第三章 「超研」
第三章 「超研」
高橋さんを見かけたのは、新入生歓迎のサークルブースのなかだった。
もちろんそのときは名前も知らなかった。ひどく個性的な人だな、と思った。受付の机を前に男の人と、二人で座ったいたけれど、高橋さんは表を呆然と眺めていた。なにか考えていたのかもしれないが、ずいぶん無防備にしていられるのだな、と感心した。ふつうの女の子ってもっと周りを気にしているもんだ。独特の五分わけで、硬そうな髪を後ろで結んでいた。ぼくの中では、卑弥呼とあだ名がすぐついた。あまり凹凸のない顔つきで、化粧っ気のない顔はすこし陰気には見えたけど、はにかんで笑うと、すごく可愛いのはあとで知った。ただそのときは、目が離れているな、って変な印象を持った。以後そんな印象を持ったことがないから、勘違いなのかもしれない。薄く色のついたワイシャツに黄色い厚手のトレーナー、下はジーンズだった。こんな子も超研にいるんだ、と興味を惹かれたのは事実だった。
どうしようか、迷ったけど、テントのほうへ近づいて行った。そのときちょうど奥の方から守屋さんが現れ、ぼくと目が合ってしまった。「まあ」みたいな口の格好をして、声は出ていなかったと思う。そのままぼくの方へ寄ってきた。ぼくも、観念したみたいな感じになって、中へ連行されるように誘い込まれた。
当然、よく来てくれたわね、と守屋さんは言って、ぼくと、高橋さんと、黒ぶちめがねをかけたニキビ跡の男、吉田を紹介してくれた。ひどく手なれた感じだった。守屋さんは四年生で、卒業したら高校の教師になると、あとで言っていた。高橋さんは二年生で守屋さんと同じ国文科の学生だった。
吉田は、挨拶したらそのまま本の続きを読み始めた。高橋さんは、特徴のある、はにかみ笑顔をしてぼくを見ていた。ぼくは薄手の綿のコートにチノパンツ、ウオーキング用の革靴を履いている。ぼくもなんだかずっと高橋さんを見ていたのかもしれない。
それに気づいて、「霊魂とか信じていないのですけど」
と、言って失敗したなと感じた。これでは、入部の許可を求めてるようだ。守屋さんはまたしても待っていましたと言わんばかりに、説明を始めた。
「私たちは宗教団体でもなんでもないんだし、信じるとか信じないはどちらでもいいの。最初から信じている人は、それなりの経験があったわけだし、超常現象を懐疑的に見ていったって構わないのよ。要するに変な先入観を持たないで、素直に調べていけばいいの。科学で実証できないことって一杯あるものよ」
「はあ、そうですか」
と、ぼくは元気なく言って、なにげなく高橋さんの方を見た。高橋さんは立ったままぼくらの話を聞いていたわけだし、何か言ってもよかった。でもまた、あのはにかみ笑顔をしただけだった。まあ、それはそれでよかった。ぼくは遠くを見るように二人を見比べていた。
「テレビの番組の検証をするから後で参加してみない」
と言って守屋さんは、せかせかとテントを出て行こうとしていた。
「では、よろしくね」
「じゃあ、部室で」
と言ったのは吉田だった。なんだかびっくりして振り向くとこちらを見て、
「缶コーヒーあるけど」
と机の下の方からごそごそと、取り出してきて渡した。これでぼくはめでたく、超研の部員になったようだ 学部とかどこに住んでるのとかみたいな情報を交換した。吉田は古株みたいだけど、新入生だった。口の前でちょこちょことしゃべるから軽薄に見えるけど、かなり物知りみたいだ、いろんな意味で。
