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ぼくの時  作者: 西崎皓之
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第二章 母の死




    第二章 母の死




 学校は春の行事を連日続けていた。

 ぼくはそれに参加したり、しなかったりしたが、その道を通って毎日通うことは続けていた。そして相変わらずその途中、ぼんやり考え事をしていた。 散歩なら周りの景色を楽しみながら進んでいくのだろうが、通学となると目的地があるので、歩き方も違ったものになる。その微妙な速度感が思考にスピードを与えていた。

 たとえば着いたら何をしようとかは考えなかった。それは着いてから考えた。そうでなくて要するに役に立たないことを考えていたのだ。

 以前、嘘について考えていたけど、あれって何だったんだろうと思い出したりした。

 赤ん坊がいないいないばーを喜ぶのはどうしてか、誰かが解説していたけど、顔の前に手を置くと赤ん坊は顔が消えたと感じるのだけれど、それがまた急に現れるので、驚いたり安心したりしてうれしがるらしい。手が隠している顔を想像できないんだよね。

 現実と非現実の問題。言葉の発達とともに、いないいないばーを喜ばなくなるような気がする。想像力の誕生かな。嘘って想像したものじゃないのかな。夢に似ている。悪意とは次元の別のもののような気がするな。確かなことって、どこかにあるのだろうか。

 心の弱さが人に嘘をつかせる。矜持や虚栄心、現実からの逃避。現実を認めることが、改善の一歩であることは皆知っているはずなのに。より良く生きることは義務ではないけど、少なくともそうありたいと願うことは否定できない。

 ひどい中傷を受けてめげてしまう人がいる。反発して戦う、ということさえできなくなってしまう。あるいは戦う顔がみえなかったり、あまりに数が多かったりして反撃が届かない。

 そんな人が死にたいと思い、実際そうしようとするとき、そしてそうしてしまったとき、どんな言葉がかけられるのだろうか。その人が嘘で自分を守り、それで生きていけるとしたら、それを非難することができるのだろうか。

 一生そうしてしまえば、正気ではいられない。ただ寒い冬の間だけでもひと時の嘘の生活を認めよう。あとは人間の生命力に賭けるしかない。もっと自然な治癒力を信じるべきだ。

 世界が終わってしまえば、すべてが終わってしまう。

 人間善意だけでは生きてはいけない。ではなくて、善意の人は、えてして気づかず人を傷つける。法律用語では、善意とは無知のことをいう。悪意とは事情を知っていること。多くのことを理解しなくてはならない。分かり合うことが一番の方法になる。

 悪意を理解する一番の簡単なやり方は、もともと人間は悪意の塊だと考えることだ。人が人としての歩みを始めたとき、自然から悪意を貰ったのだろう。

 人は自然の鬼っ子になる。

 動物には悪意も善意もない。フェイントもない。逆に、いかに欺くかが対人競技の基本になる。純粋に人が走ったり、投げたり泳いだりするときの競技に駆け引きは少ない。多くはよりよい記録が目的になる。そのほうが、より動物的に見えないか。人が動物であることは幸せであるに違いない。

 おそらく人が農業や牧畜を始めたとき、人は自然から離れた。ある文明の消滅はいつも人がその環境を壊してしまうことにある。


 さて、悪意の話だ。

 邪悪な心という。その化身が悪魔なのだろう。人の心には常に悪魔が潜んでいる。それを手なずけて現さないことが文化であるのだろう。そのための辛い道のりを人類は歩いてきたし、今も歩いている。その未来はといえば、かなり悲観的ではあるが少しずつでも進歩していると考えたいところだ。

 悪意はなくならない。

 人が人としてあるために悪意は生まれたのだし、そのために人は未来を信じることができるのだろう。 邪悪な心を克服するために人は生きていると思いたい。あるいは邪悪な心を鎮めたまま生きたい。心の平穏を人はどこに見つけるのだろう。死刑囚に信仰を促すのは欺瞞ではないのだろうか。

