第一話 シモーヌと陰キャ貴族令息①
連載版になります。第一章完結。
毎日投稿する予定です。
ゆるゆるとお楽しみください。
深呼吸を三回する。
扉をそっと開き、なるべく目立たないように教室に入る。授業前の賑やかな教室は一瞬だけ静まり、また騒がしくなる。
漂う空気の微妙な変化を感じながら、シモーヌ・ベルジック侯爵令嬢は教室の後ろの席へと向かった。女子生徒の半数はシモーヌを見てヒソヒソと話し、男子生徒はそれには気づかないで談笑している。
その間を抜けて席に座り、シモーヌはやっと小さく息を吐いた。
シモーヌの席は、扉から一番遠い窓際で後ろから二番目。机の横に鞄を置くと、ブックカバーを掛けた本を取り出した。授業や食事の時間以外、シモーヌは一人で読書をして過ごしている。
十五歳でこの学園に入学してから三ヶ月。クラスメイトは仲の良いグループを作り楽しそうに過ごしているが、シモーヌはいつも一人だ。もともと大人しい性格で社交的ではない。大勢でいるよりも一人を好む。友人作りに出遅れた今は、ミステリー小説に夢中。
それを抜きにしても、シモーヌにはクラスメイトから避けられる理由があった。
あはは、うふふ。
今日も、その人たちの楽しそうな笑い声が教室の前方から聞こえてくる。
シモーヌは、その騒がしいグループに目をやる。グループの中心にはフワフワしたピンク髪の華やかな令嬢、アデル・ルソー侯爵令嬢がいた。
アデルとシモーヌは入学する直前まで、クリストフ王太子殿下の婚約者候補だった。二人とも最終選考まで残ったが、シモーヌは先に選考から外れたのだ。
シモーヌよりも自分が選ばれたと思っているアデルは、同じ爵位の令嬢として優越感を抱いているのだろう。入学初日からシモーヌを見つけては、意地悪な笑顔を浮かべて嫌味を言った。毎日繰り返されるその光景に、クラスメイトたちは触らぬ神に何とやら……と、シモーヌに近づかなくなった。
アデルの傍らにはいつも同じメンバーがいる。
王太子のクリストフ、代々宰相を務めるドルレアン侯爵家嫡男のジル、辺境伯家嫡男のジョルジュ・アルディ、クリストフの従兄弟でディアナ公爵家嫡男ベルナールの四人である。
シモーヌはその見た目から、キラキラ、メガネ、ムキムキ、ギラギラと勝手に心の中で呼んでいた。不敬にあたるので決して口には出さないが。
シモーヌが読書に戻ろうとした時、アデルの声が一段と大きくなった。どうせ、いつもの言葉を掛けられて喜んでいるのだろう。シモーヌはうんざりしながらもう一度アデルたちに目をやる。ちょうど、クリストフがアデルの髪を見つめているところだった。
また始まった。きっとクリストフ殿下はこう言う。アデルの髪は可愛いイチゴのようだね、と。
「アデルの髪は可愛いイチゴのようだね」
アデルは言うのよ。あらぁ、食べられませんのよ。
「あらぁ、食べられませんのよ」
次にメガネが言うの。アデル様の爪もイチゴ色ですね。
「アデル様の爪もイチゴ色ですね」
次はムキムキ。アデル嬢のような可憐な女性を守るため、来年は騎士科に進むよ。
「アデル嬢のような可憐な女性を守るため、来年は騎士科に進むよ」
最後はギラギラ。アデルのような婚約者がいれば楽しいだろうなぁ。
「アデルのような恋人がいれば楽しいだろうなぁ」
あ、外した。今日は恋人バージョンか。シモーヌは理不尽とは分かっているが、ギラギラことベルナールをそっと睨んだ。
入学してから三ヶ月。どうして毎日同じことを言われて喜べるのだろうか。
シモーヌも気に入った小説は何度も読み返すが、三ヶ月もすれば続編や別の本が読みたくなる。
まさか卒業まであの会話を繰り返すのか。聞こえてしまっているこちらからすると、まさに地獄の再放送だ。ちなみに昼休み用会話も放課後用会話も覚えてしまった。
そもそも、男子ってそんな会話しかしないのか。他の男子生徒の会話もそうなのか……。
その時シモーヌの耳に、後ろの席に集る男子生徒たちの会話が飛び込んできた。
シモーヌの後ろの席はラザノ伯爵家三男のフランシス。フランシスの席には休み時間の度に、ジャン・コガン子爵令息、ビクター・ウリエル男爵令息がやってくる。
三人とも、小さな伯爵家や爵位が高くない家柄の出身で嫡男ではない。ビクターに至っては五男である。
シモーヌはこの三人がどんな会話をしているのか気になり、読書をするふりをして聞き耳を立てた。
「ハーブにアンチョビつけて食べると、カブトムシの味がするって話あるじゃん? 俺、昨日やってみたぜ」
一番背の低いジャンが得意げに言うと、フランシスとビクターが身を乗り出した。
「本当か!? で、どうだった?」
長い前髪で目元を隠したフランシスが聞く。いつも寝ぐせがついた赤毛のビクターも、大きな体でジャンに迫る。
「ハーブにアンチョビつけた味だったわwww」
「何だ、それwww」
「そもそも、カブトムシ食ったことあるのかよwww」
「なかったわwww」
ゲラゲラゲラ……。
何かしら、この会話。
シモーヌは衝撃を受けた。シモーヌが今まで聞いた貴族令息のソレではない。ないのだが面白い。それになんだか懐かしい。
シモーヌはなぜ懐かしいのかを考えた。そして思い出した。兄だ。兄のアランだ。
アランはベルジック侯爵家の嫡男で、シモーヌのたった一人の兄妹である。年は五歳離れている。
アランとシモーヌは同じ紺色の髪と瞳を持つが、なぜかアランは抜群に見目が良い。そして学園在学時代に騎士科で学んだアランは、卒業後、異例の早さで王室近衛隊に配属された。そのためか、学園を卒業した今でもアランは男子生徒の憧れだ。特に騎士科の男子生徒には、アランを知らない者はいないぐらい。シモーヌは入学するまで、アランがそんなに有名だとは知らなかったが。
シモーヌからすると、アランはまさに先ほどの会話と同じようなことしか話さない人だ。
会話の内容以上に行動もアレだ。幼い頃のアランは、捕まえた虫やカエルに紐を結びつけては『お散歩』と称して屋敷内を練り歩き、それを目撃した侍女たちの悲鳴があちらこちらで上がり、そして母にいつも特大の雷を落とされていた。
「男子なんて所詮はバカなのだから、私たち女性がしっかりと家を守るのよ!」
母はアランを叱った後で、シモーヌに必ず言い聞かせた。父は、
「男子なのだからそのうち落ち着くさ。私もそうだったよ。私の時はカエルのお尻に……」
と、アランを庇っているつもりなのか、そんなことを言い出してはこちらも母に大雷を落とされていた。
三人の会話はまさにアランそのものである。母と父の言うことは正しかった。
やはり男子はこれが当たり前なのだ。一人納得したシモーヌは、次の日から後ろの会話に自然と意識が向くようになった。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。
明日の投稿は19時頃の予定です。
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