第二十五話 クリストフの苦肉の策とレニーとベルナール
時間は遡って、数日前の休憩時間。
ベルナールに呼び出されたレニーは、目をキラキラとさせていた。
「そういうことでしたら、喜んで協力させてもらうわ」
クリストフとベルナールが考えた奥の手。隊列行進の際に、男子生徒が着用する特別な腕章がある。その腕章に、女子生徒が個々の名前を刺繍するというものだ。
事の発端は休暇中に、クリストフがレニーから聞かされた話。
「オドレー・ヤンス子爵令嬢はアンリ・ガルフォン伯爵令息のことが諦めきれないようですね。あそこは婚約直前でしたね。ノーラン・サラーン男爵令息はソフィ・ランシアン男爵令嬢に婚約を申し込んだのです。だけどランシアン男爵に、もう少し情勢を見ようって断られたそうで。ソフィ嬢はショックでしばらく泣いていたそうです」
婚約が決まってから、レニーは王宮に私室を与えられている。公務の間にお茶に誘ったクリストフは、レニーからクラスメイトの恋愛事情について聞かされていた。
「へぇ……しかし、レニーが人の恋愛に興味があったなんて意外だね」
暑い季節だが日陰に入ると涼しい風が吹き抜ける。公務の間、王宮から出ることができないクリストフを思い、レニーは王族専用の庭でお茶を飲むことを提案していた。
「違う、と言いたいところですけど、どこの国でも女子に恋愛話は付きもの。皆さん、外国の恋愛話を聞きたがるのと同時に、ご自分の話も聞いて欲しいんですよ」
レニーと仲良くなった女子生徒は、少し大人っぽいレニーに恋愛の悩みなどを話しているらしい。レニーが編入してからまだ二ヶ月弱。クリストフはレニーの人望の厚さに驚いた。
「ここでは申し上げにくいのですが、そもそも王家のゴタゴタで国中の婚約が止まっているでしょう?」
レニーが王国のタブーを平然と口にする。隣で給仕をしていた侍女は、危うくティーポットを落としそうになった。
「それなのに私たちだけが婚約成立って、気が引けてしまって」
クリストフはやっとの思いでレニーと婚約できたのに、まさか解消されてしまうのではと焦る。そんなクリストフの思いを見抜いたように、レニーは優しい笑顔を向けた。
「あの事件があって何年でしょうか。あれ以降、殿下が入学されるまでに間に、学園の入学基準が変わったと聞きました」
レニーの淡いブルーの瞳は、じっとクリストフを見つめる。クリストフは涼しいはずなのに額にじんわりと汗をかいた。
ごく一部の者しか知らないことだが、入学試験の際に極秘で家の調査が行われるようになった。国王が学友だった者に命を狙われたことを、王妃が問題視したからだ。もちろん、ステイシー公爵家も徹底的に調べられている。
「まぁ、いいのです。要は今、殿下と同じ学園で共に学んでいる生徒たちは、皆真っ白な家の子女ということですわね」
クリストフは頷く。レニーはそれだけ聞きたかったようで、満足そうに微笑んだ。
「学園の生徒同士ならどの家がくっつこうと王家に得はあっても害はない、ということですね。良かったわ」
パンと両手を合わせて、レニーは嬉しそうに言った。
「それでしたら本人同士に頑張っていただいて、生涯のパートナーを自ら選んでもらいましょう。両家に問題がなければ、婚約したばかりで縁起の良い殿下が、自ら祝福を与えるなんてステキでは? あら、どうしましょう。これから学園内で婚約者探しが増えますわよ」
家庭円満、子孫繁栄が国を大きくする、との家訓を持つステイシー公爵家。そこで育ったレニーは、未来の国母としての仕事と言わんばかりに張り切っている。クリストフにはレニーが誰かに見えた。あ、あれだ。若い騎士と侍女をくっつけようとする侍女長だ。
「あと気になるのは、ジョセフ・キャロン伯爵令息とローズ・ナオン伯爵令嬢ね。殿下の斜め後ろの席にいる」
「あぁ、いつも目も合わせない二人か。何だ、あそこは喧嘩でもしているのか?」
レニーは信じられないといった様子で、その目を見開いた。
「殿下。本気で仰ってますの? 逆ですよ。逆。あの二人は両思いです。ふふふ、両片思いって言うらしいですよ」
得意げに言うレニーに、今度はクリストフが目を見開いた。目も合わさないその二人は、お互いに鋭い言葉を投げ合っている。それが両思いとはレニーの勘違いでは?
「私の勘違いだとお思いでしょう? 一部の女子の間では有名ですよ。あの二人が言い争うのは、相手が自分以外の異性とお話した直後です。それに、常にお互いを目線で追いかけっこしていますからね」
クリストフは驚愕する。普通、目も合わさないで喧嘩ばかりしている二人から、そんな空気を感じることは難しいだろう。レニーは鋭すぎやしないか。いや、女子は全員、そういった能力を持っているのだろうか……。
「大丈夫です。気づいていないのは殿下だけではないですよ」
レニーは自分の考えていることもお見通しなのか? クリストフはダラダラと汗をかいた。
「それに私が編入してすぐの頃と違って、男女がお互いを意識し始めたでしょう?」
えっ、そうなの? とクリストフはまた驚いた。しかし、これ以上レニーに鈍く思われたくなくて、思わず何度も頷いた。
「最近、男子生徒からも女子生徒からも相談を受けます。お相手をお茶に誘いたいとか、おすすめのカフェはどこか、とか」
えっ、そうなの? とクリストフはまたまた驚いた。自分はそういった相談などされたことがない。本当に、レニーはいつの間に人の心に入り込んだのだろう。彼女が政敵でなくて本当に良かった。
「男女で楽しそうに過ごしている方たちも、以前より見かけるようになりました」
「フランシスたちとシモーヌ嬢のようだな」
「……あそこは特殊というか、何というか」
シモーヌたちの様子を思い出した様子のレニーが、困った笑みを浮かべる。
「まぁ、あとは何かのきっかけがあれば、男子と女子の仲はもっと良くなるでしょう」
男女のきっかけ。いくら王太子といえども、クリストフにはどうすれば良いかなんて想像もつかない。難しい顔をして黙り込んだクリストフを、レニーは涼しい顔で見つめていた。
「で、練習にお疲れ気味の男子たちを発憤させろと言うことですね」
「さすがレニー。話が早い」
ベルナールから褒められ、レニーは微笑んだ。
「同じクラスの女子が、自分のために腕章に刺繍をしてくれた……それは元気が出ますね。殿下にしては良い案です」
そう言ったものの、きっとこのモテ男が導いたのだろうとレニーは考えた。
姉の影響なのか、幼い頃から女性の扱いには長けているベルナール。レニーに見つめられて、ベルナールは肩をすくめた。
ベルナールは、従兄弟が幼い頃から思いを寄せているレニーが少し苦手だ。
昔から頭が良く回り、ズバッと物申すレニーとはよく喧嘩をした。口では毎回負けるのだが、まさか女の子に手を出す訳にはいかない。どうしてやろうかと思っているうちに、レニーは遊学の為あっさりと目の前からいなくなった。
久しぶりに会ったレニーは穏やかでいつも笑顔でいる。しかし、洞察力は確実に磨かれている。クリストフがレニーに嘘をつくことがあれば、どんな小さな嘘でも必ず見抜いてしまうだろう。
ベルナールは綺麗に微笑むレニーが恐ろしかった。
「誰が誰の腕章に刺繍するかは、こちらで考えても?」
「もちろん」
ニコニコするレニーと腕章を渡す日時を決めて、ベルナールは大役を終えた。
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