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第四話 猫と花柄

 昼休憩を終えて席に戻った藤咲は、気合を入れて作業を開始したものの、数分もしないうちに軽い倦怠感に襲われた。


(あれ、なんか眠いかも……)


 午前中は緊張していたせいで余裕はなかったが、昼食後の満腹感と相まって急に瞼が重くなる。


「……はぁ」


 小さく息を吐きつつ、ぼんやりと隣の橘を盗み見る。

 相変わらず淡々と仕事を進めており、眠気などまるで感じていないように見える。


(先輩って眠くならないのかな?)


 疑問に思ったが、仕事の手を止めるわけにもいかず、そのまま自分の作業を続けた。


 午後の仕事が始まってしばらくすると、オフィスには徐々に落ち着いた空気が広がっていった。キーボードを叩く音がリズムよく響き、時折、電話の呼び出し音や書類をめくる音が混ざる。午前中と変わらぬ様子で仕事をする人が多いが、一部には昼休憩を引きずってまだ気だるげな社員、あくびをする人の姿もちらほら見えた。


(うう、私は新人なんだからしっかりしないと!)


 作業を進める藤咲だったが、ある場面で手が止まる。


(うーん……ここどうすればいいんだろう?)


 原因を探りながら、橘から「次はこれな」と渡された二つ目の資料を見直す。最初に渡された資料は彼女のレベルを確認するための課題だったらしく、簡素なものだったが、二つ目の資料では開発環境の構築方法を含めたプログラムの基本が網羅されており、丁寧な説明が添えられていた。さらに、資料の後半には練習問題が掲載されており、藤咲はその課題に取り組んでいた。


(にしてもこの資料、市販の参考書みたいにしっかりしてるなぁ……)


 説明自体はしっかりしているのだが、補足には猫や肉球マークが使われており、枠には花柄の装飾が施されているため、なにか”カワイイ”雰囲気がある。


(……これ、誰が作ったんだろう?)


 ふと気になり、資料の最初にある修正履歴を確認する。


――20XX.03.22 項目18の説明を修正 修正者:橘隼人

――20XX.03.20 項目5の説明を修正 修正者:橘隼人

――20XX.03.07 項目24を追加 修正者:橘隼人

――20XX.03.06 項目22と23を追加 修正者:橘隼人

――20XX.03.05 新規作成 作成者:橘隼人


(うん。途中からわかってたけど……。これは先輩の趣味ってこと!?全然イメージと合わない……。いや、待って、実はそういう素材しかなかったとか?)


 腕を組み、考え込んでいると橘の声が飛んできた。


「どうしたんだ藤咲。難しい所でもあったか?」


 缶コーヒーを片手に席へ戻る橘に、藤咲は慌てて答える。


「あ!いや!なんでもないです……」


「そうか?ならいいんだが」


 橘は席につき、缶コーヒーの蓋を開ける。その様子を見て、藤咲は意を決して尋ねた。


「先輩、この資料って先輩が作ったんですよね」


「そうだが、よくわかったな」


「修正履歴にそう書いてましたから」


「そういえば書いたな。最終的に全部俺が作ることになったから、あまり意味のないページになったが」


「この資料、すごくわかりやすいですよ!」


「そうか、それはよかった。去年まで市販の参考書を使ってたんだが、不便が多くてな。それを課長に相談したら、『じゃあお前が作れ』って言われた……」


 橘は当時を思い出して遠い目をする。


「それで……。この花柄の枠とかって先輩の趣味なんですか?」


「いや、それは素材がそれしかなかったからだ」


「あ、やっぱり!じゃぁこっちの猫や肉球マークもそうなんですね?」


「いや、それは俺の趣味だ」


「え?」


「ん?もしかして著作権を気にしてるのか?安心しろ、ちゃんとライセンスを購入してる」


(そこは別に気にしてないんですが……)


「まぁ、料金は会社持ちだがな」


(先輩の懐事情を心配しているわけでもないんですが……)


「お前も資料を作る時は使ってくれていいからな」


(まぁ、かわいいから使ってもいいけど……)


「えっと……。先輩は猫が好きなんですね?」


「好き……ではあるんだがな……」


(なんだろう?すごい遠い目をしてる……)


「あ!もしかして好きだけど猫アレルギーで触れないとかですか?」


「いや、違う。猫が……」


「猫が……?」


「俺を……」


「先輩を……?」


「襲う」


(どゆこと!?)