高橋さんはおっとりと話す。早く話すのは苦手みたいだった。吉田がからかっても、照れて笑うだけだった。どこか超越してる。こういう人って、怒るとどうなるのだろう、と意地悪な想像をした。部員は三十名ほどいると言う。ただ、それは活動費の関係の公称人数で、つねに会に参加しているのは十名ほどらしい。高橋さんも、そのぐらいの人しか知らないと言っていた。だいぶゆるい結合みたいだ。そういうものなのかもしれない。高校のころは、運動部だったせいなのか、参加しなければ、休部か退部になったから大違いだ。後になって、部室で「きみだーれ」みたいに見ている人が何人かいた。だいたいが先輩でときどき、一年に数回、部室に顔を出すようだった。
なんとなく、雰囲気はわかってきた。
その男の人が入ってきたのに気づかなかった。それだけ話に熱中していたのか、その人の影が薄いのか、実際は映画スターのような風貌なのだけど、あまり存在を主張してこない。すうーと移動する。色白で細みな、背は飛びぬけて高くはないが、モデル系のハンサムだった。
「こんにちは」
と、高橋さんがあいさつした。ちょっと感じが違う。吉田とぼくで会釈した。
「君たち新入生」
と訊くので、高橋さんが紹介してくれた。彼は「超研」の会長で四年生の山本さんといった。やっぱり会長かな。守屋さんは相撲取りはかわいそうなので「こけし」にした。当然高橋さんは卑弥呼。あだ名をつけるのはぼくの趣味だった。
「そろそろ部室も片付くだろうから、ここを仕舞って移動しようか」
会長はぼくたちを呼びにここへ来たのだ。持って行くのは折りたたみのいすと缶コーヒーの箱だけだった。
卑弥呼は会長を意識している。ともいえるが、卑弥呼はだれをも意識している。そして、意識していないときはだれをも意識してしないのだろう。
吉田はぼくにずっと話しかけていた。さっきはずっと本を読んでいた。熱中するタイプ、あるいはマイペース。はたまた不安なのかもしれない。彼の態度からは想像しにくいが、かなり周りを気にするのか。
確かに少し不安はある。悪の巣窟に踏み込む感覚だ。そこで何が待っているのか。
「部室は行ったことあるの」と、ぼくは訊いた。
「散らかってたので、今日片付けたらしいよ」
これで返事になっているのだろうか、微妙。でも再度確かめるほどではないと思って黙っていた。そうしたら吉田も黙って、そのまま部室に着いた。先を歩いていた二人が戸を開け、入って行ったのでぼくらも続いた。
大きな机を挟んで、六、七人が座っている。守屋さんともう一人が奥で何かしていた。会長はぼくたちを座らせ、守屋さんたちにも座るように言って、みんなが座り終えると、
「では、研究会を始めます」
と宣言した。それから自分は持ってきたいすに座った。すると、守屋さんが立って、
「新入会員が二名来ています」と、ぼくらを紹介して、
「ではこれからビデオを見てもらいます。その後これについて討議をします。そのとき簡単な自己紹介をしてください。まあ、顔合わせみたいなものですから」と言ってスイッチを入れた。
テレビ番組の録画のようだった。遠隔透視や犯罪捜査に協力する超能力者、はたまた災害の予言をする人、そういう人たちの特集だった。どこまでが事実なのか、だいたいぼくは懐疑主義者だから、テレビそのものにも疑問を持っていた。きっと編集されたり、スポンサーの意向が入ったり、やらせ、誘導。なんでもありだ。報道ですら、偏向があるんじゃないかと思っていた。
三十分ぐらい皆おとなしく、雑談もしないで観ていた。
「じゃ、止めて。意見を聞いていこうか」
会長が言って、守屋さんがビデオを止めた。目で促されて、向かいの手前の人から話すようだった。かなり長髪で、どこかミュージシャン系の男の人が口を開いた。
「平尾です。よろしく。まあ、有名どこのエピソードだけど、可もなく不可もなくかな。予言の証拠を残そうというのは、目新しいけど、確率の問題だよね、それは分からない」
「どうなのかしらね」
と、口を挟んだのは、隣に座っていた、女のひとだった。ほんとに女の人で、化粧といい、服装といい、この部屋では不釣り合いだけど、たとえばホテルのロビーだったら、決まっていたに違いない。
