第三話 お昼休み
昼の休憩時間が近づいてきた頃、オフィスの空気が少しずつ変わり始める。時折「今日、何食べる?」「今日もコンビニかなぁ」といった雑談が小声で飛び交う。集中しようとしても、どこか落ち着かない空気が漂い始めていた。
藤咲は画面の時計をちらりと見て休憩時間に入ったことを確認すると、隣に座る橘に話しかけた。
「先輩、お昼ってどうすればいいんですか?」
橘はまだ仕事を続けているようで、タイピングの手を止めず、画面を見たまま淡々と答える。
「コンビニで買って食べてもいいし、外に食べに行ってもいい。弁当を持ってくるやつもいるな。それぞれ好きにしている感じだ」
「この席で食べてもいいんですか?」
「ああ、問題ないぞ」
「先輩はいつもどうしてるんです?」
「俺か?俺はコンビニだな」
「そうですか……。どうしよう……」
橘は藤咲が悩む様子を見ると、手を止めて周りを見回す。
「課長は……。こういう時は上司が誘うのが定番なんだが……。みんな出払っているみたいだな……。すまんな、俺はさっきも言った通りコンビニだから力になれん」
「いえいえ、大丈夫です。ありがとうございます。私もコンビニに行こうかな……?」
藤咲が悩んでいると、不意に後ろから声がかかった。
「藤咲さん、お昼どうする?一緒に行かない?」
振り返ると、藤咲と同期入社で総務部の飯島がにこやかに立っていた。
「えっ、いいの!?行く行く!」
即答する藤咲。それを見た橘は「おお、救世主が来たな」と淡々と言っていた。
(人類が滅ぶほどの悩みではなかったんですが……)
そう思いつつ、藤咲は飯島と共にオフィスを出る。ビルの出口へと向かう途中、飯島と少し会話をしたが、飯島も藤咲と似たような状況だったらしく、わざわざ藤咲を誘いに来てくれたようだった。
――。
「どこにしよっか?」
同期の飯島が藤咲にそう聞くと、藤咲は「うーん……」と悩んでいた。
会社の近くには飲食店がいくつも並んでいる。二人は「おしゃれなカフェに行こう」と話していたが、カフェ自体が見える範囲に三店舗あり、どの店にしようかと決めあぐねていた。
「さっきの生ハムのサラダプレートも気になるし、ここのガパオライスもおいしそう……。でも、最初の店のナポリピッツァも……」
藤咲は店先にあったメニュー看板を思い出しつつ悩みだす。
「選択肢が多いのは逆に困るよね」
飯島がそう言うと、藤咲は「うんうん」と頭を振って頷いていた。
藤咲がお店選びに悩んでいると、飯島が思い出したように話を切り出した。
「ところで、さっき会社で藤咲さんの隣に座ってた人たけど……」
「うん?ああ、あの人は私の教育係の橘先輩」
「そうなんだ。で、どんな人?」
「どうしたの急に?」
「え?いや、なんとなく?」
「ふーん。今日会ったばかりだからよくわからないけど、悪い人ではないって感じかなぁ」
それを聞くと、飯島は「そう……」と呟きつつ、少し考え込むように視線を落とした。飯島の反応が気になった藤咲だったが「それよりもそっちは午前中どんな感じだったの?」と興味津々な様子で質問する。二人はお店選びも忘れて、午前中にあったことをしばらく話し込んでいた。
「あ、もうこんな時間、そろそろお店を決めないと。私はどこでもいいから藤咲さんが決めてくれる?」
飯島は時計を見て藤咲を急かす。
「えぇっ、じゃ、じゃあここにしよう!」
藤咲が答え、目の前のお店に駆け込んだ。
二人が店に入ると、そこは既に賑わっていた。テーブル席はほぼ満席で、カウンターには待っているお客さんが列を作っている。厨房からは、フライパンを振る音と、注文を取る店員の声が響いていた。
藤咲を焦りを感じつつ、つぶやく。
「これ、やばいかも……」
やっとのことでテーブルに着き、待ち時間の間に決めたメニューを店員に告げる。料理を食べ終え、お店を出た時には休憩時間が終わる間際だった。
二人は足早にオフィスへ向かう。
「急いで食べたから味がよくわからなかったよ……」
そう言って藤咲が肩を落とす。飯島もうなだれるように「だね……」と同意していた。
なんとか休憩時間内に戻ってきた藤咲が自分のデスクの椅子に腰を下ろす。
「はぁ、疲れた……」
「随分遅かったな。どうしたんだ?」
橘が藤咲の様子を見て問いかける。
「ええ……。いろいろありまして……」
藤咲はぐったりとため息をつく。
「昼休憩なのに疲れてどうするんだよ」
「確かに!」
橘の冷静なつっこみに、妙に納得する藤咲だった。
――藤咲メモ お昼休みは休む時間 (お店選びは計画的に)