 宗教家はそうせざるを得ない。受け入れる人なのだから。そういう意味で宗教は麻薬である、というのだろう。

 しかし痛がって死んでいく人に医者も麻薬を与える。痛みを除くことが治療と認められるからだ。解決は永久に引き伸ばされている。

 心の平穏をどこに見出すか、の問いに多くの人は日常と答えるのではないだろうか。愛する家族や友人、近親者に囲まれた穏やかな安定した生活。それ支えているものががひどくあやふやなものとも知らずに。それでも人はタフに生きていける。日常が安定していなくても。多くの災害の現場で見出せる光景だ。不幸はよりましになりうる、と信じることだ。嘆きは嘆きとして、悔いは悔いとして前へ進むべきだ。そうとしか生きていけないのだから。感謝や希望を持ちながら。


 母におまえは理屈が多いのだよと言われたことがあったかもしれない。屁理屈とまでは言われなかった気がする。いま思うと仲間は求めていたけれど、かなり一人ぼっちの子供だったのか、支えてくれるしっかりとしたものをいつも探していた。ズボンを右足からはくか、左かで言い合い意地になって傷ついていくのに耐えられなかったのだ。 食べるのがアイスクリームか、かき氷かで人格を否定されたみたいに言われたくない。どこか向きになっていく性分だった。

 母は世間体を気にしすぎると、その頃は思っていた。ぼくは空っぽの自分に思い至らず、人にどう思われたっていいじゃないか、と考えていた。結局自分ではかっこつけているくせに、人には格好つけるなよと言っていたのと同じだった。

 だいぶ経ってからだけど、父親に対する口のきき方が悪いと怒られたことがある。自分の夫をないがしろにするな、と聞こえた。ぼく自身の心理の中では悪意はないことはわかっている。馴れてぞんざいになったかもしれない。親愛の現われとは理解されなかったらしい。

 伏線がある。

 母に避けられているのではないか、と感じることがあった。たぶん母にはそんな他意もないはずなんだろうが、ぼくには、友達とか父の身内とかに会わせたくないと感じている、と思えるのだ。

 自分の息子を恥じていたのかもしれない。あるいは面倒を避けたのかもしれない。ぼくとしては大した想像もしなかったし、どちらでいいことだからご随意にという感じだった。

 たしかその時はだれか来ていて、挨拶ぐらいはしたと思うが、早々退散したくて用件だけ伝えて去ったのが気に召さなかったようだ。


 云うことを聞かない子だったらしく母にはよく叩かれた。考えるとそうなのだけれど、はっきりした記憶は少ない。タイルの壁の部屋と、ぶたれる前のほんの瞬間の困惑がイメージとして残っている。

 痛みも恐怖もなかった。物覚えのいい子ではない、というより反復して思い出さなかったのだろう。

楽しい事でもなし忘れてしまった方がいい。かといって楽しいことも覚えていない。車にはねられボンネットの上に乗っかって助かったという記憶はあるが、それは後から話を聞いてその時想像したイメージのような気がする。

 幼稚園で喧嘩をしてそのまま家に帰ってきて、口惜しかったのか祖父の腕に噛み付いていたという記憶も掘りごたつのある古い家の思い出と一緒にどこかで合成されたようだ。

 当時ヒステリーは流行り言葉だった。家庭の事情が浮気問題を暗示しているような、子供の使う半端な意味で母はヒステリーだった。たぶん言葉には出さなかったが、そうだと思っていた。

 自分の思い通りにならないことに腹を立てるのだろうか、子供には当り前だけれど、分かってやっている事と訳のわからないことがある。怒られるのはそれを教えてくれる機会なのだけれど、母は混乱してしまうようだった。子はかまってもらいたいのだから、叩かれても放っておかれるよりましなことは分かっている。