「ああ、吉沢です」
こちらの方を見て言った。これは新入会員歓迎会なのかもしれない。
「あんな予知夢を毎日見てたら、参らないかしら」
本当にげんなりしたように付け加えた。
次の番は高橋さんだった。
「みなさん、こんにちは。高橋です」
吉沢さんに比べたら、少女のようだった。
「私は犯罪捜査に協力した話に興味があります。どう見えてくるのか不思議ですよね」
「それは被害者から情報を得るのじゃないかしら」
守屋さんだった。
「イタコみたいに、死んだ人の話を聞くのよ」
本気にそう思っているのだろうか。超能力捜査官はフィクションの世界にしかいないのじゃないのか。 そのとき、会長がパンフを配り始めた。会長は、配り終えると、抜粋して読んでいった。
「遅れましたー」
と入ってきたのは、かなり老けた印象の、(なぜなんだろう)男の人だった。その後にベレー帽をかぶった高校生と思われるような、ひどく若い女の子が続いた。
「部屋の前でウロウロしてたから連れてきたよ」
とその男の人が言って、ずかずかと奥に進んでいって、こけしと卑弥呼の間に腰を下ろした。
女の子はきょろきょろと見回していたけど、これも手前のベンチに、ということはぼくの隣に座った。
「それでは…」と、会長はなにもなかったように話の続きを始めた。
「…以前付き合っていた子なんだけど、交通事故で、かなり厳しいという話を聞いた後、その子に街で何度も会うんだ。そんなことありえないし、いや、いやと考えるのだけど、それも不思議と、ある一定距離以上は近づかないんだ。どういうことかと言うと、近づこうとすると見失っちゃうんだ。その距離なんだよ。それが、こっちとあっちなのかな、とも思うんだよ。もちろんそれをいろいろに解釈はできるんだけど、たとえば、錯覚ということはあるのは分かる。でも納得しないんだなー」
会長の話には、かなり思い入れがありそうだった。
「虫の知らせみたいのもありますよね。胸騒ぎみたいのがあって、実際友だちなんですけど、あれ、みたいに感じるときがあって、しばらく会ってないから訪ねてみるかって出かけていったら、鍵がかかったまんまなんです。チャイムならしても、ああいうときって不思議ですよね。変だ、ってすぐ感じるんですよ。状況的にいえば友だちの家を訪ねて、呼び鈴鳴らしたら誰も出ない、ということであれば、じゃまた今度となるはずなんだけど、絶対いる、みたいな胸騒ぎ。悪い予感もして、結局的中しちゃうんですけど、管理人さんと。その後の話はしたくないんですど……」
貴婦人はかなりさばけた感じで体験談を手を振りながら話した。指揮してるみたいだ。
体験になってしまうと、その人の問題のようで、傍から何とも言えない雰囲気になってしまう。錯覚だよ、と言われても―って感じだよね。多くの人がその手の体験をしてることになるよね。
思い出したように「こけし」が
「あ、斎藤さん」
と、立ってさっき来た女の子を紹介した。
その子はピクって立って、
「遅れてすいません。斎藤です、よろしく」
それから自分の説明を始めた。どこに所属して、どこの出身で、どこに住んでいる。
たぶんそういうことは大事なことなんだろう。ミュージシャンが何か言ったが良くわからなっかった。合いの手をいれただけなのかもしれない。
奥に座った人は木村さんで、ぼそぼそっと自己紹介した。この人は完ぺきに「長老」だよね。
「このなかで、超現象を信じてる代表は私と守屋さんだから文句のある人はどんどん突っ込んでください」と、にこやかにあいさつした。
それまできょろきょろしながらも黙っていた吉田が、高校生(実際は違う)の方を見ながら、立ちあがった。それから周りを見回して、
「吉田でーす。今日は歓迎会ありがとうございます」
えっ、代表?
