第5話 封印
警察の調べが実際どこまで進んでいたのかは美沙には分からなかったが、結局その後真実が発覚することも無く、仲の良かった家族に不穏なうわさが立つこともなかった。
ただそれは、やり切れない不運な事故として近しい人々の記憶に残った。
春樹という、哀れな遺族ひとりと共に。
「美沙、灰が落ちるって」
ぼんやりしてタバコを持っていた美沙の手元に灰皿を寄せて春樹が言った。
美沙は辛うじて灰を机の上に落とすことを免れた。
「やっぱりおかしいよ。気分でも悪いの? コーヒーでも煎れようか?」
まるでコーヒーが万能薬だと信じているような口振りで訊いてくる顔が愛おしかった。
「うん、いいね。煎れてくれる?」
美沙がそう言うと、少年は笑って頷いた。
2年前の火災の後の春樹を思い出すのが、美沙には一番辛かった。
大好きだった両親と兄を一度に無くしたのだ。
美沙には想像すら出来ないほどの悲しみだったはずだ。
けれども春樹は美沙の知るかぎり一度も取り乱したり、人前で涙を見せることは無かった。
遠縁の親族によって告別式はひっそり行われた。
死に顔を見ることも叶わず、完全に小窓を閉じられた3つの棺の前に立った春樹は、消え入りそうに小さく、幼く見えた。
どれだけその時美沙は春樹を抱きしめてやりたいと思ったことか。
胸が張り裂けそうだった。
けれど、もし肌が触れてしまったら春樹は一瞬にして美沙の記憶を読みとってしまうだろう。
両親を愛し、兄を尊敬することを唯一の心の支えにしている少年を更に傷つけることなど出来るはずがない。
もう、これ以上春樹を苦しめる事は起きてはならない。何一つ。
春樹を見守りながら距離を取ればいい。笑えるほどそれは文字通りの「距離」だ。
春樹がそれを不審に思うことはないだろう。
美沙が自分に触れないのは当然と思っているのだから。
真実は美沙の中に封印された。
「はい、どうぞ」
香ばしいコーヒーの香りが美沙を包み込んだ。
同じカートリッジなのに、春樹が煎れるとなぜか絶妙に香りがいい。
「サンキュー」
「気分良くなった?」
「最初から別に何ともないよ」
「そう? それなら良かった」
色素の薄い、優しい色の瞳が美沙を見つめる。
その瞳に映っているのは何だろうと美沙は考えた。
死んだ兄の恋人。
忌まわしい能力の秘密を打ち明けた後、前よりも余所余所しくなった姉代わりの女。
いつまでも一人前扱いをしてくれない、冷たい職場の上司。
手を伸ばして、そのまだ幼さの残る頬に触れてみたいと思った。
そう思うたび、どうしようもない腹立たしさが込み上げてくる。
あの忌まわしい事件を起こした兄に。
そしてこの弟に与えられてしまった、呪われた力に。




