1.2.ちゃぶ台とお茶漬け
頬が痛い。
なんだ、と思って目を開けてみると、どこまでも続く畳の目を視界に捉えた。
なんだ……?
ムクリと状態を起こしてみる。
どうやらうつ伏せになって寝ていたようで、右の頬には畳の目の痕がくっきりと残っていた。
ちょっと痒い。
「……どこだよ、ここ……」
周囲を見渡して分かることと言えば、地平線のごとく永遠に続いている畳の間。
触ってみればざらざらとしており、細かい砂が入っているということがわかった。
それがなんだが気持ち悪い。
とりあえず立ち上がり、警戒しながら周囲をもう一度確認する。
どうしてこんなところに来たんだったか……。
ついさっきの出来事だったということはわかるのだが、どうしても思い出せない。
ちゃっちゃっちゃっちゃっ。
箸で茶碗の中にあるお米をかきこむような音が、背後から聞こえた。
びくりと体を跳ね上げてばっと振り返る。
こんな空間で変な音を聞くだけでも怖いのだ。
だが見ないわけにはいかない。
反射的に動いてしまったことに後悔しながら、視界に映った存在を目視した。
そこにはちゃぶ台がポツンと置いてあり、急須が布の上に置いてある。
それだけであればよかった、とどれだけ思ったことか。
子供のような体をした男の子が、和服姿で座している。
顔立ちは可愛らしく、愛嬌があったがその両手両足の異変が私を嫌悪させ、体の芯から恐怖が訴えかけてきた。
体ほどはある掌は、もはや人間の肌の色とはかけ離れており、青やら緑やらといった血管が網目状に浮かび上がっている。
水掻きのようなものも付いているようで、時よりヒラヒラと揺れていた。
伸ばされた足はちゃぶ台の下で投げ出されているのだが、高質化した枝のように見える。
枝分かれしている小さな枝が、さも足のように見えた。
その存在は美味そうにお茶漬けを掻き込んでおり、咀嚼しては幸せそうな子供らしい笑みを浮かべる。
手足がこうでなければ、可愛らしいのだろうが……。
「うまし……!」
「……ぇ……ぁ……」
あまりの恐怖に思考が追い付かず、私は小さく曖昧な言葉しか発することができなかった。
まともな言葉になっていたかどうかも怪しいし、なにか叫ぼうとしていたのかもしれない。
だがそれはうまく言葉にならなかったようだ。
その声に気づいた存在が、こちらに視線を向ける。
真っ青な瞳の中に真っ黒な瞳孔が覗いていた。
「やぁ自殺志願者君!」
「…………………………ぇ」
陽気な声で、恐ろしい存在はそう口にした。
いや、何を言っているのだ?
急に妙なことを言われてさらに困惑する。
そんな自暴自棄になった覚えは今のところない。
いや待て待て……。
これは……一体なんだ?
既に私が見ているこの光景が現実なのかも怪しくなっているし、もういっそのこと夢かもしれない。
だが腕と背中に未だ残っている握られた感触が、それを否とした。
それに気付き、悪寒が走る。
「君が育った世界で死のうが、こちらに来て死のうが一緒だよね! せっかく死ぬならこっちで死んでほしい。さぁというわけで提案です!」
倫理観が欠如しているような発言を平気で口にする子供……。
彼は笑顔で立ち上がり、細い枝のような足で巨大な両腕を支えた。
背は以外と小さいようだが、巨大な腕が本来の大きさを誤魔化すように錯覚させた。
片腕を、こちらへ伸ばす。
小さな花を摘むように丁寧に差し出された腕は、やはり気持ち悪かった。
「和風異世界、いかがですか?」
一方的な提案。
彼は笑顔を張り付かせたまま、私の回答を待っている。
今の一瞬で様々なことが起こっていたが、とりあえずこの存在が日本語を話してくれて、尚且つ比較的温厚そうな性格だと分かった。
まだ恐怖心が残っているが、少しだけ平静を保つことができた。
とりあえず、まずは前提を訂正したい。
「私……自殺志願者じゃないですけど……」
「……え?」
「え」
「えっ?」
「え?」
高速で疑問符をぶつけ合ったあと、すぐに沈黙が流れる。
目の前にいる存在は笑顔のままだが、明らかに『やってしまった』という表情が表に出てきていた。
そして急に動きだし、後ろに扉を出現させる。
現れたのは、あの神社の裏手にあった本殿への扉だ。
それをこじ開けようと全力を尽くしているようではあったが、びくともしていない。
「ヤバイヤバイヤバイヤバイ! それは駄目だって本当に! ちょっお願い開いて!? うおりゃああああああっ!!」
扉はびくともせず、沈黙を守っていた。
しばらく格闘していたが、頑なに開かない扉を前にしてその存在は脱力する。
そして困ったように頭を抱えた。
猛烈に嫌な予感がする。
いや、これはもう予感ではない。
確実にただならぬ存在から何をどうがんばっても、どうしようもない問題を抱えさせられるだろう。
そもそも……先ほどの話も気になる。
自殺志願者だと勘違いして……連れてきたのだろうか。
死ぬならこっちで死んでくれ、というのも気になるところなのだが……今の私の中にある知識と情報では、この空間を理解するのも難しい。
こういうのはそういうものだ、として流すのが一番いいのだろう。
……だが今はそうも言っていられない。
目の前の存在が振り返った。
先ほどの笑顔は消えており、若干泣きそうな顔をしている。
そして高速で歩み寄ってきた。
「ぎゃああああああ!!」
「ほんっとごめん! 僕が注意してみて……」
「うわっああああっぎゃああああ!!」
「えっちょ」
「わあああああああああ!!!!」
やめろ近づくな!!