第三十八話 シモーヌと陰キャ貴族令息②
最近のシモーヌはフランシスたちだけでなく、女子と過ごす時間も増えていた。
刺繍をきっかけに恒例となった放課後のおしゃべり。たわいもない会話だが、それがとても楽しい。二年生からはクラスが男女別になるので、彼女たちとの仲が続くと思うと、今から楽しみで仕方がない。それと同時に、シモーヌはある寂しさを感じていた。
入学して初めて友人になったフランシス、ジャン、ビクターとは別のクラスになる。毎日のように聞いているあの会話。もうじき聞けなくなると思うと、とても寂しい。
シモーヌの変化にいち早く気づいてくれるフランシス、いつも笑わせてくれるジャン、さりげなく重い荷物を持ってくれる優しいビクター。三人の会話が聞けなくなることだけでなく、三人と過ごせなくなることが寂しいのだ。
「難しい?」
教科書を持ったまま暗い顔をするシモーヌに、フランシスが声を掛けた。
「いいえ。もうじき三人とクラスが離れると思うと、とても寂しいなと思って」
シモーヌが答えると、ジャンとビクターが意外そうな顔をした。
「え? 別に転校したり退学する訳じゃないじゃん」
「一番離れた教室でも、走ればものの数秒だ」
シモーヌは、寂しいと思っているのは自分だけかとがっかりする。
「僕は寂しいよ。四人ともバラバラになるし」
落ち込んだシモーヌにフランシスがそう言うと、ジャンもビクターもようやくそのことに気づいたようだ。シモーヌは自分だけが違うクラスになると思っていたが、よく考えれば三人もそれぞれ選択する学科が違う。四人ともクラスが分かれると自覚したのか、ジャンからもビクターからも、笑顔が消えた。
「フランシスは領地経営科でビクターは騎士科、俺は文官科だ」
「正直、ジャンは領地経営科に進むと思っていたよ」
フランシスが残念そうに言う。嫡男のほとんどは領地経営科に進むが、二男三男でも継ぐ爵位があったり、婿養子に入ることを望む場合はこの科に進む。フランシスはラザノ伯爵家の寄親である侯爵家で領地経営に携わる予定なのだ。
「俺、成績がいいから文官を勧められているんだけど、文官って感じでもないしさ」
ジャンは文官になりたい訳ではないらしい。
「女子は怖いから結婚も考えられないし、いっそ聖職者にでもなろうかなぁ。どこかの国には聖女様がいるらしいし」
三人は噂の聖女の話をし始めた。可憐で美しく、優しいのに勇敢な少女。そんな女性がいるならぜひ会いたいものだと話す三人に、シモーヌはレニーに聞いたベテラン聖女の話はしない方がいいと思った。実際に目にした聖女が、恰幅の良い肉食系の元少女だったら、彼らはどんな顔をするのだろう。
聖女の話が尽きると、三人はまた黙り込んでしまった。新しい教室の隅っこで一人過ごすのを想像したのだろうか。シモーヌは自分よりも暗くなってしまった三人に慌てた。
「でも入学した時のように、まったくの一人ではないでしょう? ビクターはジョルジュ様と一緒だし、ジャンはジル様と一緒。フランシスなんて殿下とベルナール様の二人もいるわ」
シモーヌの励ましにも、三人は乗ってこない。よほど入学直後が辛かったのだろうか。シモーヌはうーんと考えながら三人を交互に眺める。黙ったままの三人に何か話題をと考えて、シモーヌは以前からの疑問をぶつけることにした。
「そういえば、フランシスのその前髪。随分長いけれど、どうして切らないの?」
フランシスの表情が変わり、それを察したジャンとビクターが慌ててシモーヌに目配せをする。二人は、フランシスがソバカスを気にしていることを知っているのだ。
「フランシスの瞳の色って、その髪と同じミルクティー色ですごく綺麗なのに。隠しちゃうのは勿体ないわ」
シモーヌは前から思っていたことを伝えた。フランシスはそっぽを向いてしまったが、その耳は赤い。そんなフランシスの目を覗き込もうとして嫌がられているビクターにも疑問をぶつける。
「ビクターが寝ぐせを直さないのはどうして? 毎日ついている寝ぐせも可愛いけれど、隊列訓練の時のビシッと決まった髪型もステキだったわ」
