第一章 その道
第一章 その道
どうしてその道を歩いて通おうとしたのか、いま考えても理由は明確にはならない。それらしきことがあって、ひとつひとつは多くの理由を含んでいるんだけれど、結局は決め手にはならない。なぜ彼、彼女を選んだのか、なんて聞かれて、理由を得々と説明していく人がいたら、少し疑ってみたほうがいいのと、同じことだ。
とにかく、何日か考えてそう決めたのだった。
でも、どうしてもと訊かれたら、おいおい道すがら明らかになっていくのかもしれない、と告げるだろう。実際、自分もそのことは知りたいと思っているんだから。でも、そのためには多くのことを説明しなくてはならない。それをぼくは怖れるんだ。たとえば彼女の笑顔がどれほどすばらしいかってことを聞いて、あなたは楽しいのだろうか。ぼくにとってとても重要なことであっても、あなたにとってはなんの興味もないことかもしれない。
ぼくはそんなことを思って、その道に歩を進めていたような気がする。自問自答みたいな感じかな。要するに、ああでもない、こうでもないと頭のなかをぐるぐる回転させていたんだ。ぼくは十九才で、そしてその道はどこまでも続いていて、視線の上のほうにぼくの学校があった。
大きな通りの、アーケードのある商店街を横に入ると、もうそこは生活道路で車もほとんど走らなかった。道沿いは小さな工場や民家で、鉢植えなんかが並べられたりしていた。どこか閑散としていて、大きな物音も聞こえることがない。ときおりインクやら薬品のにおいが漂ってくる。それなのに、人がいないような、あるいは息を潜めて隠れているのか、そんなような感じさえ抱かせる。
確かに午前中そこを歩いている人は、ぼく以外ほとんどいなかった。別に出会いと交流を求めているわけではないので、それはそれで好都合だった。人にあえば警戒や気まずさや親近感を表すわけだから、ある種対応に困ることもある。無視するのかあいさつするのか、自分は怪しいものではないと、相手に何気なく伝えるにはコツがいる。
多くの人は何かに追いかけられているものだが、幸いにしてぼくには時間と体力が与えられていた。急ぐでもなく、ある程度の速度で周りを見回しながらぼくは歩いていった。
東京の春は突然やってくるわけではない。気がつけば春になっていた、とも違う。ひそかに着々と準備が進められ、知らない間に、そのただ中にいるにも係わらず、意識したときにはもう過ぎ去っているのだ。だから春の特徴は、兆しの中にある、とぼくは結論付けた。温められた南の風が潮の香りのように漂いはじめたら、それはもう嵐の前兆だ。黄砂まじりの埃とともに、あっというまに雨風が通り過ぎる。冷気とのせめぎ合いを制して気温の上昇が土を緩ませ、桜の花が咲くころ冷たい風が戻ってくる。それが入学式の季節だった。
その渦中にいれば多くのことに気づかないものだ。対応するのに手一杯で、余計なことは考えていられない。そういうのを生きているっていうんだろうか。その中に、自分というものがあるのかもしれないな。処理をしなくてはいけない問題が山積みで、それを片づけているうちに人生を終えるなんて、その人にとって最高の生き方なんだろうな。歴史上の人物なんてみんなそんな感じだよね。
ほかの事は結局、初夏になって考えた春のことのようなものなんだ。懐かしがったり、反省したってもう過ぎ去った季節のことなんだ。だから常に精一杯生きたかって、自分に聞いてみるしかできないんだ。でも、後悔とともにいくらか感傷的になるのはしかたないかもしれない。
人は嘘をつく。
たぶん人が言葉を持ったときから嘘をついているのだろう。嘘つきは泥棒の始まりというから、そのときからもう泥棒もいたに違いない。嘘をつかなくなったり、泥棒をしなくなるのは文化なのだろう。
えっ、本当に文化の進歩なのだろうか。どこか胡散臭い。少なくとも私は人を殺さない、というのに似てる。それは一つの倫理だけど少し無力だ。しかしそれが精一杯の内容なのだろう。少なくともそのようにしか生きていけない。完璧なんてもとより望みもしないし、できるわけでもない。それなのに、そんな幻想になんで囚われてしまうのだろうか。歩きながらは、それほど込み入ったことは考えられない。だからぐるぐると同じところを廻っていたりする。ときどき啓示のようにひらめきが降りてきたりするのだが、たぶん、それって結論を急いでいるだけなのだろう。
