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最終話 解けない呪縛

「谷川理紗の両親が、あの間宮って男を訴えたんだってな!」

午後8時。立花薫がよく通る声を張り上げて事務所に飛び込んできた。

美沙がその事を本社に報告したため、局長の立花聡に聞いたのだろう。

「ノックくらいして下さい。そして声が大きい。このドア、防音仕様じゃないんだから」

美沙が書類から目を上げずに、静かに言った。


隆也が飛び出して行って少しした頃、谷川理紗の母親から美沙に電話があった。

娘から全て聞き、じっくり話し合った結果、被害に遭ったことを警察に届け出る事にしたのだと。

そして、美沙からの手紙に勇気づけられた事を伝えて欲しいという娘の伝言を、母親は付け足した。


手放しで喜べる事ではなかったが、美沙は取りあえずホッとし、心配しているだろう春樹にその事をメールした。

きっと春樹はまだ病院に違いなかった。


もう隆也に会っただろうか。

隆也は“あの事”を確かめただろうか。

隆也に告げたことを、春樹はどう思うだろうか。

そんなことを考えると、美沙は春樹に直接電話をかける勇気が出なかった。


「ねえ美沙ちゃん。君たちが“危険性があるから迅速に”って言ってたのは本当だったね。俺たち本社組が夜を徹したのは無駄じゃ無かったって訳だ。ねえ、何かそんな情報網があったの?」

美沙はスッと頭を上げ、「カンよ」と、素っ気なく薫に言った。


「あれ? 何か怒ってる? 姫」

「私は姫でもハニーでもないわよ、立花さん」

「怒った声も魅力的だけど、やっぱりそこは“薫さん”って呼んでほしいな~」

薫は右手を腰に当てて立ち、左手で髪をかき上げながら言った。

その立ち姿はどうにも鼻につくほどキザだが、同じくらいにユーモラスだ。

美沙は思わずクスリと笑ってしまった。


「そんなことより、いいの? こんな所で油売ってて。立花局長にまた怒られるわよ?」

「ちょっと息抜きも必要なんだよ。この後びっちり浮気調査でスケジュール埋まってるからね。節操のないオヤジの尻追いかけるのもいい加減ウンザリさ。美沙とここで昨日みたいに行方調査できたら幸せなのに。・・・あ! ねえ、俺を雇わない?」