ステキ!? とビクターは慌てて寝ぐせを手で撫でつけた。
「隊列行進本番でも、二人とも女子にキャーキャー言われてたもんなー。裏切り者が」
ジャンが苦い顔をして二人から離れた。
「あら、ジャンは自覚がないの? あなた、背が伸びているのよ」
シモーヌの言葉に、ジャンは飛び上がって驚いた。そして、しばらくキョロキョロと周りを見渡したかと思うと、一目散にジルの元へと走っていった。
「あいつ、何をしているんだ?」
何やらジルに話し掛け、そして蹴飛ばされたジャンは痛そうに、でも嬉しそうに走って戻ってきた。
「ほ、本当だったよ。シモーヌ! 隊列訓練の時、ジルは俺より指一本分、背が高かったんだ。今は指三本分、俺の方が高い!」
蹴飛ばされたお尻を摩りながら、ジャンはフランシスとビクターと背比べを始めた。じゃれ合う三人を見ながら、シモーヌは彼らが自分より先に大人になってしまうような気がした。
やがて大人になった三人は、どんな会話をするのだろう……。シモーヌはその時の彼らを想像してみる。その姿がなかなか想像できなくてシモーヌは首を捻った。
「シモーヌも成長しているよね」
目を閉じ眉間に皺を寄せて考え込むシモーヌに、フランシスとジャンが言う。
「最近は俺たちよりも女子と一緒に楽しそうに過ごしている」
ビクターも頷いた。
「目標の友人作りは達成しただろう? シモーヌの次の目標は何?」
ジャンがニコニコしながら聞くので、シモーヌは少し考えてから答えた。
「友人作りの次は、親友作り……かな」
シモーヌの目標を聞いた三人は顔を見合わせて、そして笑いながら言った。
「親友なら、とっくに目の前にいるじゃんwww」
「僕たちはとっくに親友だと思っていたよwww」
「シモーヌは冷たいなwww」
三人はとっくにシモーヌの親友だったようだ。シモーヌにはまだ、友人と親友の境界線がよくわからない。しかし、この三人が親友だと考えるとしっくりくる。
「そっか。私とフランシス、ジャン、ビクターは、もう親友だったのね」
シモーヌは鈍いなぁ、と笑い合う三人を見て、シモーヌは心からこの人たちと出会えてよかったなと胸がいっぱいになった。
かけがえのない日々はあっという間に過ぎてしまい、いよいよ進級試験の日。
その日、シモーヌはいつもより少し早く登校した。皆、考えることは同じらしく、すでにフランシスの席にはジャンとビクターがいる。
「俺、昨日四時間しか寝てないしwww」
「僕は三時間www」
「俺は立ったまま寝たwww」
ゲラゲラゲラ……。
大事な試験を前にしても相変わらずな三人の会話は、まだ離れた場所にいるシモーヌにもしっかりと聞こえてくる。シモーヌはクスッと笑った。
「おはよう、シモーヌ」
前髪を額の中央で分けチャームポイントのある頬を撫でながら、フランシスがシモーヌに挨拶する。ジャンとビクターもシモーヌに挨拶すると、また三人の会話が始まる。
少し前からフランシスは髪型を変え、ビクターの寝ぐせも目にすることはなくなった。見た目にあまり変化が見られないジャンは、常に膝が痛いと騒いでいる。学園に入学する直前のアランも、よく膝が痛いと言っていた。直後、アランの背は急激に伸びた。
「俺、今日が試験だってことを忘れてたから、全然勉強してないわ」
小試験ではいつも上位の成績を修めているジャンが、自分の前髪にフッと息を掛けて気だるそうに言った。
「僕も昨日は家業の手伝いが忙しくて、勉強する時間がなかったね」
フランシスが、前髪をサラリと掻き上げながら憂いを帯びた顔で言う。
「俺は夕食後にすぐ寝た!」
ビクターが元気に言うと、ジャンもフランシスも、今度は早く寝た自慢で競い合う。
「三人とも、さっきは寝ていないって言っていたわ。それに、毎回勉強していないって言いながら、小試験のたびに三人とも上位の成績。あら、不思議ね」
ニコニコと言うシモーヌに、三人はばつが悪そうな表情を浮かべる。しばらくお互いの顔を見合っていた四人は、やがて一斉に笑い出した。
シモーヌは涙を流して笑った。涙はいつまでも止まることはなかった。




