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ステマ 12

「放して下さいなのです、吾斗くん! 百パーセントの硫酸よりも酸性の強いこの超酸なら! お菊さんも科学的に解決なのです!」

 電灯だけが照らすくらい廊下で花梨が廣告の腕の中でもがいた。その手の先では電灯の光に照らされ赤い怪しげな液体がビンの中でゆらゆらと揺れた。

「やっぱヤバい薬品か! てか、溶かすな! 落ち着け、桐山! 何、涙目でムキになってんだ! よく見ろ! あれはお菊さんはお菊さんでも、今時のお菊さんこと――」

 廣告が力づくで花梨の手を押さえつけながら何とか首だけ女性の幽霊に向ける。

「家庭科の菊池きくち先生だ!」

「菊池先生? ああ、コンシーラーで隠しても隠しきれない目の周りの青あざがいつも痛々しい今時のお菊さん――菊池先生ね! 『先生大丈夫ですか?』って生徒が訊いても、『私がグズだから悪いの。彼は悪くないの』とか答えちゃう――現代の女子生徒にリアルな恐怖を植えつけるあの菊池先生! いえ、もっと恐ろしいのは、その後に呟く台詞――『だって彼を逃したら、もう次が……婚期が……』が、一番おぞましい菊池先生じゃない!」

 魅甘がはたと立ち止まりずれ落ちかけていた眼鏡を直しながらまくしたてる。

「えっと……あなた達……」

 今時のお菊さんこと菊池と呼ばれた家庭科の女性教師が困惑したように呟く。

「菊池先生ね。初めから、そうじゃないかって思ってたのよ」

「いや、香川。逃げ惑っていたぞ、お前」

「うるさいわね、吾斗。ノリよ、ノリ」

「先生、脅かされました。ほにょぽろーん!」

「ほにょぽろーん……」

 菊池が頬を真っ赤に染めながらステマに応える。

「ああ! 菊池先生が若い生徒の挨拶に混じれて、とても嬉しそう!」

「あ、いや……イヤね、香川さん……ところであなた達……こんな遅い時間に何をしてるの……」

「先生こそこんな時間に、何を数えていたんですか?」

 廣告が菊池の手元を見た。そこには何やら紙片が握られている。菊池の手から覗くその紙面には、どれもピンクや明るい色を基調にしたデザインで、ハートや四葉のクローバーがちりばめられている。

 見るからに幸せそうな手紙だ。

「一枚……二枚……三枚……今年も、友人の結婚式の招待状が……」

 何度も数えたらしい友人の結婚式の招待状。よく見ればその手紙の端が握りしめ過ぎで湿気ってヨレていた。

「ああ、それで恨めしげに数えていたんですね」

「そりゃ、恨めしいわ」

「恨めしいですね。科学的に」

 ステマ、魅甘、花梨の順に女子三人がうんうんとうなづいた。

「いえ、あなた達……そんなに同意されても、私……」

「先生、いつかいい人現れますって! 根拠ありませんけど、ほにょぽろーん!」

「財力はそのまま結婚力ですよ、先生。お金さえあれば、男なんて向こうからよってきますって。私と一緒に金儲けに精を出しましょう、先生」

「科学的に考えて、雄は子孫を残したいものです。先生も雌である以上あきらめることはありません。遺伝子を残したいはずです。科学的に」

「あのね、あなた達……」

「先生は努力してるって、お前ら! 家庭科の先生なのも、自分が如何に家庭的か男にアピールする為だって噂だし!」

「なっ……」

 廣告の最後の一言に菊池が絶句する。

「あはは! 廣告! そこは突っ込んじゃダメなところだよ!」

「だってよ、ステマ! 肉じゃがの調理実習が一番力入ってるって、もっぱらの噂だぜ!」

「ななな……」

 菊池の顔が見る間に赤くなった。

「あはは、だから! 女性の涙ぐましい努力を笑っちゃうダメよ、吾斗!」

「お前も笑ってんだろ、香川!」

「……」

 菊池が無言で下を向きその表情が見えなくなる。

「そういえば。肉じゃがの調理実習だけ、作る量が非科学な程多かった気がします。下味は愛情。調味料も愛情。隠し味も愛情。相手の胃袋を掴まえれば、人生の幸せも掴みとれる。と、非科学なことを真剣に、授業で語ってもいらっしゃったのです」

「だろ、桐山? 先生! 必要以上に生徒に肉じゃが作らせて、職員室で手当たり次第、独身の男性教師に配りまくるってのはどうかと! そんなんだから、肉食系肉じゃが女子――ジャガーって陰で言われるんですよ!」

 廣告は興が乗って来たのか一人興奮に口を開く。

「じゃ……ジャガー……」

「ええ! ジャガーです――」

 廣告はぽつりと呟くように聞き返した菊池に応えて続ける。

「こう肉じゃがを手に相手の胃袋に食いつこうとする感じが如何にもジャガーで! この巨大ネコ科動物の夜行性かつ単独行動での獲物を狙う習性なんかが、夜の街を男を求めて一人さまよう現代独身女性のある種の勇ましさと、一抹の寂しさを表し――」

 興奮に一息にまくしたてた廣告は、そこではたと言葉を区切り何かに気づいて横を向いた。

「ん? 先生?」

「あなた達……」

 そこではおどろおどろしい陰気に満ちた陰を額に落とし、

「恨めしや……」

 その言葉通りに呪いで人を殺せそうな光を目に宿す菊池がいた。

「ひいっ! 私達先生に恨まれることしてません!」

 菊池の眼光に魅甘が真っ先に逃げ出した。

「恨めしいわ! その若さが!」

「羨ましいんでしょ、それ! 若さが!」

 廣告もぐるんと回り右する。廣告はステマと花梨の肩を押し逃げろと首だけ後ろに振り返りながら促した。

「お前のテロメアを寄越せ!」

 菊池がアゴも外れんばかりに口を開いて四人に飛び上がって襲いかかる。

「お菊さんどころか、グールかゾンビです! ほにょぽろーん!」

「テロメア――真核生物の染色体の末端部ですね。加齢とともに失われます。あきらめて下さい。科学的に無理です」

「冷静だな、桐山!」

 廣告が肩を押してステマと花梨が魅甘の後に続いて逃げ出した。

「テロめしあ!」

「何か、ごっちゃになってるし!」

「吾斗! あんた男でしょ! 皆の為に、一人犠牲になんなさい!」

「ペッカリーか、俺は! 香川!」

「ペッカリー――南米のイノシシですね。群れがジャガーなどに襲われたとき、一匹が捕食者に向かっていって犠牲になります」

「こちらも冷静な解説ありがとうよ、桐山!」

 廣告は背中でアゴが強烈に噛み合される歯の音を聞きながら、

「先生、若い! そんなに元気なら、適齢期の男を襲って下さい!」

 菊池が飛び散らかすよだれを飛び上がって避けて最後に逃げ出した。

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