第9話 訪問者(その2)
「さっきの人は?」
薫が帰っていった後、美沙が煎れてくれたコーヒーを前に、ちょこんと応接セットの椅子に座った隆也が訊いた。
「ああ、本社の人。社長の弟よ」
本日二人目の訪問者も、美沙はにこやかに迎えた。
事務処理はほぼできていたし、あと数件谷川理沙関係で電話を入れれば、手は開く。
時間はあった。
「若いツバメって何ですか?」
「あの人、頭がイカレてるのよ。気にしないで」
美沙は自分のワークデスクに座ったまま、先程薫が注いでくれたコーヒーを啜った。
「美沙さんの恋人?」
思わずそれに咽せそうになる。
「まさか。どうして?」
「ハニーって」
「あの人は頭の先からつま先まで冗談で出来てるのよ。仕事以外の時はほとんど信憑性の有ることは言わないわ」
「それなら良かった」
「ん? なんで?」
美沙が聞き返すと隆也は居心地悪そうに立ち上がった。
「なんでもないです。仕事中にお邪魔しました。コーヒーごちそうさま」
コーヒーは手つかずのままだ。
「春樹に会いに来たんでしょ? 居なくて残念だったね」
「近くを通ったもんだから、ちょっと渡しものしようと思って」
隆也は小さな水色の紙袋を持ち上げた。
「渡してあげようか?」
「いえ、いいです。・・・あの、今日も春樹、聞き込みですか?」
美沙は少し驚いて少年を見た。
「どうして?」
「昨日ゲームセンターの前でバッタリ会って。人捜ししてました」
「ああ、そういうことね」
「あの・・・、ああいうのって危なくないんですか?」
隆也はもう一度ソファに座ると真剣な目で美沙を見つめてきた。
そこに、今までため込んで来た何らかの想いを感じ、美沙はほんの少し身構えた。
「もちろんよ。危険の無い調査を春樹にはやってもらってる。こんな職業だからね、厄介な調査もあるけど、充分に配慮してるつもりよ」
「本当に?」
「当たり前よ。私だって春樹が心配だし」
「でも、それだったらなんで・・・」
隆也は一度息を呑み、続けた。
「なんで春樹を雇ったんですか? 俺、春樹は普通に大学行くべきだと思うんです。あいつ、俺なんかより頭いいのに。高卒で探偵とか・・・」
さすがに失言だと思ったのか、そこで隆也は言葉を止めた。
美沙はフッと体の力が抜けるのを感じた。
少なからず自分に敵意を持っているらしいこの少年を前に、ほんの少し身構えていたはずなのに、知らず知らず微笑みかけていた。
想いは同じなのだ。
「ありがとうね。春樹を心配してくれて」
美沙がそう言うと隆也は少し困惑したような目をこちらに向けてきた。
純粋に春樹のことを心配して、気遣ってくれるこの友人を、心底ありがたいと思った。
彼がいてくれて、本当によかったと。
しかし同時に、何も知らないこの少年がうらやましくもあった。
自分も、そうであったらどんなに楽だったろう。
ただただ、春樹を気遣っていればいいのだ。
もしも今、この少年に自分たちの苦しさを打ち明けたなら、彼は何と言うだろうか。
それでもまだ、彼は同じことを言うだろうか。
美沙に敵意を向けるだろうか。
隆也に向けられた微笑みが一瞬だけ、愚かな自分への嘲笑に変わった。
そんなことをチラリとでも考えてしまう自分に、辟易した。




