第一話 出会い
初めての投稿で緊張しています。読んでいただけると嬉しいです!
「本日からお世話になります!藤咲奏です!一日でも早く仕事を覚えられるよう頑張りますので、よろしくお願いします!」
明るく元気な声がオフィスに響く。
周囲の視線が新人の藤咲に集まり、同僚から小さな拍手が藤咲に送られた。藤咲は自己紹介を無事言えたことで安堵の表情が浮かぶ。ビルの4階にあるオフィスの一角、藤咲が配属されたシステム開発部第二課では、始業前の朝礼が行われていた。
拍手が止むと、課長が軽く咳払いをして口を開く。
「うん、よろしく。橘、お前が教育係だから、しっかり面倒見てやれよ」
指名された男が藤咲の前へゆっくりと歩み寄った。身長が高く、目つきが鋭い。
「橘隼人だ。わからないことがあったら何でも聞いてくれ」
落ち着いた低い声、そして大きい身体に威圧感を感じ、藤咲は思わず背筋を伸ばす。
「は、はい!よろしくお願いします!」
張り切って答える藤咲だったが、その直後――
「じゃぁ、まずはこれな」
橘が差し出したのは、見慣れないシステムの画面と仕様が書かれた資料。突如渡された資料に戸惑う藤咲をよそに、橘はそそくさと自分の席へ戻り、仕事を始めた。
(えっ?説明は……?)
こうして、藤咲の社会人生活は幕を開けた。
藤咲は困惑して固まっていたが、課長に促され、自分のデスクに向かってゆっくりと歩き出した。
オフィスは大きく三つのエリアに分かれており、窓側から垂直に対面式レイアウトのデスクが並ぶ。窓際には、各課の課長のデスクが配置され、フロア全体を見渡せるようになっていた。
藤咲の所属するシステム部第二課のデスクは、オフィスの壁際に配置されている。彼女の席はその中央辺りにあり、左隣は教育係である橘のデスクだった。
藤咲は自分のデスクに到着し、周りを伺うようにゆっくりと腰を掛けた。目の前の少し年季の入ったパソコンが目に入る。モニターの向こうでは同僚たちが既に仕事を開始していた。静かながらも、時折「また仕様変更か……」とぼやく声や、上司の指示に「了解です」と返事をする声が聞こえる。新人の彼女にとって、この空間はまだ馴染みのない場所だが、その新鮮さが彼女の心を少しワクワクさせた。
藤咲はハッと思い出したように先ほど渡された資料を確認する。
(うぅ。何をどうすればいいの?何かのシステムだってことはわかるけど……)
藤咲は助けを求めるように、隣に座る橘を見る。
橘はパソコンに向かい、真剣な表情で作業をしていた。その姿は、どこか話しかけづらいオーラが漂っていた。
(えっと、話しかけていいんだよね……なんかすごい速度でタイピングしてるし、まったく作業が途切れないんだけど……)
橘の指はキーボードの上を流れるように動き、画面にはプログラムのコードが次々と打ち込まれていく。画面は頻繁に切り替わるが、マウス操作をしている様子はない。
(うん……とりあえず聞いてみよう)
藤咲は意を決して声をかける。
「あの、先輩……」
橘は手を止めずに「ん?」と短く返事をする。
「えっと、何から始めていいかすらわからないんですが……」
「とりあえずパソコン起動して」
橘はチラッっと藤咲のパソコンの状態を確認すると作業を続けたまま指示を出す。
「はい……」
藤咲は指示通りパソコンの電源を押した。橘のそっけない態度に、不安がじわじわと胸を締め付ける。
「デスクトップにある共有って名前のフォルダを開いて」
橘はまたチラッっと藤咲のパソコンの画面を確認して指示を出す。
藤咲は「はい……」と返事をし、マウスを操作して指定されたフォルダ開いた。
橘はようやく手を止めると、椅子に座ったままキャスターを転がして藤咲のデスクへと寄った。
