第3話
朝、目が覚めた瞬間に、真琴は押入れのことを思い出していた。
少し気味が悪いけど、変化を求めてしまっている自分がいる。
顔を洗って、歯を磨いて、コーヒーを淹れる。
いつも通りの動作を一つずつこなし、ようやく押入れの前に立った。
(落ち着け、落ち着け)
襖を開ける。
――箱は、あった。
蓋を開け、中を覗き込む。
(あっ・・・)
真琴は小さく息を吸った。
水のペットボトルとお粥がなくなっている・・・!
代わりに入っていたのは、昨日より少し厚みのある紙と、布に包まれた細長い物だった。
(……返事、かな?)
自分の行動に反応があったことに
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
自分の書いた日本語の下に、また整った文字が並んでいる。
昨日より、明らかに行数が増えている。
そして、相変わらず綺麗な流れるような字だ。
(この人……字を書く立場の人?)
仕事で書類を扱う人。
ある程度高い教育を受けてきたような上品さ。
真琴はスマートフォンを手に取り、翻訳アプリを起動する。
(やっぱり、認識されないか)
それでも、じっと眺めていると、昨日と同じ文字がいくつか繰り返されているのが分かる。
(たぶん「私」とか「あなた」とかそういう類いかな)
推測に過ぎないが、不思議と意味のない文字列には見えなかった。
次に、布包み。
そっと開くと、細い櫛が出てきた。
金属製みたいだが装飾は控えめで、実用といった印象だ。
(……櫛?)
手に取ると、ひんやりとした重みが伝わってくる。
使われていた形跡はほとんどないが新品というほど新しそうでもない。
(自分の物……なのかな)
ふと、紙の端に描かれた小さな線に気づく。
円弧のような、波打つような模様。
(……髪?)
確信はない。
だが、櫛と一緒に置かれていることを考えると、そう見えなくもない。
(銀色……っぽい、気がする)
あくまで想像だ。
けれど、なぜかその線は、明るい色を思わせた。
◇
午前中の仕事は正直、あまり身が入らなかった。
資料作りをしながらもふとした瞬間に、
あの文字列や櫛の重みを思い出してしまう。
(返事らしきものが来た、ってだけでこんなに…はあ…)
会話をしたわけでもないし
文章の意味を理解できたわけでもない。
それなのに、「誰かがいる」という事実だけが、昨日よりもはっきり実感となって。
◇
昼休み。
真琴はもう一度、紙を広げて眺めた。
よく見ると文の最後の方、
少しだけ文字の間隔が狭く、流れるような字が少し雑なようにも見える。
(急いで書いた?)
例えば誰かに見られないように。
そんな考えが浮かんで、すぐに首を振る。
(考えすぎか)
だが、もう一つだけ、気になる点があった。
文の途中、何度か出てくる少し大きめの文字。
(大文字かな?……もしかして、名前とか?)
昨日見つけた繰り返しの文字とは、微妙に違う。
(2つ並んでるな)
役職と、名前。
姓と、名。
真琴の頭に浮かんだのはそんな組み合わせだった。
(うーん、全然わからん)
字が綺麗で、物がどこか上質で。
それなのに、どこか控えめで、自己主張がない。
(絶妙に偉そうじゃないこの感じとても心地よい)
◇
夜。
真琴は机に向かい、ペンを持つ。
(……なんて返そう)
相手は、長文を書いてくれた。
読めないけど。
こちらが一言では、ちょっと失礼な気もする。
だが、踏み込みすぎるのも違う。
しばらく考えて、真琴は二文だけ書いた。
『返事をありがとうございます。
食べ物は、問題ありませんでしたか』
それだけ。
櫛については、あえて触れなかった。
紙を箱に戻し、今度はインスタントのスープと小さなタオルを添えた。
(生活用品系にしてみよう)
箱を押入れに戻す。
ぱたん、と襖を閉めたあと、真琴は少しだけ、その前に立ち尽くした。
(どんな人なんだろう……)
不思議すぎる文通をしているが
一体、どこの誰なのか。
何をしている人なのか。
まだ何も分からない。
けれど。
押入れの向こうにいる“誰か”は、
思っていたよりも、ずっと礼儀正しくて、
思っていたよりも、少しだけ、孤独に感じた。
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