 母は忙しかったのだと思う。 たいてい大人は忙しいものだけれど、人以上に気を張っていたと思う。だから余裕がなかった、時間にも気持ちにも。


 姉から電話がきたとき、嫌な感じがした。

 心臓が大きく一回どくっと鳴って、かさかさって打ち出した。もともと用がある時しか掛かってこないから、何かの用事ではあったのだけれど。

 冬の日は早く落ち、暗くなってからもうしばらく経っていた。

「お母さんが大変なの、すぐ来てくれる」

 どこか間延びして、実は相当慌てているとわかる声だった。

「わかった。すぐ行く」

 自分でも意外に感じるほど、しっかりした声が出た。

 緊急を要することはすぐ分かった。

 事情を聞いているより、駆け付けてしまう方が良いと判断した。

 少なくとも母に何かが起こったのだ。

 落ち着かなくては、と考え、考え、家へ急いだ。

 何が起こったのだろう、と想像することを避けているので、頭の中が膨らんでいくようだった。そして今度は頭の右のうしろのほうで、かさかさ、かさかさと何かが鳴り始めた。

 出先から二十分ぐらいで実家に戻った。灯りは点いているのだけど、どこかぼんやりとした感じがしていた。

 声をかけて玄関を上がると、奥の方で声がする。ばたばたと駆け上がると、姉が出てきて、

「お母さん危ないの」

 と、顔をしわくちゃにして言った。

 驚いて、その肩ごしに中をのぞくと、救急隊員らしい人が二人で応急手当てをしていた。母は毛布を掛けられ横たわっていた。

「風呂場で倒れたの」と姉は言う。

 風呂からあがってこないのに父が気づいたらしい。少し時間がかかりすぎるので風呂場をのぞいてみると、母親が倒れていた。あわてて、姉を呼んで二人で引き上げたらしい。風呂の湯を飲んでいるようで、その時点でもう呼吸がなかったと云う。

 すぐに救急車を呼ぶと、意外と早く来たらしい。

 それでいま人工呼吸やら、心臓マッサージなどの応急処置を始めたところだった。

 母が死ぬとは考えられなかった。手当てをしたら、息を吹き返すと思っていた。


 どのぐらい時間が経ったのだろうか。耳鳴りのように、かさかさとこだましている音があった。

 妹と入れ替わりに父が戻ってきて、その話を椅子に座って聞いていたときだった。父は動転して舌の回りが悪いので、何度か聞きなおさなければならなかった。

「お母さんを病院に運ぶの」と、姉が戻ってきて云った。

「だれかついて行きますか」と、救急隊員が聞くので、

「私が行きます」と、急いでぼくは答えた


 担架が運び込まれ、隊員は掛け声をかけながら、母をゆっくりと救急車に乗せていった。ぼくは後ろから付いて行って、乗り入れるとき母の手を触ったが、まだ温かかった。それでそのまま、担架と一緒に乗ろうとしたら、止められて助手席に座らされた。

 母はそれほど遠くない総合病院の救急室に運び込まれ、ぼくはそのままついていって、正面から部屋に入った。医師が隊員に事情を確認して、心臓に電気ショックを与えた。

 バタンと母が揺れ、静寂が広がった。そしてまたバタンと。

 どのぐらい続けたのだろう。

「だめですね。家族の方を呼んでください」

 と医師が言ったとき、ぼくに気づいたみたいで部屋を出された。

 そのころには母の脚は紫色に変っていた。

 それからすぐ、待っていた姉や父や叔母と一緒に部屋に入るよう言われた。

「手を尽くしましたが、もう処置をやめてもよろしいですね」

 と、医師は皆を見回して確認した。

 体も色が変ってしまい、母が死んでいくのが誰にもわかった。

「ご臨終です。午後九時四十二分」

 姉が泣き出し、嗚咽が止まらなかった。

 皆、泣いていた。ぼくも目が潤んでいた。


 それから遺体安置室で待つように言われた。

 しばらくすると、葬儀社の人が来て、これからの段取りが説明され、その通り進行していった。死の悲しみはなにやら怪しげな儀式の中に埋もれていった。

 実際、母は死んだんだろう。

 もう声をかけても返事もないし、笑顔をかえすこともない。

 でも、死を実感することはできない。何かしなくてはいけないことを、仕残してしまったような気がしていた。とても大事なことを言い残してしまった気がした。誰かが母の命を奪っていったような気がしていた。