「よし、じゃぁ……このファイルを開いてくれ」
橘が藤咲のパソコンの画面を指差す。その指示通り藤咲がファイルを開く。
橘はファイルが開くのを確認すると、藤咲に問いかける。
「プログラムをやったことは?」
「はい。大学の時に少しやってました。でも、簡単な入力画面と、入力した数値を使って計算結果を表示するっていう簡単なものしか作ったことはないです」
「うちの会社で今使っているプログラミングソフトはこれなんだが、使ったことは?」
橘が画面に表示されているアイコンを指差す。
「はい。大学ではそれを使ってました」
「なるほど。まぁ、基礎は知ってるって感じか」
橘は腕を組み、少し考えるように目を細めた。
その様子を見ていた藤咲は思わず「すいません」と謝る。
「いや、謝る必要はないぞ。プログラムをまったく触ったことが無いって奴に比べたら雲泥の差だ」
「そんな人も入社するんですか?」
藤咲は驚いて目を丸くする。
「ん?結構いるぞ、そこの安川はプログラムどころかパソコンの操作もおぼつかなかったくらいだからな」
そう言って橘が向かい側に座る同僚の一人を指差す。
「橘さーん。僕の悪口ですかー?聞こえてますよー?」
話が聞こえていたようでその安川が橘に食ってかかる。橘が課長の方を向いて「課長、なんでこんなやつ採用したんですか?」と真剣な表情で聞くと、安川は「こんなやつってなんですか!」と即座に反論し、二人の軽口の応酬が始まった。
その様子を見ていた同僚たちは、「またやってるのか?」「全部安川が悪い」と冗談めかして笑い合っていた。
張り詰めていた藤咲も、そんな職場の雰囲気にふっと表情を緩め、自然と笑顔がこぼれた。
一通り言い合いを終えた橘は、気を取り直したように藤咲へ向き直った。
「わるいわるい。まぁとにかく、やる気さえあれば問題ない」
「はい!やる気に関しては大丈夫です!」
「そうか」
橘はうなずき、真剣な表情で続けた。
「やる気があるなら、細かい説明はいらないよな?」
(え……?)
藤咲が動揺していると、橘はもう話は終わったと言わんばかりに戻ろうとする。
(え?待って、本気なの!?)
藤咲は戻ろうとする橘の袖を慌てて掴んだ。
「さすがに説明がないと無理です!」
「ああ、わかってる。冗談冗談」
橘は肩をすくめる。
(冗談ならもっとわかりやすくしてよ!てっきりブラック企業的精神論かと思って焦ったんですけど!?)
藤咲はぷくっと頬を膨らませ、むすっとした表情で橘をじっと見る。
橘はそれに気付くと「すまんすまん」と軽く誤りながら説明をはじめた。
「んじゃあ、まずは、さっき開いた入力画面のシステムがどうやって作られているかコードを一通り確認すること。それで、次が本題になるんだが、さっき渡した資料のとおりにプログラムを修正すること」
「えっと……。この資料のとおりに修正するんですね」
藤咲は先程渡された資料を見て答える。
「そう。修正が終わったら俺に報告してくれ。今の時点でわからないことはあるか?」
「いえ、大丈夫です。とりあえずやってみます!」
「じゃぁ、よろしく。わからないことがあったらその都度聞いてくれ」
そう言うと橘は自分のデスクへと戻っていった。
「わかりました!」
藤咲は橘を目で追いつつそう答える。
(悪い人ではないのかな……?冗談はわかりにくかったけど……)
藤咲はしばらく考え込んだあと、小さく頷いた。
(ちょっと不安だったけど、職場の雰囲気もよさそうだし。なんとかやっていけるんじゃないかな!)
「よしっ!」 小さく気合を入れ、橘に指示された作業を始める。
だがこの時の藤咲はまだ知らなかった。
この教育係に、振り回される日々が続くことを。
――藤咲メモ タチバナ先輩の冗談はわかりずらい (無表情なせい?)