中学の卒業記念に、ずうっと好きだった女の子とデートをした。たぶんとても緊張していたのだと思う。自分でも何かありえないことを話していたような気がする。とてもこれではダメだ、と話しながら考えていた。気分は高揚しているはずなのに、気持ちがなえてくるのだ。ある意味もう目的は達してしまっていたのかもしれない。一番うれしかったのが、好きだった女の子をデートに誘い、了解してもらったことだったから。それだけで舞い上がってしまった。あこがれていた人で、ほとんど声もかけられなかった。勇気を奮ってなにか話したとしても、自分で照れてしまい逃げるように別れてしまっていた。
いま思い出したのだけど、彼女の家へ電話をしたのだった。そうしなければ約束が取り付けられない。
最初に男の人が出てきた。父親だったかもしれない。
「中学の同級生ですけれども、亜里抄さんおられますか」
たぶん準備していた言葉を伝えた。
微妙な間があって、電話が取り次がれた。
すべては順調に進んでいるようだ。
「今度の日曜日に会いたいんだけど、空いてるかなあ」
自分では明るく闊達に、そんなこと大したことじゃないんだ、とでも言わんばかりに。
あるいは緊張しまくりで、
「ご都合どうでしょうか」
とか訊いたかもしれない。覚えていない。
とにかく一瞬、息を呑んでから、
「いいわ」
と、かすれがちだけど明るい返事をもらえた。
電話の声は、遠くから眺めていた彼女にふさわしい声に聞こえた。いつも彼女はしなやかな肢体で舞うように歩いていた。そして弾けるように笑うと、自然にカールしているまつげが震えて大きな目がすぼまった。
眺めているだけで幸せだった。でも彼女はおしゃべりな女の子ではなかった。ときどき遠くを見るような目をしていた。その目にどんなものが映っていたのだろう。ぼくの想像はそこまでで、彼女の内面に入っていくことはなかった。いま考えればわかるけど、ぼくは本物の彼女とは怖くて向き合えなかったんだ。
どうすれば良かったのだろう。
じっさい付き合うことを望んでさえいなかったのかもしれない。結局、告白も交際の申し込みもすることがなく別れてしまった。文字通り、別れてそれから一度も会ったことがない。苦いどこか儚い思い出だった。
大通りを横に入って、高い塀で囲まれた学校の敷地に一度も曲がらずに突き当たる。途中考え事をしていると橋を渡ったことにも気づかない。下を覗かなければ見えないほど上流から谷は深いし、何よりも幅が短かった。知らぬ間に通り過ぎた川が、神田川であることは後で知った。
突き当たって、そこを右に少し折れると木の門がある。大きな門は閉まっていたが、横の通用門は当然のように開いていて、監視している人もいなかった。少なくともぼくは一度も呼び止められたことがなかった。
入ると左手は馬の厩舎になっていて、その暗がりで動いている気配やイナナキが聞こえても、こちら側へ姿を見せることはなかった。ゆっくり佇んでいるのは二、三頭のヤギだ。道端の草を食んで怪訝そうにこちらを見ている。寄ってこないところを見るとどこかに繋がれているのかもしれない。さかんに動くのは鶏で柵の中で首をせわしなく上下に揺すっていた。陽光の中、ひどくのどかでほっとする。それがこの道を通う一つの理由だった。実家の郊外ではこんな風景をよく見たものだった。
正面の坂道を登り、深い林を抜ければ南校舎の裏手に出る。その脇を通って大講堂まで、駅を出てから三十五分。通学の車両に乗っているより長い時間で、電車の一駅を歩いたことになる。初乗りになるその分の料金の節約だし、運動不足の解消にもなる。これで理由が二つ追加できた。
くたびれた訳でもないが大講堂の前のベンチに腰を下ろして、ぼんやり広場を眺めていた。春休み中の校内は、のんびりとしていていた。ベニヤ板に模造紙を貼り、なにか書いている人たちがいて、こんこん叩いている音が聞こえたり、運動着の一団が体操をしたり、結構人はいるみたいだ。高校への通学は地下鉄の駅から山の上の公園を越えて行かなければならなかったから、足の筋肉をぱんぱんにしても二十分はかかった。それに比べれば楽なものだ。慣れていた、というのが四番目の理由になる。
「あのう」
と不意に呼びかけられ驚いて振り返った。
小柄で小太り、まげを結ったらそのまま相撲取りといった感じの女の人が、頬を赤くして立っていた。とても善良そうだが、なぜか宗教の勧誘を、自己啓発のために、無理やりしているような気がした。
はにかみながら自己紹介をして、
「チョウ研に入りませんか」
