメート、昨日の騒ぎに同行していた桐山花梨が何故か目を輝かせている。
花梨は相変わらず制服の上から白衣を身に羽織っていた。花梨の足下にはバケツが置かれておりその中に水がはられていた。
「何だよ、桐山? 罰当番ってのに、ヤケに嬉しそうだな?」
「今こそ科学の力を見せつける時がきたのです。そう、私の科学力をお見せする時がきたのです」
「そうかよ。張り切ってるのはいいことだ」
「そうです。ところで、何故私たち二人と、菊池先生だけなんですか?」
花梨が周囲を見回した。
家庭科室には廣告と花梨、それにイスに座ってこちらの様子をうかがう家庭科の菊池の姿しかなかった。昨日の騒ぎの罰当番なのに、その言い出しっぺのステマや、一番ノリノリだった魅甘、巻き添えを食らった形の一途の姿が見当たらない。
「桐山さん。吾斗くん。お掃除お願いね……できれば私の心の垢も落としてね……」
花梨と目が合った菊池が力なく手を振ってくる。
「ステマ達は放課後の購買部活動。今日は放課後のミニライブの日でな。ステマも香川も、御崎もそっちに行ったよ。『クラス委員長として、こっちの監視が重要ですわ』とか言ってな。御崎のヤツも調子がいいよな」
「むむ。神輿先生に何か言われないのですか?」
「最終的に換気扇さえ奇麗なら、幽霊も文句言わねえだろ? 結果は一緒なんだから」
「なるほど、私の科学力をお見せする人が少ないのは残念です」
「何だ? 換気扇の掃除ごときで、ずいぶんと大げさだな」
「ふふん。換気扇の汚れには科学的に立ち向かうべきです。私が科学の偉大さを教えて差し上げましょう! この科学物質で!」
花梨はその少々吊り目な目を今一度輝かせて白衣のポケットから何やらプラスチックの容器を取り出した。
「何だそのいかにも薬品が入っていいますという感じの実用的な容器は? てか、なんて読むんだ?」
そこに貼られたラベルを見て廣告が眉間を寄せる。
「これが読めないのは、吾斗くん。ちょっと君の国語と科学の成績が心配です」
「うるせえ。ほっとけ」
「これは『苛性ソーダ』と読むのです」
花梨が容器を軽く振りながら自慢げに頭上に掲げる。その特徴的な吊り目はきらきらと輝きその下に続く頬はほっこりと紅潮していた。
「苛性ソーダね……プルッツェルとかのお菓子のつや出しに使うこともあるわ……見た目がよくなるから、家庭的な印象を与えるのに重宝するのよ……でもそんなに苦心して作っても、『そんなのよりコンビニのお菓子買ってこいよ』って一言に吹き飛ぶのよね……」
菊池が暗く遠い目を床に落としながら呟いた。
「そうッスか、先生……てか、お前ホント、楽しそうだな」
死人のような遠い目で床を見つめる菊池と、生き生きと瞳を輝かせて頭上に薬品を掲げる花梨。その対照的な二人を見比べながら廣告が呆れたように鼻を鳴らす。
「ふふん。当たり前です。これは何と言っても医薬用外劇物――」
「げ、『劇物』!」
「そうです。苛性ソーダは油脂汚れに科学的にうってつけなのです。強いアルカリ性を持つこの苛性ソーダは、科学的な成分から言えば純度99パーセントの水酸化――」
「『劇物』とやらを、嬉しそうに語るな! 普通に洗剤貸してくれよ!」
何やら語り出した花梨に廣告が割って入る。
「むむ、苛性ソーダは印鑑もっていけば薬局でも買える比較的身近な物質なのです。下手な洗剤よりも、苛性ソーダで洗った方が換気扇の汚れは取れるんです」
「そうかよ。だが、そんなもんでも劇物とか勘弁だよ。何だよ、昨日の怪しげな酸といい、その劇薬といい。何気に薬品が出てくるお前のポケットはどうなってんだ?」
「歩く薬品っ娘とは私のことです。科学準備室には、もっといっぱいあるのです。奇麗な鉱物とか。珍しい金属とか」
「そうかよ。幸運をもたらすのパワーなストーンとか。霊験あらたかな貴金属とかあったら、譲ってくれ」
「パワーなストーン……貴金属……」
廣告が何気なく口にした言葉に菊池の耳がぴくりと動いた。
「そんなものはないのです。では」
その菊池の様子に気づかず換気扇の油を無きものにせんとか花梨が嬉しげにそのフタを開ける。同時にポケットから計量も兼ねているようなスプーンも取り出した。
「大丈夫なんだろうな?」
「水に溶かして使いますが、水に溶かすと発熱するので一度に大量に水に入れるのはダメです。直接触るのもダメです。揮発した空気を吸うのもダメです」
花梨が楽しげに苛性ソーダをスプーンですくう。そして足下のバケツに少しづつ溶かし始めた。
「ダメダメ尽くしじゃねえか」
「でも、頑固な油汚れはすぐ落ちます。私が科学的に扱えば大丈夫なのです。では準備をするので、待っていて下さい」
「そうかよ。さて――」
花梨の準備を他所に廣告がもう一度窓の外に目を向けた。
ステマが全体集会などで使う野外の演説台に立って皆に手を振っているのが見える。そのステマを取り囲むように生徒達の輪が広がっている。男子生徒を中心とした人だかりだが、女子生徒の姿もちらほらと見える。そして数える程だが教師の姿も見えた。
「一応女子人気もあるよな。こうして客観的に見ると。まあ、やっぱり特定男子の方が圧倒的に多いけど。あーあ。ペトペトさんまで、ノリノリで手を振ってやがる。アイツ授業以外で女子と話せたのが、そんなに嬉しかったのか?」
遠目にも分かる脂肪を震わせて古文の子安が生徒に混じってステマに手を振っていた。子安が手を振るたびにたるんだ脂肪がぶるんぶるんと揺れ、額や腕の先から脂ぎった汗が飛び散っている。人だかりが押し合いへし合いしている中で、そこだけは周りの人間が身を避けてぽっかりと穴が空いたようになっていた。
「あっちの脂も、どうにかしろっての……」
そしてその子安の醜悪な様子に目を奪われて、
「……」
別の影の薄い教師が無言でこちらを見上げているのに廣告は気がつかなかった。