まあ、ぼくは柄じゃないし、気後れするわけじゃないんだけど、無口というか、あまり社交的でないというか、初対面で親しく口をきくっていうのは得意じゃなかった。よく言えばシャイっていうことなんだ。さすが顔を赤くするってことはなかったけど。なにか殻のようなものがあって、それを打ち破れない。自分でも克服したいとは思っているんだ。でも他人のことは信じられない、というか、打ち解けないんだな、これが。格好つけすぎで、身構えているのかもしれないな。でも、ミュージシャンのように、成り切っちゃう勇気もない。あれはあれで恥ずかしい。だからどっちつかずで彼女もできない。 要するに自意識過剰なんだよ。自分ではそんなにみてくれにこだわっているのじゃないんだけどな。
吉田の話は上の空で全然違うことを考えていた。
「…仲良くやっていきたいので、よろしくお願いします」
吉田はうまく、まとめて話を終えた。けっこう、やるな、吉田。得点ゲット。だって、高校生はかなり可愛い感じだったから。最後に彼女の方に顔を向けてから座った。
ぼくは、まともに高校生の顔を見ていない。隣に座っているから、わざとらしく振り向かなければ正面には向かない。なんだか左肩の上の方で彼女を感じているようだった。
それから、二人組の凸凹コンビがやってきた。会長はどこから出してきたのか、緑色の簡単なスツールを二人に勧めて、自分の横に座らせた。背の低い筋肉質でひげの濃い人が宮沢で、ひょろりとして背の高い男が秋山だった。ぼくにはひどく不思議なのだけど、それから彼らに何度も会うが、一人のときを見たことがない。たぶんすごく仲がいいんだろうけど、男女間なら許せる気がするが、(許すとか別にそんな資格ないけど)でも反対に、手をつないでないのを良しとするのだろうか。
そういう気分って、確かにあることはある。安心感や信頼感が基になっているんだろうけど、凭れあっている感覚が心地いいんだろうなって、思う。たとえば、貴婦人とミュージシャンは恋人ではないだろう。それは、セクシャルな関係はあったかもしれない。でも、親密な関係が見られない。もたれていない。(ように見える)そういうのは恋人とは云わないような気がする。
ぼくは恋人を求めている。でも、すごく怖いんだ。
二人組は二人で遊んでいる。黙ったまんま手を動かしたり首を動かしたりしている。小学生みたいにうるさい。自覚してるみたいで、会長が目をやると動きを止める。いつもそうなので会長はわざと自分のそばに座らせたのかもしれない。守屋さんの促されて小さい方が話し始めた。縄文人って感じだよな。大きい方は完璧に野球のファーストタイプ。左利きなら、なおいいよ。「ファースト」と「縄文人」じゃ釣り合いがとれないか。縄文人のセカンドだ。
「人間は太古から死者の霊を弔う、ということをしていました。それゆえ、それが最初の宗教だともいわれています。それで、この霊を信じるか信じないのかが一つの境になる、と私は思うんですよ。ただ、日が東から昇ると表現したから天動説を信じていることにはならないように、そんなに神経質になることはないんですよ。初詣や墓参りに行ったところで、迷信を信じているとか非科学的とか言われることはない。日本において許容されている常識がある。あるいはある地方で。それを文化というのではないのかな、そんな風に私は思うのですが」
ひどくまともなことを云ってるのでびっくりした。でも、相変わらずファーストは足でちょっかいを出している。それを見てるとひどく疲れてくる。
少し伸びをしたら高校生に触れたようだった。断じて意識的にではない。
ふつうに、高校生は、なあに、という感じで振り向いた。ベレー帽というよりハンチング帽を深くかぶっているみたい。髪をアップにしてるだけでショートってわけじゃないのかもしれない。
やっぱり美人だな。派手な装いはしていないけど、決まってる。彼女はぼくを一瞥して、興味なさそうに前に向き直った。さっきから気になってるのは長老とミュージシャンが、立て続けにタバコを吸って部屋中がもうもうとしてきたことだった。貴婦人に目と手で合図をして窓を少し開けてもらった。
