第9話 街の“反応”が増えている
立ち入り禁止区域を離れても、胸の奥のざわつきは消えなかった。
神谷の言葉が原因じゃない。
足元だ。
歩くたびに、ほんのわずかだが、感触が違う。
舗装の割れ目、マンホールの縁、建物の影――そこを踏む瞬間だけ、微細な反発が返ってくる。
気のせいだ、と何度も言い聞かせる。
昨日の出来事を引きずっているだけだ。
そう思おうとした矢先、信号が変わった。
まだ青になるには早い。
それなのに、目の前の横断歩道だけが、俺の足に合わせたみたいに点灯した。
「……は?」
立ち止まると、青が消えた。
一歩踏み出すと、また青になる。
周囲の人間は気づかない。
たまたま運が良かったと思って、横断していく。
俺だけが、その場に残った。
視線を落とす。
足元のアスファルトに、微かな振動。
どくん。
昨日ほど強くない。
でも、確かに――応えている。
通りを抜けると、シャッターの降りた店が並ぶ一角に出た。
風もないのに、古い看板がきしりと音を立てる。
俺が近づくと、音が止まった。
距離を取ると、また鳴る。
「……冗談だろ」
誰に言うでもなく呟く。
笑えない冗談だ。
佐伯さんの店の前まで来ると、さらに違和感が増した。
昨日、確かに被害が出てもおかしくなかった場所だ。
なのに、ガラス一枚割れていない。
棚も、壁も、そのままだ。
店の奥から、佐伯さんの声が聞こえる。
「電気、今日は調子いいな……」
俺は、店に入らず、通り過ぎた。
もし今、顔を合わせたら、
「助かったな」と言ってしまいそうだったから。
その言葉が、俺のものなのか、
この街のものなのか、分からなくなっていた。
角を曲がった瞬間、遠くで金属音がした。
高い場所から、何かが落ちかけている。
反射的に見上げる。
古い広告看板。
留め具が外れ、傾いている。
周囲に人はいない。
落ちれば、下の道を直撃する。
逃げろ、と頭が言う。
でも、足が止まった。
――また、来る。
昨日と同じ感覚。
理由はない。ただ、分かる。
俺は、無意識に、地面に手をついた。
次の瞬間、
看板を支えていた金属フレームが、ぎし、と音を立てて踏みとどまった。
落ちない。
あり得ない角度で、耐えている。
俺の掌の下で、振動が走る。
どくん。
心臓が、ひとつ余計に打ったみたいだった。
慌てて手を離すと、振動は弱まり、やがて消えた。
看板は、そのままの姿勢で静止している。
俺は、息を整えながら立ち上がった。
――偶然じゃない。
そう認めた瞬間、背筋が冷えた。
街は、もう反応している。
俺が、触れなくても。
そして、それに気づいているのは――
今のところ、俺だけだった。