「なぜかはわからんが、猫に遭遇すると俺は必ず襲われる」


「よくそれで猫を好きになれましたね……」


「いいか藤咲。猫は見てるだけで癒されるんだよ。あのふわふわの毛並み、伸びをする仕草、気まぐれな目つき、そして甘えるような鳴き声……完璧だ。ゴロゴロ喉を鳴らされてみろ。すべての疲れが消えるぞ」


「は、はあ……」


「しかし……俺は……動画でしか猫を愛でれないんだ……」


(めちゃめちゃ悔しそう……)


「そ、それはちょっと寂しいですね……」


「わかってくれるか?藤咲……」


「え、ええ……。私も猫を好きですし、実家で飼ってましたから」


「な、なんだと……。お前は猫と触れ合える人間なのか?」


(ほとんどの人がそうだと思いますけど!?)


橘はデスクに肘をついて頭をかかえる。


「な、なんで俺だけ……」


(そこまで!?)


「でも、もしかしたら猫は先輩のことを誤解してるだけかもしれませんよ?」


「どういうことだ!藤咲!」


橘はパッと頭を上げ、期待を込めるように鋭く見た。


「さぁ……それは私にもわかりませんけど」


橘は愕然として、また頭を抱えた。


藤咲はその後も励ましの言葉をかけ続けたが、橘はしばらく頭を抱えたままだった。どうやら、猫に襲われる宿命を再認識し、ショックを受けているようだ


(こんなに落ち込むとは思わなかった……)


 なんとか元気づけようと、藤咲はスマホを取り出し、実家の猫の写真を見せてみた。


「先輩、うちの猫です」


 次の瞬間――。


「……っ!」


 橘は驚くほど素早く顔を上げ、藤咲のスマホを凝視した。


「かわいい……!」


 さっきまでの沈んだ空気はどこへやら。橘は食い入るように画面を見つめ、完全に復活していた。


(かわいいとか言ってるけど、表情変わらないなぁこの人……)


 一瞬、いつもと同じ冷静な顔に見えた。しかし、じっと見ていると――。


(あ!違う!口元が……ほんの少し緩んでる!?)


 さっきまで無表情に見えていた顔が、気づけば微妙に柔らかくなっている。笑顔というほどではないけど、確かに「嬉しそう」に見える。


(私、普段「目」で表情を判断してたのか……だから気づかなかったんだ)


 思わぬ発見に驚く藤咲。しかし、それと同時に――。


「藤咲……もう一枚……」


「いや、仕事してくださいよ!」


 藤咲がスマホをさっとしまうと、橘は一瞬抗議の目を向けたが、何も言えずに肩を落とした。そして、深いため息をつき、しぶしぶ仕事を再開した。

 

 藤咲はその様子を見て、自分の作業を再開したが、橘はチラチラと藤咲のスマホを気にするように視線を送り続ける。それに気付いた藤咲はそのたびに小さく首を横に振って牽制する。橘が諦めたかと思えば、またチラリと覗き、藤咲がそれを察してじっと見返す――そんな静かな攻防がしばらく続いたのだった。


(先輩を猫カフェに連れて行ったらどうなるんだろう……)


藤咲はそんな考えがふと頭をよぎったが、大惨事になる未来しか見えず、静かにその考えを封印した。


――藤咲メモ 橘先輩は猫が好き (でも、猫は橘先輩が嫌い?)

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