ステマ 18
その夜――
皆が寝静まる少し前の住宅街。街頭の灯りと民家から漏れ出る光がそれでも街をほのかに照らす夜。
何故かそこだけが闇に包まれていた。
二件の民家に挟まれ街路にそこにぼうっと闇が浮いている。
闇の塊は街頭からの光を浴びる位置にありながらもそこだけ暗くわだかまっている。
闇はまるで何処か光のない別の世界をすくって持ってきたかのようだ。
「……」
闇の中に視線があった。
それは両側を挟む民家を無言で見渡す。
『桜』と銘打たれた表札と『吾斗』と書かれた表札。その二つの民家の二階の窓にその闇の視線は注がれたようだ。
その一方の民家――吾斗家から中の住人の声が漏れ聞こえてくる。
「何、香川! 明日の罰当番! 俺と桐山だけでやれってか!」
その声の主は廣告だった。電話に出ているようだ。一人で誰かに向かって何事か抗議の声を上げている。
「……」
闇の中の視線はその声の方に向けられる。
一階から漏れ出ていた光。そこはリビングのようだ。カーテンが開けられており外からもその様子がうかがえた。
廣告は風呂上がりらしく上半身を裸で首筋にタオルを引っ掛けていた。
その側では母親らしき女性がテーブルに座っていた。廣告が携帯を耳にあてて電話をしており、その様子を母親が微笑ましく見守っている。
「確かに、明日の放課後はミニライブだけどよ。ああ、確かに。特定男子以外の人気を集める絶好の機会だからな。罰当番ごときで、中止する訳にはいかないけどよ。分かった、分かった!」
考えながら答える為にか廣告がリビンクで不意に身を翻した。その背中に右肩から左の脇腹までにかけて、何かで切られたような傷跡が走っているのが見て取れた。
「……」
廣告の母がその背中に複雑な表情を浮かべる。
「ああ、分かったよ! ステマには俺から伝えておけばいいんだな? どうせ家は目の前だよ。今から言いにいってくる! じゃあな!」
ガラス越しに廣告が乱暴に携帯を切るのが見て取れた。廣告はそのままテーブル脇のイスに引っ掛けてあったシャツを拾い上げた。
「おや、電話で済む用事を。わざわざ直接会って伝えにいくなんて。我が息子ながら、健気ね」
シャツに首を通す息子に母がちゃかすように声をかける。シャツの向こうに廣告の背中の傷が見えなくなると、母親の顔からも複雑な表情は消えていく。
「うるせぇ! 学生は電話代がシビアなんだよ!」
「幼い時からいつも一緒。高校も一緒なら、部活も一緒。何より誕生日も一緒だものね。ホント、孫の顔が早く見れそうだわ」
「ただの腐れ縁だよ! すぐ戻るから!」
母親の冷やかしを背中に受けながら廣告の姿がリビングの向こうに消えていく。
乱暴に廊下を踏みならす音が聞こえると、すぐに玄関のドアがガチャリと開いた。
「……」
闇が笑ったように細かく揺れ誰にも見とがめられることなくすうっと消えた。
そしてその闇が完全に消える寸前――
「うふふ……」
少女の笑い声とともに、長く真っ直ぐな髪がその闇の向こうでわずかに揺れた。
「ん? 何か居たか?」
廣告はその様子に玄関で目をしばたたかせたたが、
「気のせいか……」
そこには闇も少女の姿もなく、ただ街灯が照らす向かいの家の玄関が見えるだけだった。