と、やはり思ったように勧誘を始めた。ただサークルだった。ぼくが学校に入って、初めて会話をしたのがこの守屋さんだ。
「チョウ研って何ですか」
取りあえず先輩らしのでおとなしく訊いた。
彼女はそれを聞いて、待ってました、という感じで説明を始めた。要するに超・能力や超・現象みたいな超えてるものを研究する会らしい。彼女は副会長でぼくを見込んで声を掛けたのだと言った。嘘をついているようには思えなかったし、ぼくは高校のときは運動部だったけれど、本格的に運動を続けていく気はなかった。同好会のようなところで仲良くやっていくつもりもなかったので、文科系のサークルにでもと、考えていたので選択肢としては有りかもしれないと思ったけど、すぐにという話でもなかった。
「考えさせてくださいよ」
とぼくは言って、名前と所属を名乗った。軍人の識別表みたいだな。
「とにかく、どこかのサークルに所属すれば役に立つわ、会の部屋に遊びにきてね」
と、守屋さんは云って立ち去った。親切な人みたいだった。
それから毎日のように学校に通って、構内を歩きまわった。校舎の方に近づかなければ、ほとんど人に会わなかった。何やら細い土の道が林の中を続いているだけなので、歩いている人がいない。左手の道を行けば、馬場の上に出ることがわかった。そのまま辿れば少し開けたところに池があった。湧き水があるらしい。奥は深い林になっていて、入ることができない。それからさらに上っていくとサークルやら部室が並んでいるプレハブがあった。とてもきれいとはいえない。近づくのは遠慮したい感じだった。動物の巣みたい。縄張りを表すためにわざと臭いや汚れを落とさない意思がみえた。中に入ってしまえば、そはそれで落ち着いたりするのだろうか。今は勇気が少し足りない。
またひとつ理由が見つかった。
ぼくはあまり人混みが好きじゃないんだ。駅や電車で、もみくちゃにされるのは避けたかった。どうしても嫌だ、ってわけじゃないけど、なんとかやり過ごしたいことは誰にもあるものだ。できるなら、そうしたくはない。消極的ではあるが、意外と頑固な意志になりうる。
たとえばリーダー的な人がいて、そういう人って、うまく根回しをしたりして、みんなの意見みたいな顔して自分の考えを押し付けてくるんだ。その人がどうしてもそうしたいなら、それはそれで賛成したって構わないのだけど、やんわりだとしても、そうだよね、みたいに言われると反発したくなるんだ。
どうしても嫌ってわけじゃないけど、あんまりそうしたくないんだ。自分の意思があるわけではないんだけどね。
何か食べようか、みたいになって四、五人で頭に食事の献立を浮かべるとする。一人どうしてもカレーが食べたい人がいるんだ。彼はすごく欲望が強いわけだから弱肉強食の世界では、ボスになるわけだ。そういう人って何故か、みんなにカレーを食べさせたがるんだ。はっきり言って、それが嫌なんだ。いろんなメニューのあるところへ行って別々に食べたって構わない。でもそれだけが目的じゃない気がするし。
まずみんなの意見を聞けよ、というのが一つ。でも彼はカレーが食べたいんだ。それだったら、自分はカレーを食べる、とまず言うべきだ。ほかの連中がうどん、といえば自分だけそれを食べればいい。最悪ぼくならそうする。
でも彼はカレーをみんなに食べさせたいんだ。彼にとってそれが必要なことなんだ。さらに言うならそれが彼にとっての正義なんだ。ちょっと大袈裟かな。
それで今、思い出したけれど、とても恥ずかしい気がして、どうしてあんなことしたのかなあ、って今でもはっきりしないけど、それとも関連するかもしれない出来事がある。中学二年生の時のことだ。
クラスの級長を選ぶか、生徒会の役員のクラス代表を選ぶか、とにかく選挙することになった。そのときのルールは担任から説明があったのだけど、まず立候補者を募る。やりたい奴が手を挙げろ、ということだ。そしてそいつを応援なり推薦する者を決めて、二人一組で競うらしい。
どういう教育的配慮でそうなるのかわからないが、少し禿げかけた数学の教師らしくない提案だった。どのクラスでもそういうやり方が採用されたのかもしれない。
誰も手を挙げなかった。
そういうときは、いつもみたいに無記名の投票になる。
そうすれば岩瀬が当選するだろう。結構そういうのが好きそうなのに、黙って担がれるのを待っているなんて、卑怯な気がした。彼が適任だと多くの者が考えているのだろうか。よくわからないがそうでもないような気がした。でもこのままでは彼が自動的に当選するだろう。岩瀬は勉強もできたし、明るい感じの好少年だ。
