第二十六話 シモーヌと女子の井戸端会議①
「お話って何ですか? ベルナール様に呼ばれていた件と関係が?」
放課後、休憩室に入ったレニーを数人の女子生徒が取り囲んだ。彼女たちはベルナールの『ファン』だ。編入してすぐ、レニーはベルナールの人気の高さに驚いた。軽率なあの男のどこがいいのだろう。
「顔が最強ですわ」
女子生徒の一人が言う。そうか、顔なのね。もともとクリストフにしか興味のないレニーは、自分と相性の悪いベルナールの顔の造形なんて考えたことすらなかった。
「今、男子の皆さんが頑張っていらっしゃるのはご存じでしょう?」
少し大きな声でレニーが言うと、あらかじめ休憩室に呼んでいたクラスの女子、総勢一二名が一斉にレニーを見た。
「殿下の発案で、当日男子が着用する腕章に私たちが刺繍をすることになりました」
女子たちの目が一気に輝く。
「もちろん、お時間のある方だけで構いません。一日だけでもいいのです。ですが、仕上がるまではぜひご内密に」
口元で人差し指を立てるレニーに、数人が申し訳なさそうに頭を下げて退室した。アデルも申し訳なさそうな表情をつくり退室したが、自分の得にはならないと即判断したのだ。このクラスの男子に見切りをつけたのだろう。シモーヌは刺繍が得意なのと、少しでも皆の役に立ちたいと思いその場に残った。
さっそく一人の女子が質問をする。
「誰が誰の名前を刺繍するのか決まっているのですか?」
「いいえ。お隣の席の方でもいいですし、気になる方でもいいですよ」
レニーの言葉に、数人が息をのんだ。
「さ、早い者勝ちです。私はクリストフ殿下にしましょうか」
早い者勝ち……。いつも和やかな休憩室に緊張が走る。そして、ベルナールの争奪戦が始まった。気の強そうな三人の女子が、私が私がと、ベルナールを取り合う姿にレニーは苦笑する。結局、ベルナールの腕章はその三人が数文字ずつ担当することになった。結局、誰がどの文字にするのかで揉めるのだが。
「あ、あの」
ベルナールの件が片付くと、オドレー・ヤンス子爵令嬢が小さく手を挙げた。
「私、アンリ・ガルフォン伯爵令息の名前を刺繍したい……です」
婚約直前だった相手を忘れられないのだろう。皆は事情を知っているので笑顔で頷いた。
「私はノーラン・サラーン男爵令息のお名前を」
ソフィ・ランシアン男爵令嬢もオドレーに続いて悲恋の相手を挙げた。女子全員で応援している二組がまとまったところで、レニーが言った。
「男子が一八人に対して、ここにいる女子は八人。刺繍の得意な人は二人以上受け持つことになるわね」
先ほど手を挙げたオドレーとソフィは、他の名前は刺繍したくないだろう。
「私、刺繍はあまり得意ではないのですが、ジョセフ・キャロン伯爵令息の分も担当しようかしら」
レニーがジョセフの名前を出すと、ローズ・ナオン伯爵令嬢は、思わず小さな悲鳴が出たその口を両手で覆った。
「ローズさん、何か?」
ローズは何も言えずに口ごもる。ローズとジョセフが思い合っていることは、ここにいる女子にはお見通しである。その上、長期休暇にレニーの貸し出した恋愛小説にどっぷりはまった彼女たちは、レニーの思惑にも気がついていた。
「レニー様が他の男子の名前を刺繍されたと知ったら、クリストフ殿下はとても悲しまれますわ。私がジョセフ様を引き受けます」
一人が悲痛な表情を作って大袈裟に声を上げる。すると、
「あなたは刺繍が得意ではないでしょう。ここは私が」
「いえ、いえ。とんでもない! ベルナール様の三文字だけでは暇なので、この私が」
次々と女子たちが立候補をする。想像もしなかったこの状況に、ローズは口をパクパクさせるだけで精一杯だ。
「あのー、私がしましょうか? 刺繍は得意な方ですし」
本当の揉めごとだと思ったシモーヌが、おずおずと口を開いた。
これはどう対処すればいいの? と、悪ノリ中の女子たちが目で合図を送り合っていた時……。
「だめっ! わ、私がジョセフ様の名前を刺繍します!」
声を裏返しながら、ローズが立ち上って宣言した。その途端、
「どうぞ」
「よろしく」
「ローズさん、よろしくね」
さっきまでジョセフの分を取り合っていた女子たちは、挙げていた手をシレッと下ろす。まるで、手のひらを返したような女子たちの態度に、ローズは嵌められたことを悟った。
