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第2話 島の伝説

 十六世紀。

 首里の王が、琉球を統べる時代。


 南の海に浮かぶ、この留真理島(とぅまりじま)には、ある古い言い伝えがある。

 百年の昔、嵐をまとった巨大な怪物が現れて、島を襲って滅ぼしかけた。

 その時、海の向こうのニライカナイからひとりの戦士がやってきて、怪物を退治してくれた。

 そんな昔話。


 今じゃ、信じている人なんていやしない。

 島の豊作を願うお祭りも、神様に祈りを捧げる儀式も、全て忘れ去られてしまった。

 みんな、普段の生活で手一杯なんだ。


 わたしは、そんな島で巫女の家に生まれた。

 ろくに祈りもしない、役立たずの巫女。

 村の連中は、陰でわたしのことをそう呼んでいる。

 だから、わたしはいつもひとりきり。


 でも、今は隣にカナトがいる。

 それだけで、いつもと同じ風景が、なんだか輝いて見える。


---


 カナトの手を引いて、わたしは砂浜を後にした。

 村の連中に見つかったら、面倒なことになる。

 得体の知れない男を連れているなんて知れたら、皆に何を言われるかわかったもんじゃない。


 村人がめったに通らない獣道を選んで、森の奥へと進んでいく。

 頭上では、大きなガジュマルの木が空を覆い隠していた。

 無数の気根が、まるで巨大な生き物の足みたいに地面に伸びている。


 昼間なのに、薄暗い。

 湿った土の匂いと、腐葉土の匂いが混じり合って立ちのぼる。


 カナトは黙ってわたしの後をついてきた。

 時々、珍しそうに周りを見回している。

 彼の様子を見ていると、胸の奥が不思議な気持ちでいっぱいになった。


 切り立った崖の中腹にある洞窟に、彼を案内する。

 ここなら、誰も来ない。


 洞窟の中で一息ついてから、わたしはカナトを外に連れ出す。


「服、汚れてる。水浴びした方がいいよ」


 彼の着ているものは、破れて泥だらけだったから。


---


 洞窟を出て、森を深く進む。

 やがて、ごうごうと響く水の音が聞こえてきた。

 木々の隙間から、真っ白な滝が見える。


「すごい……」


 カナトが、小さく声を漏らした。

 わたしだけが知っている、島の秘密の場所のひとつ。


 何段にもなって流れ落ちる滝が、陽の光を浴びてきらきらと輝いている。

 滝壺の水は、信じられないくらい透き通った緑色。

 周りには巨大なヒカゲヘゴの群れが、傘みたいに葉を広げていた。


 苔むした岩の上を、冷たい飛沫が舞っている。

 空気がひんやりとして、とても気持ちがいい。


 カナトはためらうことなく、ぼろぼろになった上着を脱いだ。

 そして、わたしの方をちらりと見て、少しだけ照れたように笑った。


 どきり、と心臓が跳ねた。

 わたしは慌てて顔を背ける。


 見ちゃいけない、気がする。

 でも……見たい。


 そっと振り向き、彼の姿を盗み見た。


 日に焼けた褐色の肌。

 細く引き締まった腰から、広い背中にかけてのしなやかな線。

 動くたびに、浮き上がる筋肉の筋。


 男の子って、こんなに綺麗なんだ……


 顔が、かあっと熱くなる。

 きっと、この森の蒸し暑さのせいだ。

 そうに違いない。


 カナトはゆっくりと滝壺に入っていく。

 冷たい水に、気持ちよさそうに息を吐いた。

 滝に打たれ、黒い髪をかきあげる。


 水滴が彼の黒髪を伝い、首筋を流れ、逞しい肩に散った。

 その一瞬一瞬が、目に焼き付いて離れない。

 白い水飛沫の中、彼の姿は凛々しい海神様のように見えた。


 あまりの綺麗さに、息をするのも忘れる。

 わたしは岩陰に座って、カナトの姿をただぼうっと眺めていた。


---


 それから、何日かが過ぎた。

 わたしは毎日、村人の目を盗んで、カナトのいる洞窟に食べ物を運んだ。


 焼いた魚や、ふかした芋。

 森で採った甘い果物。


 カナトはいつも、黙ってそれを美味しそうに食べた。


「これ、うまいな」


 彼がそう言ってくれて、わたしは嬉しくてたまらなかった。


 洞窟の中には、わたしが作った貝細工が置いてある。

 夜光貝を磨いて作った腕輪や、小さな貝殻を繋げた首飾り。

 カナトはそれを不思議そうに手に取った。


「なんで、光るんだ?」


「夜の海で光る貝なんだよ。綺麗でしょ」


 彼は腕輪を光にかざして、じっと見つめている。

 その横顔から、わたしは目が離せない。


---


 ある日、わたしはおばあが遺してくれた古い三線を洞窟に持っていった。

 ぽろり、と弦を弾く。

 哀しくて、でも温かい音色が、洞窟の中に響き渡った。

 カナトは目を閉じて、その音にじっと耳を澄ましている。


「……なんだろう、この音」


「三線だよ。島の楽器」


「懐かしい……気がする」


 彼の瞳が、遠くを見ている。

 何かを思い出そうとしているみたいだった。


 空っぽだった彼の器に、少しずつ、いろんなものが満たされていく。


 驚くこと。

 笑うこと。

 懐かしいと感じること。


 わたしが教えた言葉を、彼がひとつひとつ覚えていく。

 穏やかな時間が、たまらなく愛おしい。


 いつの間にか、わたしは孤独を忘れた。

 毎日カナトに会うのが楽しみで、朝が来るのが待ち遠しかった。

 彼と話していると、村で嫌味を言われたことなんてどうでもよくなった。


 カナトといるこの場所が、わたしの世界の全て。


 今日も、わたしは森を駆ける。

 少しでも早く、彼に会いたくて。

 洞窟の入り口で、そっと彼の名前を呼ぶ。


「カナト」


 すると、洞窟の奥から彼が顔を出す。

 そして、わたしを見つけると、少しだけ口の端を上げて、笑ってくれるんだ。


 カナトの笑顔が、ずっと頭から離れなかった。

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