でもぼくは、イジメとは少し違うのだろうが、結構彼にからかわれていた。うっとうしいし、構うなよと、腹を立ててもいた。そんなこともあって少し悪戯心を起こした。
手を挙げた。全然そんなことに興味も関心もなかったけど。
クラスがどよめいて、沈黙した。
なにか違う展開だな、とだれもが思った、はずだ。そういうことって、人生にはかなりあるよね。ぼくは自分が皆にどう思われているか知りはしなかったけど、こういうとこで手を挙げるタイプではないのは知っていた。
「ほかに誰かいないか」
教師は言って、あたりを見回した。
動きも声もなかった。
「では、推薦者はいないか」
そんなこと考えていなかった。推薦者がいなかったら、ご破算になるのか。何も変わらないのか、って思った。
しばらくして佐藤が手を挙げた。
三角のおにぎりを逆さにしたような顔をした、別に目立つような奴でも、親しくしていたわけでもなかった。
「推薦します」
それだけ言った。
「では、決まりだな」
そういうルールだった。
推薦されて立候補するのではなく、立候補してから応援がつくのだった。一人以上いれば成立した。ばかげたルールだった。自発性やら自立性を目指していたのだろうか。
その昔は担任が級長を指名していたのだろう。
どんな考えがあって佐藤がぼくを応援したのかわからなかった。それから級長としてぼくが何をしたのかも忘れてしまった。そしてしばらくたって佐藤にその時のことを訊いた。
「忘れたよ、その時はそうすべきだと思ったんだ」
それが、彼の答えだった。
多くの理由があったか、それとも理由なんて別になくて、瞬時に決定されるのが行動の意味で、それによって、リアクションが連鎖していくんだ。
思いもしなかったことだけど、そのあと岩瀬と仲良くなったんだ。彼には彼の事情があったというわけだった。
それからしばらく経って起こった出来事で、対をなして恥ずかしい体験は音楽室事件だ。発端は始業時間前にあった。ここからは記憶の中で微妙なんだけど、たぶんぼくが黒板に悪戯書きをしたんだ。それ自体は他愛もないもので、ぼくはそれを消すことさえ忘れていた、としか後で考えると思えない。
書いたという記憶は残っているのだけど、書いている自分の記憶がないんだ。弁解ではないが、ほとんど意図もなく、悪いことをしているという意識もなかったのだろう。
でも若くはない音楽教師はそう受け取らなかった。悪意を感じたのか、挑戦と受け取ったのか憤然と怒り出したのだった。
「書いた者は名乗り出ろ」と言う。
誰もが息を飲んでいる。
これまた弁解じみているが、あまりの怒りの激しさにびっくりしてしまって、すくんでいたというのが実際のところだろう。
「では名乗り出る者が出るまで授業は行わない」
と言って、職員室に戻ってしまった。
「びっくりしたなあ」
という声があって、その後の教室は、そのまま休み時間の雰囲気になってしまった。各自が中断していた遊びを始めたのだった。
心落ち着かないのがぼくだった。
本当にそのとき自分がやったと思っていなくて、教師が言い出した時も、あれっ、みたいな感じだったんだけど、その後、そうだ、あれは自分の仕業だ、と考え始めた。
そうすると罪悪感とか、ばつの悪さや、誤魔化せないかな、みたいな考えさえ次々と起こって、どうしよう、どうしよう、と煩悶していた。誰かがぼくのやっていることを見ていたかもしれないのに、それを言い立てる者もいなくて、だいたい皆がこの事態にあまり興味を持っていなかった。何かが起こるとすれば、教師の方からだと感じていたんだろう。
自分のせいで、授業が止まっているのにも気が引けて、誰にも相談せず、名乗り出ることにした。ぼくが教室を出ていくのにも、みんな関心を払わなかった。
職員室に行き、まっすぐ音楽教師の前に立って、私がやりました、と言った。
なんだか泣きそうになった。
音楽教師は怒っていなかった。
ぼくが教室に戻った後、すぐに現れて何もなかったように授業を始めた。説明は何もなかった。
たぶん教師は誤解したのだと思う。
ぼくがクラスの代表のようにして名乗り出たことにしたんだ。教師の意図はわからない。そのことにそんなに興味がないのかもしれない。でも、それで納得できたんだ。ぼくも自分のやらなくてはならないことをした。大した罰はなかったけど、ぼくにとっては、それで十分だった。