 なぜ死んだんだ、と暗い声がこだましていた。

 そのとき、不謹慎かもしれないが、

「今日ママンが死んだ」

 という書き出しのフレーズが浮かんできた。

 あの主人公は夏の太陽にせいで、そのあと殺人を犯してしまうんじゃなかったのかな。今は冬だし、そんな気分にもならないな。別離。次に浮かんだ言葉だった。永遠のわかれ。魂があるかないかはわからないが、母はもう大好きなお菓子を食べることができない。水泳もゲームもカラオケもやることができない。

 もう少しの間だけでも、生きていてもらいたかった。母は自分で驚いているのじゃないだろうか。こんなに早く逝ってしまうことを。明るい人だったから、あはは、と笑って、

「やっちゃったね」と、言うかもしれない。


 風呂場で発作を起こしたらしい、脳なのか心臓なのか。今となっては、どちらでもいいことだ。その前にはスイミング教室に行っていたらしい。少なくとも、死ぬまで元気にしていたんだ。

「事故なんだ」と、ぼくは思おうとしていた。そうしたほうがなぜか理解しやすいように思えた。どんな事がよかったのだか、悪かったのか、もう本当にどうでもいいことだった。

 母はもう生きていないんだ。

 それだけが確かなことで、あとのことはどうでも良かった。

 人が集まってきていたが、ぼくはできるだけ黙って、頷いていた。そうしないと、何か叫びだしそうになるからだ。「異邦人」の主人公も何か叫んでいたんだ。不条理なんてどこにあるんだ。

 取りとめもなく、読経の間、やけになって考えていた。

 右後頭部の、かさかさという音は鳴り続けている。

 そうだ、死は確実に個に訪れる。逃れられない死。類としての人間は行き続ける。個が死滅するまで。それはそれでそれだけのことだ。地球の運命さえもそれだけのことだ。だからどうなんだ。大予言がなんだ。多くの偶然の積み重ねでこの世は成り立っている。しょっぱなが成り行きなんだ。サイは投げられた。さあ、どうする。後はなるようにしかならなかった。


 確かなことは、もう母が動かないということだった。

 それからしばらく、かさかさ、という音はおさまらなかった。そしてその間に、葬式、火葬、法要、納骨と行事が続いた。ぼくは黙って、言われた通りに静かに従っていた。何かで心が揺れてしまうと、感情が爆発しそうになるからだった。だから静かに、静かに心を鎮めていた。

 自分を責める時もあるが、どこか被害者気分で、母が亡くなったのは誰かのせいだ、と思ったりする。母が理不尽に若くして逝ってしまったから、理不尽な思いで誰かを恨んだ。そんな考えは、ほんのちょっと浮かんだだけなのだが、自分がそんな風に感じるのに驚いたりした。

 やり場のない思いの、収まる場所が見つからないのだ。

 さらにその間、大学受験をして、合格して入学した。

 その上、学校に通うため東京の叔母の家に、アパートが見つかるまで、とりあえず居候することになった。多くのことがバタバタと決まって、自分はできるだけ、余分なことをしないよう気を付けた。

 頭の隅でかさかさ、と変な音が鳴っている間だけでも。

 それがずっと続くとは思わなかったから。


 上京して、通学するようになって、ぱたっと音は消えた。

 だから、ぼくが歩いて通うようになった一番の理由は、時間がほしかったからなのかもしれない。


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