第十一話 母と母の友人と噂話
シモーヌが応接室に向かうと、女性の賑やかな笑い声が廊下まで聞こえていた。
「お母様、失礼します」
応接室に入ったシモーヌを、イネスと向かい合って座るふくよかな婦人が迎えた。
「シモーヌ。グランジュ伯爵夫人があなたに会いに来て下さったのよ」
ベルジック領のすぐ隣にあるグランジュ伯爵領。この辺り一帯は、初代ベルジック侯爵の親戚筋で固められている。グランジュ伯爵家も例に漏れず遠い親戚に当たる。
しかも、グランジュ伯爵夫人であるジャネットは、イネスの女学園時代の同級生だったこともあり、特に仲が良い。ジャネットの末息子はアランと同じ年齢で、幼いころのアランはジャネットに息子同然に扱われていた。
「あらあら、まぁまぁ! 少し見ない間にすっかりレディになったわね、シモーヌ!」
ジャネットはおおげさにシモーヌを褒めた。子どもが男性だけのジャネットは、昔からシモーヌに甘い。イネスはシモーヌに座るよう促した。
「あなたが暇を持て余しているだろうって、わざわざ来て下さったのよ。どっちが暇なのかわからないわね」
クスクス笑うイネスに、ジャネットは本当ね、と声を上げて笑った。イネスとジャネットはいつもこんな感じだ。シモーヌがイメージする友人像は、この二人なのかも知れない。
「ほら、シモーヌは私たちの母校に入れる予定だったでしょう? どちらの学園に通っても親元を離れることになる。ならアランがいる王都の学園の方がいいってブライアンが決めちゃったけどね」
「ねぇ。女学園なら色々教えてあげられたのに。寮の抜け出し方とか」
あったわねぇ、とまた夫人たちは笑う。まるで女学生に戻ったかのような賑やかさだ。
「私たちの頃は、男女共学の学園に入るご令嬢があまりいなかったの。シモーヌの話を聞きたくて、暇の合間を縫って駆けつけたのよ」
ジャネットは少々ふくよかだが、年齢を感じさせないその顔はとても可愛らしい。イネスいわく、女学園時代は一、二を争うモテぶりだったらしい。
「あの時はすでに婚約していたからモテても関係なかったけど、今の時代だったら選び放題ね」
そう。イネスもジャネットも、女学園に入学する前にはすでに婚約者がいた。イネスたちだけでなく、皆早くに婚約するのが当たり前だったのだ。
「私はこの結婚が大正解だと思っているわ。イネスとも親戚になれたし」
「そうね。女学園の卒業パーティーには皆の婚約者が来て賑やかだったわ」
シモーヌはクラスメイトの顔を思い浮かべた。シモーヌの知る限り、婚約をしているのはクリストフ王太子とレニーだけだ。その他は聞いたことがない。この学園だけ特別なのだろうか。婚約していたら入学できないとか……。
シモーヌが考え込んでいると、ジャネットがテーブルの焼き菓子を摘まみながら言った。
「クリストフ王太子殿下とステイシー公爵令嬢のご婚約が決まったらしいじゃない。やっと殿下の恋が実ったとか。これからは流れが変わるわね」
「流れ?」
シモーヌが聞くとジャネットは時間を掛けてクッキーを味わい、たっぷり焦らしてから口を開いた。
「ここだけの話よ」
ルゼラン王国では、貴族の婚約は当主同士で結び、数年の婚約期間を置いてから結婚するのが一般的だった。その家が有力であるほど、子どもの年齢の低いうち婚約が整った。しかし、五年前の重大な出来事をきっかけに、貴族の婚約には王家の承認が必要となった。
五年前、突然国王が表舞台に出なくなった。王妃が平然と代理を務めていたので、王国民はさほど心配しなかった。
国王の不在が長引くと同時に、貴族の婚約には王家の承認が必要との通達が出された。しかし届け出ても、すんなりと承諾されない。
そんな中、婚約解消をする家が現れた。はじめは、運命の相手でも見つかったのかと面白おかしく噂されたが、やがて婚約解消をする家が増えていく。
噂を笑っていた貴族にも、それに巻き込まれる者が出てきた。当事者たちは決して婚約解消の理由を話さない。それどころか婚約解消を機に、降爵や爵位を放棄する家まで出てきた。
貴族たちだけでなく、平民たちにもこの話は一気に広まり、王国民は国王の不在と増えていく婚約解消に不安を覚えた。
王国民の不満が高まってきた頃。ずっと沈黙していた王妃が、宰相を通して事の詳細を発表した。
発表されたのは、国王に対する謀反の事実。
何らかの方法で国王を害した者がいた。幸い、国王の命に別状はなかったが、すぐさま近衛隊を中心に犯人捜しが始まる。その結果、国王に近い貴族も怪しい者に取り込まれていたと判明した。信頼している王族派貴族に、悪意を持って縁づく家がこれ以上現れたら大変だ。
王妃は落ち込む国王に代わり、貴族の婚約に際して、徹底的にその家門を調べることを厳命した。洗いざらい調べるには時間が掛かる。婚約の承認に時間を要したのは、こういった理由からだった。調べた結果が黒だった家は、王家によって婚約破棄がなされた。
事件が落ち着くまで婚約を結ぶのに躊躇する家が出てくるのは当然。貴族たちは痛い腹を探られることを嫌がった。
家の繁栄に必要な婚約が結べないことは、貴族にとっては非常に厳しい事態。
しかし、そう思っているのは、あくまでも親世代だけだった。
当のご子息ご令嬢は、学生生活や仕事をする上で、ごく自然に異性と出会い、自由に恋愛をする幸せを知った。
この恋愛は結婚に結びつくのだろうか。
若い恋人たちが悩む最中、初恋を実らせたクリストフとレニーの婚約が発表された。恋愛中のご令息、ご令嬢たちは一気に沸いたのである。
事件の方はというと、結局犯人は捕まってはいないが、関係した家はすでに褫爵したとだけ公表された。犯人を隠したグレーな形での幕引きだった。
──何、これ。なんてミステリー!?
シモーヌの目がベルナール以上にギラギラと光り輝いた。
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