第五話 おやつの時間
午後三時。オフィスにはキーボードを叩く音が響くが、どことなく集中が緩んだ空気が漂い始めていた。パソコンの画面を見つめながら、ふと視界の端に映った光景に目をとめる。
(ん?)
藤咲は、近くの同僚がデスクの引き出しを開け、何かを取り出すのを目撃した。よく見ると、それは小袋に入ったスナック菓子だった。袋を静かに開け、ひと口頬張る姿を見て、藤咲の中に疑問が湧く。
(お菓子って食べてもいいの……?)
気になった藤咲は、隣に座る橘に小声で尋ねる。
「先輩、職場でお菓子って食べていいんですか?」
「問題ないぞ」
橘はパソコンから目を離さず、淡々と答える。
「そうなんですね……。先輩も食べたりするんですか?」
「たまにな。どら焼きとか」
「どら焼き……!?」
予想外の回答に藤咲は思わず目を丸くした。
(いや、和菓子もお菓子か……仕事中に食べるイメージはまったくなかったけど……)
「えっと……他には?」
「そうだなぁ……。羊羹とか、まんじゅうとか」
(お年寄りなの!?……そういえばおじいちゃんの演技うまかったし……)
「和菓子が好きなんですか?」
「いや、別に」
「え?」
「コンビニの会計の時、なんとなく目に入って買ってるだけだ」
(あのレジ横のやつ!?……誰が買ってるのかいつも疑問だったけど、まさかこんなところに答えが……)
「そ、そうなんですね。私も今度お菓子買ってこようかな」
(何がいいかなぁ……。チョコとか食べやすいよね)
「どら焼きなら生クリーム入りがおすすめだ」
(どら焼きは買いませんけど!?)
「へ、へぇ~。どら焼きを買う時はそうしますね……」
(普通にチョコ系にしよう……)
藤咲は軽く笑ってごまかしながら、作業を再開するのであった。
――。
藤咲は課題を一つ終え、橘に確認してもらっていると、モニターの向かい側であくびをしている安川が見えた。つられて「ふぁ」と口が開きそうになったが、なんとか噛み殺す。
(危ない危ない……)
「なんだ、藤咲。眠いのか?初日なのに随分余裕だな」
「い、いえ!違います!」
(ううっ。見られてた……)
「課題増やすか」
「ちょ、待ってください!結構いっぱいいっぱいですよ!」
橘は藤咲をじっと見つめる。
その瞬間、向かいに座る安川が口を挟んだ。
「橘さーん。新人いじめちゃダメですよー」
その言葉に、橘は即座に安川へ顔を向け、鋭い目で睨む。
「うるさいぞ安川!お前は自分の心配をしろ!午前中にやれと頼んだやつはいつ終わるんだ?」
「げっ……はい、急いでやります……」
安川はすぐに引き下がる。
「さて、なんだったか……まぁいいか」
橘は藤咲の方へ向き直し、何事もなかったかのように課題のチェックを再開する。
(ううっ、安川先輩のおかげで助かったけど……そうなった原因も安川先輩だから素直に感謝できない……)
「よし。大丈夫そうだな。じゃあ、次の課題に入ってくれ」
橘はチェックを終えると、椅子のキャスターを転がして自席へ戻る。
「わかりました」
ホッとしながら返事をする藤咲。
だが次の瞬間、橘は立ち上がり、そのまま安川のデスクへ向かっていった。
「……え?」
橘は腕を組み、静かな声で言い放つ。
「で、いつ終わるんだ?」
「はい、すみません。すぐやります……」
安川が小さくなるのを横目に、藤咲は思う。
(橘先輩、安川先輩には容赦ないなぁ…)
ふと、不安がよぎる。
(あれ?私も慣れてきたらあんな感じの扱いをされるのかな……)
少し冷や汗をかく藤咲だった。
――藤咲メモ どら焼きなら生クリーム入り (今日買って帰ろっと)