外は暗くなろうとしている。そのぶん裸電球が明るく思えてきた。人里離れた、山小屋にでもいるようだった。外はしんとして、物音も聞こえない。お腹すいてきたな、と急に思った。
「最近、都市伝説とか興味あるんですよ」と、ファーストが話している。
「フリーメイソンの陰謀とか、面白いですよね。どこまで本当かなとか思いますけど」
なるほど、そっちの方か。ぼくにはフリーメイソンとロータリークラブの区別もつかないけれど。
すべての人に「体験」があるようだった。
それは、その人も否定することができないのだ。本当だったら、そんな記憶は消してしまった方がいい。でも、戻ってきてしまう、そんな記憶なんだ。
高校生はUFOを見たと云う。それは圧倒的で、眼前に飛び込んできたそうだ。玄関を出て、外を見たとき光に目がくらみ、その時はっきりと上空に円盤が見えたと、茫然とその物体を見送ったんだと。
元来、神秘体験というのはそういうものだろう。それがなくては悟りは開けないらしい。解脱とは、そういうことを指すんだろう。でもぼくには関係ない、そんな経験もないし、これから先もそんな経験をしたくもない。
夜になって、腹もすいてきたらしく、みんなで駅前の居酒屋へ行った。適当に頼んで、ある程度腹にたまるようにした。先輩たちは軽く酒を飲み、我々はウーロン茶とか飲んでいたけど、吉田はがんがんビールを飲みだした。
別にかまわないけど、ちょっと心配。長老は、やっぱり休学とかして、つごう十年近く在籍してるらしい。どうりで老けてると思った。考えてみると不思議に誰も帰るとか言わないで付いてきたんだなー、これってなーに。
もう各々で話し始めていて、大声が飛び交っていた。ほとんど部室にいたまま座っていたのに移動する人も出てきた。高校生は長老と話をしていた。ぼくは、長老と席を代わって卑弥呼の隣に来た。彼女はサワーを飲んで少し赤い顔をしていたけど、相変わらずあいまいな笑みを浮かべていた。
(それって、けっこう和むんだよねー)
「あなたって無口ね」
「えーえ、そうでもないけどなー」
「だって何か話した?」
そういえば、何も言ってないかな。
「全然苦にならないし、気にもしなかった」
「それって、変ってるよ」
「でも、不思議体験とかもないし…」
「そういう問題じゃない気がするなー」
何が問題なんだろう、ぼくが打ち解けてないのだろうか。そんなことはないな、自分でわかる。それじゃ、卑弥呼は何を言ってるんだろう。言葉じゃなくて親和力だよね、卑弥呼はいつも和ましてくれるんだ。
「わたしはね、不思議な話が好きなの。聞いてるとワクワクしてくるんだ」
へえ、卑弥呼の方が不思議だけどな。どうしたらこんな人になれるのだろうか。
「わたし、この間、一人で神宮のパワースポットへ行ってきたのよ。その後、テレビに取り上げられたらしくて、行列してると云うけど、私が行ったときはふつうに七、八人かな。静かに佇んでて、井戸の写真とかほんと音も立てずに撮っていたのよ」
ふーん。なんとなく想像は出来るけどな。
「たぶん、それ夕方でしょう?」
「ええー、どうしてわかるの」
「そんなの勘ですよ」
「そうなんだ。わたしは全然だめなの。うちのマンションにエレベーターが二基あるんだけど、ボタン押してどちらかの前で待っているんだけど、必ず逆の方にくるのよねー」
「それって、ある意味凄いですよね」
「だから母はわたしのことを二択の女王と呼ぶのよ」
「なんだか、楽しそうだなー」
マイナスの札ばかり集めると大逆転のカードゲームってなかったっけ。ぼくもウーロンハイを頼んだ。卑弥呼も飲んでるし、みんなくつろいだ感じになっていた。堀りごたつふうで、足も伸ばせるし、大きなテーブルでお互いの顔も見える。