「うちには春樹だけで充分よ」

少し笑いを含んだ声で美沙が言った。

「そう言われると思った。あの子にはなんだか、いろんな意味で敵わない気がするよ」

薫もニヤリと笑うと、部屋をぐるりと見渡した。

「ところで春樹君は? もう帰っちゃった? なんか具合悪そうだったけど」


美沙がほんの少し沈黙をつくった。

労災でもあるし春樹の怪我の報告は本社に届けておかなければならない。

けれどその説明をすることはとても微妙な問題を含み、美沙を滅入らせた。

あの暴行が間宮の犯行だという事は分かっているが、それは春樹にだけしか分からない真実であり、

根掘り葉掘り訊かれるのを嫌う春樹は、被害届も出さないだろう。

そのことをきっと本社は疑問に思うだろうし、歯切れの悪い嘘をつくだろう春樹を見るのは、美沙には辛かった。


沈黙の嫌いな薫がまた何か口を開こうとしたその時、事務所のドアがカチャリと開き、美沙の心臓がドクンと跳ねた。


「遅くなってごめんなさい、美沙。病院行ってきました」

そこには、夕刻出ていった時とは別人のように元気そうに微笑む春樹が立っていた。

手には、数日前隆也が持っていた水色の紙袋を持って。


「あ・・・お帰り。どうだった?」

恐る恐る美沙が訊く。

「大丈夫。肋骨に3本ひびが入ってただけだった」

「肋骨にひび? なんでまた!」

美沙よりも早く薫が大声を出した。

「大丈夫じゃないだろ。どうした? 事故か?」

けれど春樹は薫に一瞬ニコリと笑いかけただけで、再び美沙に向き直った。

「ちゃんと固定してもらったし痛み止めももらったから、明日から普通に動けると思う。心配かけてごめんなさい」

そう言って、神妙な顔でほんの少し頭を下げた。

「辛かったらいつでも言いなさいね。優秀な助手がいないのは痛いけど、めいっぱい有給あげるから」

動揺が伝わらないように気を張って言った美沙の言葉に、春樹は柔らかく笑い返した。


救われるような穏やかな笑顔だ。

体が楽になったからだろうか。谷川理紗の事を知ったからだろうか。それとも・・・。


美沙の心を読みとったかのように春樹は手に持った水色の紙袋をひょいと掲げて、美沙に見せた。

「隆也に付き添ってもらったんだ。病院」

美沙は動揺を隠し、黙ったまま春樹をみつめた。

「帰る時にさ、たくさんDVD貸してくれたんだ。ずっと僕に渡そうと思って持ち歩いてたらしいんだけど」

「へーーー。いい友だちだね、隆也くんって。どの子? この前ここに来てた、若いツバメ?」

密かに疎外感を感じていたらしい薫が、いきなり近づき会話に入ってきた。

「何ですか、若いツバメって」

春樹が笑った。

「知ってるんじゃん。笑ってる癖に」

「知らないですよ、立花さんが言うとイヤらしく聞こえて・・・イタタ・・・やめてくださいよ、笑うと痛むんだから」

「笑え~~。もっと笑え~~」

子供のように囃し立て、春樹が横腹を抱え込むのをニヤニヤして見つめながら、薫はその水色の紙袋の中を覗き込んだ。


「へー。たくさんあるね、DVD。どんなジャンル?」

春樹が紙袋を差し出すと、薫が中身を物色し始めた。

「ほとんどホラーとかSFだな。もっと甘いの無いの? セクシーなのがいいな」

「僕が借りたんですってば」

「あ! これは懐かしい。これはいいよ。スペクタル・ラブ・アドベンチャーだ」

よく分からないジャンルを口にしながら薫が取りだしたDVDは、がっちりした黒騎士の肩に一羽の鷹が留まっている美しいパッケージだった。


美沙が驚いたようにDVDを、そして春樹を見た。

春樹はそれを美沙に手渡した。

「『レディホーク』。これ、最初に見ろって、わざわざレンタルして隆也が入れてくれたんだ」

春樹が優しい表情で美沙に言った。

「この鷹は美沙だからって」


呼吸が苦しくなってくるのを感じながら、美沙は春樹をじっと見つめた。

琥珀色の瞳を覗き込んで、その心を全部読みとりたかった。


「鷹は人間として男に触れられないけど、いつだって側にいてさ。呪いが解けることを信じて、一緒に戦うんだって。隆也がそう言ってた」


春樹はそこで一度言葉を切り、うつむき、そして再び顔を上げて美沙を見た。

「隆也はやっぱり滅茶苦茶いい奴だった。心配しなくて良かったんだよね、美沙。なんだかさ、少し気持ちが楽になったんだ」

「・・・怒ってない?」

やっとの思いで美沙がそう言うと、春樹は笑った。

「ビックリしたけど・・・不思議で、安心できるような、妙な気持ちだった。きっと美沙が一つ、呪いを解いたんだ」


口を開くと堰き止めていた感情が溢れだしそうで、美沙はただ黙ってそのDVDのパッケージを握りしめた。

突然生まれた熱にほだされて、無様に震えてしまうのを堪えようと、身体に力を入れてみる。

春樹も自分の言ったセリフに照れるように口を閉ざした。


ただここに、不自然な沈黙にそわそわと耐えきれない様子の男がひとり。

「何だろうな~・・・。何があったか良くわかんないんだけど・・・。まあ、あれだ、春樹君。体もしんどい事だし、今日はもう帰って、大人しく俺と一緒にDVD観よう」

「何で立花さんとDVD観なきゃいけないんですか」

「いいじゃないか。一人より二人の方が楽しいだろ? 君とは積もる話もあるし」

「僕は話なんてありませんよ。僕は一人でその結末を観たいんです」

「結末?」

薫が春樹を見たので、春樹は小さく頷いた。


「呪いが解ける瞬間を」

ああ、映画のね、と薫は笑った。

「ハッピーエンドと分かっていても観たくなるんだよね。あのラストは感動的だったよ。美しくて官能的ですらあった。あれ? キスするんだっけ。抱き合うんだっけ」

「知りませんよ、観てないのに!」

春樹が少し顔を赤らめて薫に突っかかるのを、美沙はボンヤリと見ていた。



“ハッピーエンドなんて、あるのだろうか。この現実の世界に”


春樹の笑顔が、ほんの少し無理しているように感じられ、そして、そう勘ぐってしまう自分自身に美沙は嫌気がさした。


『大丈夫だよ、美沙。心配しないで』

春樹は必死にそう伝えようとしている。

その気持ちを受け取ってやればいいじゃないか。

その笑顔を信じなさいよ。

どっちにしろ、人生にはハッピーエンドもバッドエンドも無いのだから。


与えられた運命の中で藻掻き、そして幸せだと思えることを模索していくしかない。

そうだよね、それでいいよね、春樹。


美沙は楽しそうに薫と笑い合っている春樹を見つめ、ほんの少し微笑んだ。



“だけど、お前たちの呪いは 解けないよ”


どこかから絶えず嘲笑うように囁きかけてくるその声を、心の中から必死に追い払いながら。




                  (END)




『KEEP OUT3 君に伝えたいこと』を読んでくださった皆様。

本当に、本当にありがとうございました。

お察しのように、このシリーズはまだ終わりません。

続編はずいぶん先の投稿となる予定ですが、

もしよろしかったら、どうぞ彼らのことを今しばらく、記憶の隅に留めておいてやって下さい。




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