恥ずかしさと嬉しさで真っ赤になりながらも、ローズは小さな声で皆に「ありがとう」と言う。ローズにも皆の思惑は伝わったようだ。立候補していた女子たちは、やれやれと笑い合った。
刺繍の得手不得手などを考えて男子全員が無事振り分けられ、シモーヌはフランシス、ジャン、ビクターを担当することになった。意外なことに、ベルナール以外の高位貴族の分は、最後まで誰もやりたがらなかった。女子たち曰く、彼らに刺繍の腕前を見せるのは恥ずかしいらしい。
結局、ジョルジュはレニーが、ジルはシモーヌが担当することになった。
「シモーヌさんだけ、多くなっちゃったわね」
一人の女子がシモーヌを心配したが、シモーヌは首を横に振り笑った。
「小さな時から、読書と刺繍はたくさんしていたので」
シモーヌは幼い頃からよく熱を出した。熱が下がっても体力が戻るまではベッドから出てはいけない。暇なシモーヌに母が刺繍を教えてくれた。そのせいか、刺繍はシモーヌの数少ない特技なのである。
次の日、放課後の教室には輪になって腕章に刺繍をする女子たちの姿があった。
常に六、七人は参加し、皆おしゃべりしながら手を動かした。刺繍が苦手な女子にステッチを教えたり、逆にデザインのアイデアを聞いたり。シモーヌにとって、生まれて初めての『同世代女子との社交』はとても楽しいものだった。日が経つにつれて刺繍以外の会話もするようになり、シモーヌが悩んでいたことが幻だったのでは? と思えるほどに会話は弾んだ。
「でね、ジョセフ様がまた私のくせ毛をからかうの!」
そのジョセフの名前を丁寧に刺繍しているローズが愚痴を吐く。
シモーヌ以外の女子は、ごちそうさまと聞き流す。が、シモーヌは不思議に思っていた。ローズとジョセフが喧嘩している姿はよく見掛ける。それほど仲が悪いのにいつも一緒にいるのも、そんなに嫌いなジョセフの名前を大切に刺繍するのもわからない。
しかし、そのことをローズに指摘するのはよろしくないということは、何となくシモーヌにもわかった。女子の気持ちを理解するには、まだまだ時間がかかりそうだ。
「そうそう。もうじき学園に近衛隊が来るでしょう? もしかすると、シモーヌさんのお兄様もいらっしゃるの?」
アンリの名前に苦戦しているオドレーが、唐突にシモーヌに話し掛けた。アンリの父であるヤンス子爵は王宮で仕事をしている。何度か父について王宮を訪れたアンリは、シモーヌの兄アランを見掛けたことがあったのだ。
「近衛隊のベルジック侯爵令息と言ったら、アラン様?」
皆一斉にシモーヌを見た。男子生徒にはシモーヌがアランの妹であることは広く知られているようで、アランの妹を一目見ようと教室を訪れる者は学年を問わず存在した。しかし、女子でシモーヌとアランの関係は知っている者は少ないようだ。
「えっ。近衛隊で一番ステキと言われている、あのアラン様の!?」
急に色めき立った女子たちに、シモーヌは困ったように頷いた。兄がステキ?
「よく観察すると、シモーヌさんはアラン様に似ているのよね」
女子しかいない緩い空気のせいか、レニーが大口を開けてカラカラと笑う。
それを聞いた女子たちはどやどやとシモーヌの顔を覗き込む。大勢に至近距離で観察されるという異常な状況に、シモーヌは恥ずかしさのあまり顔を赤くして涙目になる。
その表情を見た女子たちの頭に、原石という単語が浮かんだ。この原石はきちんと手を掛ければ、とんでもないモノに進化するだろう。自分より地味だと思っていたシモーヌに女としての地位を脅かされた女子たちだが、それ以上にそのシモーヌに似ているアランにも俄然興味が湧く。
「私の姉が行儀見習いで王宮に仕えていた時は、休暇の度にアラン様の話ばかりしていましたわ」
一人が思い出したように語る。それを聞いた女子たちは、ぜひ見てみたいと再び盛り上がった。
皆がアランを褒め称える状況に、シモーヌはなんだかくすぐったくなる。しかし同時に、近衛隊に自分の悪評が広がれば、アランに肩身の狭い思いをさせるのではないかと心配にもなった。
友人の一人もいない暗い令嬢なんて噂されては、アランの婚約にも差し支えるかもしれない。