向かい側で相変わらず二人組が突っつき合っている。少し離れたので気にならなくなった。グループができて、ぼくは卑弥呼とこけし。会長は貴婦人とミュージシャン。長老を囲んで、高校生と吉田。ええーっ、吉田って制服みたいな感じなんだよな。暗い紺の上着来てるし、ズボンも折り目ついてるようだし。それでいて、あまり清潔そうにもみえないんだな、これが。ニキビ跡に黒ぶちの細い眼鏡、短い髪。口を尖らして、話しながら舌を踊らせる。やはり制服だな、それも海上保安庁とかの感じ。「海保」に決めよう。
こけしは会計の担当のようだ。ほかの会員のこともあるので、参加者は自費で千五百円、残りは会から出しますので楽しんでくださーい、みたいなことを言っていた。それでは先に徴収しますので、用意してください。
そのあと、かなりの量の食べ物も出てきて、小皿に分けて食べた。宴もたけなわ、かな。絶頂は下りの始め、ひとしきりつまんだら、貴婦人が帰る、と云うのでミュージシャンが送っていくことになった。
「それじゃ、私も」と、高校生も帰り支度を始めた。
「そう」と、会長が云って、
「じゃあ、頼んだよ」と、ミュージシャンに声をかけた。残った者は、なにか一息ついて、前の話題に戻った。
「そう、本物に出会ったことはないけど、絶対いるはずなのよ。私だって誰かれ信じたりして騙されるのなんかいやよ」
こけしが力説していた。書物によれば、優秀な霊能力者は存在するとのことだ。ただ今見かけるのはインチキが多いということ。宗教的な悟りを開いた人の話。千日修行。肉体を苛めることによって覚醒される何か、というのは想像しやすい。そこから、過激な新興宗教までの距離は、短いのかもしれないし、果てしないのかもしれない。
考えと行動の間には溝がある。思いと言葉の間にもだ。なんなくそこを飛び越える人もいるし、その手前で立ち止まっている人もいる。ギリギリのところで生きている人もいるし、決して近づかずに一生を過ごす人もいる。思いを言葉にして、考えを行動に移せたら良かったのに、と。そのことで後悔するのだけは厭だ。後悔しないように生きたいと、ぼくは漠然と考えていた。
こけしの話を聞いていたら、そんなふうに思えてきたんだ。ぼくは人生を単純に考えていたし、単純に生きたいと思っていた。こけしはいい人だけど、自分を縛っているなにかがあるな。それは、どこからきてるのかな。今はわからない。でも、いつかわかると信じよう。
絶対の壁があるんだよ、と云う人はいる。でも壁に穴があるかもしれないし、実際風でくずれるかもしれない。決まったふうに言うのは止めてくれ。それが、ぼくの精一杯の主張かな。
長老が会長と話し始めたので、海保が寄ってきて、
「あの子、かわいいよね」と、小声で云う。とうぜん高校生のことだろうけど、なぜ、ぼくに訊く。
軽く同意を求めているだけなんだろうけど。
口ごもっていると、
「しっかりしてるし、ここ入ってよかったな」
そうか、そうか。
「ぼく、酔っちゃったんで帰ります」 と、皆に挨拶して行ってしまった。なにかこう、とことんマイペースの奴だな。まあ、ちょっと嫌味だけど悪い奴じゃない、気はした。
ぼくは卑弥呼といることで、くつろいだ感じではあったが、そろそろ時間も遅くなったので、お開きになった。
店を出てそぞろ歩きになって、駅の方に向かって行った。
さて、どうしようかな。三々五々別れたので、駅前に一人残されて考えた。その道を歩いて帰ろう。ひどく暗く感じたのは、坂道の木が街路灯を遮っているからなんだ。気候もいいし、歩くのにはちょうどいいかな。いつものようにぼんやり考えながら行った。というより、人と接触して興奮した神経を鎮めてる感じかな。
夜風が気持よくて、幸せな気分になった。卑弥呼や高校生の話してる顔がスナップ写真のように浮かんできて、カシッ、カシッとシャッター音が聞こえる。いけない、いけない。夢に見そうだ。黒板消しで拭くように浮かんだ映像を消していく。それが車のワイパーのようになって、(待ってくれ)それじゃ早すぎる。坂道が急で小走りになってしまう。
降り切ってしまえばいつもの道に出てきた。遠くまで街路灯が続いて、道案内をしているようだった。