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第8話 訪問者(その1)

春樹は次の日も同じように調査に向かい、美沙も相変わらず別件の報告書作成に追われていた。


どうやら春樹の方も昨日は有力な手掛かりが無かったようで、今朝も「今日は頑張るよ」と苦笑いして出かけた。

しかしなぜかその表情は明るく、意欲満々に見えた。

もしかしたら彼の中で、なにか良い予感でもあるのだろうか。


一瞬微かに奇妙な不安がよぎったが、まさか報告を怠っているなどという事は無いはずだ。

仕入れた情報はどんなものでも細かく提出する。そんなことは基本中の基本だ。


午後からは自分も調査に加わろう。

そう思いながら美沙は、書類作成を急いだ。


けれど昼近く、少しばかり美沙を困らせる人物がひょっこり事務所を訪れた。


「ところでハニー。君は、いつになったら俺の愛を受け止めてくれるのかな?」

キザな舞台役者のようなポーズとセリフで、男は美沙に微笑んだ。

「そうね、生まれ変わったら考えてみるわ」

けれど手慣れたものだ。

美沙は今日もまた飽きもせずこの鴻上支店に油を売りに来た、無駄に背の高い男に笑いながら返した。

「気の遠くなる話だね」

「あっと言う間よ」


時々ふらりと美沙の事務所に立ち寄るその男は、立花探偵事務所所長である立花聡の弟、立花薫たちばな・かおる34歳。

自称、楽天家の女好き。

『俺ってジュード・ロウに似てるだろ?』と、恥ずかしげも無く言ってのけるほどのうぬぼれ屋だが、日本人離れした彫りの深さや骨格は、英国の血が入っていても、少しも不思議ではない。

現在の唯一の悩みは、掛かりすぎたパーマがおでこを全開にしてしまうことらしい。

3年前までやっていた輸入雑貨の経営に失敗し、多額の借金を抱えたまま12歳年上の兄の探偵事務所に転がり込み、仕事に有り付いたちゃっかり者だ。


4年間のイタリア放浪生活のせいか、動きがとにかく大きい。

そんな一見遊び人風な弟だが、カンが良く、人当たりも口もうまいので、調査員としてはとても優秀だった。

兄である立花聡も、そして他の社員も、しぶしぶだがそれを認めざるを得なかった。

趣味は恋愛、特技は交際と自分で言うほどのプレイボーイだが、何故か女子社員からの好感度は高く、シモネタ的な冗談も彼が話すと潤滑油になった。

この男と恋仲になろうとは思わないが、どこか憎めない無害なフェロモンを美沙はけっこう気に入っていた。

実は薫はゲイで、女好きはカムフラージュなんだという噂もあったが、それこそ美沙にはどうだって良かった。


「兄貴がこっちにまわした面倒な家出人調査、手こずってるんじゃない?」

薫は手慣れた様子でサーバーのコーヒーをカップに一杯注いだ。

「心配して来てくれたの? 大丈夫よ。こっちはそれ専門にやってるから時間もあるし。優秀なスタッフも一人いるしね」

薫はそのコーヒーをそっと美沙の前に置いた。

「ああ、春樹君ね。いいよね、あの子。素直そうでかわいい。ちょっと頼りない感じだけどさ。美沙に食われなきゃいいけどって、いつも心配してるんだ」

「本人前にしてよくそんなこと言うわよね。仕事の邪魔しに来たんなら帰ってよ」

美沙は書類をチェックしながら笑いを堪えて言った。

そんな軽口もこの男が言うと逆に笑えてくる。


「了解。兄貴にどやされる前に帰るよ。あの人、仏顔してけっこう怒ると怖いんだ。まあ、あれだよ、美沙。何か手が足りなくなったら何時でも相談してよ。抱え込まないで。ほんと、遠慮せずにさ」

「うん。ありがとね」

美沙が書類から顔を上げると、薫は軽く手を上げてドアに向かった。

たぶん最後のその言葉を言うために此処へ来たことが、美沙には充分伝わってきた。

軽薄そうに見えて、薫は女性調査員への気配りは忘れない。

それは彼の仕事の一環であり、ポリシーなのだろうと感じた。


「あれ?」

帰ろうとドアを開けた薫は、ぴたりと立ち止まった。

ちょうど事務所を尋ねてきた隆也と鉢合わせになったのだ。

「どうしたの?」

首を伸ばして訊いてきた美沙の方を振り返り、薫は真顔で言った。


「ハニー? 君はもう一人若いツバメを囲ってるのか?」


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