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第5話 戦士の器

「カナトを助けて……お願い!」


 巫女の祈りが、夜空に響いた。


 その瞬間、世界が静止する。

 風も、波音も、すべてが止まる。

 時間そのものが、息を潜めた。


  ニライカナイや 海ぬはて

  光降りて 命結ぶ――


 カナトの周りに、かすかな光が宿る。

 最初は蛍の光みたいに、ほんのり淡く。


 その光は、だんだん強くなっていく。

 金色に、銀色に、そして虹色に。

 光の粒子が彼の体を包み込み、ゆらゆらと舞い踊っていた。


 聞こえてくる。

 カナトの魂の奥底から響く、声にならない叫び。


 ――俺は、何者なんだ――

 ――なぜ俺は、ここにいる――

 ――この空虚な心は、なんなんだ――


 光に包まれて、カナトの記憶が……いや、彼の正体が明かされていく。


 カナトは、ニライカナイから送られた戦士だ。

 でも、普通の戦士じゃない。

 神の力を宿すための『器』。

 記憶も、感情も、心も、何もない。

 ただ使命を果たすためだけの、空虚な入れ物。


 だから、初めて会ったあの時、海から現れた彼は、名前以外は何も覚えていなかったんだ。

 産まれたての赤ん坊と同じ。

 記憶なんて、最初から存在しなかったから。


 でも。


 わたしとの日々が、彼を変えた。

 一緒に食事をして、一緒に笑って、一緒に過ごした時間が、空っぽだった器に、少しずつ心を注いでいった。


 喜ぶこと。

 驚くこと。

 誰かを大切に思うこと。

 人間らしい感情を、彼はひとつひとつ学んでいったんだ。


 そしていま、わたしの祈りが、彼を完全に目覚めさせようとしている。

 もう、空っぽの器なんかじゃない。

 人の心を持った、本当の戦士として。


 パアアアァァァッ――


 光が爆発的に広がる。

 カナトの体が宙に浮き上がり、黒髪が激しく舞う。

 全身が、神々しい光を放っていた。


 彼の背中から、巨大な光の翼が現れる。

 純白に輝く、天使の翼。

 羽の一枚一枚が光の粒子でできていて、はらはらと舞い散っては消えていく。


 その神聖な光に押されて、嵐蛇が後ずさりした。

 三つの頭が恐怖に震え、低い唸り声を上げている。


 カナトが、ゆっくりと右手を天に掲げる。

 雲間から、一筋の雷が降りてきた。

 美しく、神聖な光の雷。


 ガシャン!


 その雷がカナトの手に降り注ぎ、形を変える。

 刃は青白い雷を纏い、バチバチと弾ける。

 柄は黄金の光を放ち、古代の文字を浮かび上がらせる。


 雷槍。

 神の武器が、彼の手に握られていた。


「滅せよ」


 カナトの声が、空気を震わせた。

 威厳に満ちた、神の戦士の声。

 その奥に、守りたいという熱い意志が沸る。


 カナトが雷槍を構える。

 空気がびりびりと震える。

 草花が彼の力に呼応するように光を放つ。

 島全体が、彼を祝福していた。


 最後の抵抗を試みようと、嵐蛇が三つの頭から黒い稲妻を吐いた。


 バリバリバリ!


 カナトはそれを軽やかにかわす。

 光の翼で宙を舞い、踊るように稲妻をすり抜けていく。

 そして、怪物の真正面へと迫った。


「終わりだ」


 低く響く声と共に、カナトが雷槍を振り上げる。


 ズシャアアアァァァン!!!


 青白い雷の槍が、嵐蛇の胴体を一閃した。

 まぶしすぎる光が夜空を切り裂き、雷鳴が大地を震わせる。


 そして――


 ビリビリビリビリ!


 雷の力が、怪物の体中を駆け巡った。

 黒い雲でできた体が、内側から崩壊していく。

 嵐蛇の三つの頭が、苦悶の叫びを上げた。


 オオオオオォォォ!


 でも、その叫びも途中で切れる。

 雷槍の力が、怪物を完全に消滅させてしまったから。


 ぼろぼろと、黒い雲の破片が空から降ってくる。

 それは地面に落ちる前に細かい砂に変わり、星空に溶けて消えていった。


---


 静寂が、島を包む。

 嵐は止み、雲が晴れて、満天の星が輝いている。

 悪夢は覚め、平和が戻ってきた。


 カナトがゆっくりと地面に降り立つ。

 雷槍はきらきらと光の粒子になって消え、光の翼もやがて薄れていった。

 でもその姿には、まだ神々しい光が残っている。


 気がつくと、わたしは彼のもとに駆け出していた。


「カナト!」


 彼が振り向く。

 戦士の威厳は消え、いつものやさしいカナトがそこにいた。

 そっと両手を伸ばして、わたしの頬を包み込む。


「怪我はないか、ユリハ?」


「うん、大丈夫。カナトは?」


 涙が勝手にぽろぽろと溢れてくる。


「……わかったんだ。俺が何者か」


 カナトは静かに告げる。


「俺はニライカナイから来た戦士だった。でも……」


 その声が、いちど途切れる。


「その役目は終わった。今の俺はもう戦士じゃない。ユリハを愛するひとりの男だ」


 わたしの心臓が、ドクンと脈打った。


「これからはユリハと共に生きたい。ずっと、お前の隣にいたい」


 もう、だめだ。

 涙が止まらない。


「わたしも……わたしも、カナトと一緒にいたいよ」


 彼がそっと顔を近づけてくる。

 今度は、誰にも邪魔されない。

 わたしは目を閉じて、彼を受け入れる。


 そして、やわらかな唇が、わたしの唇に触れた。

 甘くて、温かくて、世界で一番幸せな口付け。


 しばらくして唇を離すと、周りから拍手の音が聞こえてきた。

 振り返ると、村人たちがこちらを見つめている。


「ニライカナイの戦士様……」


 長老が、こちらに進み出た。


「島を救ってくださり、ありがとうございます……」


 でも、カナトは首を振った。


「俺はもう戦士じゃない。ただの男だ」


 そして、わたしの手をぎゅっと握って言った。


「ユリハと一緒に、この島で、普通の人間として暮らしたい」


 長老が、涙をぬぐいながら頷いた。


「そうですか……でも、あなた方のおかげで、わしらは大切なものを思い出しました。祈ることの大切さ、信仰の意味を」


 そうだ。

 きっと、これから変わっていく。

 この島も、村の人たちも。


 カナトがわたしの手を握り直す。

 その手は温かくて、力強かった。


「一緒に歩こう、ユリハ。新しい人生を」


「うん」


 わたしは、心の底から笑顔になった。


 空を見上げると、東の空がほんのり明るくなっている。

 もうすぐ、夜明けがやってくる。

 カナトと迎える、新しい朝が。


 きっと、これからはもっと、素敵な毎日になる。

 大好きな人と一緒なら、どんなことでも乗り越えて行けるから。


 そう、信じられるから――



 

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