世界の色
四角く切り取ったCyanの空。赤いワンピースを着た私は右手と左手で世界を作った。それぞれの親指の先を人差し指に当て、まるでカメラマン気取りで7月を仰ぎ見る。眩い。目を細め笑ってみるけれど一人。
――――去年の梅雨。
「涼香……?」
「ン、どうしたの、達樹」
それは私が達樹の部屋でお素麺を湯がき終えた時のこと。冷水で麺を締めていた。
「――御免、もう一緒にやって行けない」
「え……」
あの瞬間。鮮やかな炒り卵、開けたツナ缶、刻んだミョウガと胡瓜。取り残されたみたいな材料たちをよく覚えている。そうだな、自身の心地よりも。あまりにも突然で。
達樹は29、私は27才だった。交際4年目。私は秘かに彼からのプロポーズを心待ちにしていた。
「御免」
キッチンの椅子に座り両手を膝につき、達樹は唯々頭を下げるばかり。
「なんで?」
「佳奈美と付き合ってる」
私は震えて来た。
――――佳奈美、彼女は私の親友だった。そもそも達樹を私に紹介してくれたのは彼女だったのだ。いったい?
佳奈美には昔恋人がいた。その恋人の友達が達樹だったのだ。しかし佳奈美は恋人と3年前に喧嘩別れした。
私と達樹で、やけっぱちになる佳奈美を慰めたものだった。
「なにそれ。いつの間に! 馬鹿にすんじゃないわよ――ッ!」
私はカッと来てそこらにあったクッションを達樹の頭に投げつけてしまった。
達樹は頭を下げたまま「本当に御免、涼香、涼香、御免」と悲しいピエロみたいに繰り返した。
私は我慢ならず、またも飛んで行ったクッションを拾いに行き、泣きながら何度もクッションで達樹の頭を殴った。
いきさつなんて知りたくもない。
楽しみにしていた海水浴ももうおしまい。ヴァイオレットカラーのビキニを買ったけどさ。流れた。こんな男、コイツなんか要らない。要らない。要らない。要らない。要らない! そう思いながら必要とする心が涙を止めなかった。
***
その後は暫く地獄のようだった。私は喫茶店のアルバイトを無心でこなすだけ。夜も休日も泣き腫らした目をし、時々窓の外を見た。それでもあんな馬鹿野郎がやって来てくれるかもとカーテンを開けては閉めを繰り返していた。
***
「フー、良い気持ち。海、綺麗」
ここは穴場。泳ぎに来る人はまずいない。
達樹と初めてキスしたのはあの岩陰だった。でも今の私にとって達樹の存在は、口の中の金平糖よりも小さい。
レジャーシートを海辺に敷いて座った。潮風に撫でられるストローハットを片手で押さえる。ロングヘアーが棚引く。
波音はとても良い。お昼寝のタオルケットのように優しく、恋人同士の沈黙みたいに静かでありながら、包み込む女神のように強い。
私は首筋を汗が伝っても、目を閉じ海の幸福にすべてを委ねた。爽快だ。
でもおひさまがたくましいのでそう長くはいられない。シートの端を持ちながら立ち上がろうとした、その時だ。
「涼香?」
聞き覚えのある声。
――――達樹だ。
振り返る。
黒いポロシャツを着て、デニムパンツを穿いた達樹がびっくりした顔をし一人立っていた。
「なんでここにいるの?」
それが私の第一声だ。
「ドライブに来たんだ」
「そうなんだ。あの……佳奈美は?」
野暮かとも思ったけどつい口をついてしまった。
「振られた。他の男の所に行ったよ」
確かに佳奈美は昔から気が多い女性だった。まあ、親友の恋人に手出しするとまでは想像しなかったが。
「そっか……」
達樹は思い出の岩陰を見遣った後、私に向き直した。その顔は悲し気でもなく、切なそうでもなく、笑ってもいない。ただ、なにかを懸命に想っているのが伝わって来た。
「涼香、みっともない男だ。分かってる。でもオレはやっぱり涼香を愛している。やり直してくれないか」
握手を求め右手を差し出す達樹。
もう金平糖は胃袋の中。私には恐らく情すら残っていない。
「あなたのパレットで生きて下さい。私は今日Cyanを見つけたの」
バイバイ。
バイバイ。




