13.3.異形と人間
鈍色の空が次第に濃くなっていく様に気づけば、パラパラと雨が降り始めた。
まだ小降りだが遠くの雲を見やれば、次第に雨足が強くなっていくだろうとわかる。
屋外で作業を行っていた者たちは『急げ急げ』と小走りで道を通り抜け、簑を荷物に被せて来る雨を防ごうとしていた。
雪が降り積もるこの時期に雨となれば、今日はなおのこと冷えるだろう。
急に変わった天候は心の様を表しているようで、なんだが不安な気持ちが込み上げる。
走り抜ける風の冷たさに思わず身震いをした雪野は、そっと雨戸を閉めて囲炉裏の方へと足を向けた。
そこには既に御代がいて、火箸で炭をつついている。
隣に腰を下ろして手を伸ばし、囲炉裏で暖まった。
「寒いわね……」
「そうですね~。あ、お茶飲みます?」
「うん。頂くわ」
御代は湯呑みに新しくお茶を入れて手渡してくれた。
暖かい飲み物をゆっくりと飲むと、体の芯から暖まるような心地だ。
張っていた気が緩んでいく。
「お口に合いましたか?」
「ええ、美味しいわ。やっぱり寒いときは暖かい飲み物よね」
「でも……鬼の屋敷は少し大きいですね……。この火鉢もちょっと重いです……」
「鬼用だもんね」
囲炉裏も大きく、天井も高い。
居間もすこし大きいのでなかなか部屋が暖まってくれないが、外にいるよりはましだ。
本当はもう少し大きな火を焚くべきなのだが、今は物資不足。
冬とはいえ、無駄遣いは避けなければならなかった。
因みにこの屋敷では、巫女たちが住むために宛がわれている。
今は津辻原によって修行を行っているところだ。
未だに気が狂っている巫女は、別の屋敷で療養しているらしい。
医者の話によれば、完治するのは難しいとのこと。
あれは精神の病なので、医学があまり発展していないので精神疾患患者の治療法に有効な手段はないのかもしれない。
「そういえば……雪野様」
「なあに?」
「彼女たち……誠に戦えるでしょうか?」
「あら、信じてないの?」
「あっ! いやそういう意味じゃ……」
「分かってるわよそれくらい。心配してるのよね?」
「……はい」
視線を落とし、火を眺める。
御代の発言は彼女たちが本当に前に出て戦えるのかという疑問ではなく、敵と対峙した時に力を発揮できるか心配をしているものだ。
巫女の術は己の精神力に直結する。
怖じければ力が弱くなり、己すらも守れなくなるのだ。
初めての戦場で力を発揮できない巫女は多い。
御代もその一人だったし、不落城で平将門と戦ったときも、怖じけてしまった。
孫六と山本が助けてくれなければ、殺されていただろう。
長年前線を張ってきた御代ですら怖じけるのだ。
新米が怖じけず戦うのは、相当な覚悟がなければ難しい。
「でも大丈夫」
「……そう、ですかね」
「私がいるからね。全員守るわよ」
「その自信、羨ましいです……」
「えへへ」
その時だった。
御代の体が大きく跳ねる。
一度この反応を見たことがある雪野は、すぐさま反応してこの家屋を覆うほどの結界を形成した。
すると何かがぶつかったらしく、結界が少しばかり揺れた。
真っ先に思い浮かべるのは継ぎ接ぎの女の子だ。
不落城への奇襲も彼女の能力によるものだということは、なんとなくわかっている。
御代の反応からしてそれは間違いないだろう。
「攻めてくるのが早すぎる……!」
「ゆ、雪野様……!」
「御代ちゃん立って! 結界術は貴方の方が得意でしょ!」
「う、うん!」
膝を叩き、すぐさま立ち上がって結界を構築する。
三重の結界を作り、巫女のいるこの屋敷を完全に守ることに成功した。
今、巫女を殺される訳にはいかない。
彼女たちは今、最も期待されている希望なのだ。
だが、外で戦闘が行われているのであれば、ここから出なければならない。
御代にこのことを確認してみると、眉を顰めて不思議そうにしていた。
「ど、どうしたの?」
「えと……誰も、来てません……。いや、あの術を使う異形が来ているのは間違いないのですが……。ほかには、何も……」
「一人だけで来てるってこと?」
「は、はい……」
これに雪野は訝しむ。
追撃で殲滅までするつもりなのであれば、すぐにでも戦闘は始まっているはずだ。
だがその気配は、確かにない。
とはいえ、こちらに異形が手を伸ばしてきたのは事実。
警戒するのは当たり前だし、結界を張ってしまった以上迂闊に動けない。
暫く膠着状態が続くかもしれないと思ったが、そんなことはなかったようだ。
『こんにちは』
「「!?」」
雪野と御代が互いに距離を取る。
声が二人の間から聞こえたためだ。
すぐさま守の御力を発動させた二人だったが、それでも声は止まらない。
『驚かせてしまい申し訳ございません。えっと……旅籠様のご友人。貴方にお話があって参りました』
「……私?」
『私は月芽。争いに来たのではなく、お話をしに来たのです』
「雪野様! 信用してはなりません!」
御代が珍しく声を張り、守の御力の効力を最大限にあげていく。
これによって月芽が少し苦し気な声を出したが、彼女は言葉を続けた。
『……私たち異形も、人間と同じように、犠牲を払いたくはないのです。互いの意思が分からぬまま、争っていてなんになりましょう』
「……確かに」
「雪野様!?」
「いや、その通りよ。月芽。貴方たち異形の目的はなに?」
『……一対一で、お話ししたく』
「なりません!」
『こう……水を差されてはお話になりませんので』
御代が駆け寄り、雪野を守るようにして背に隠す。
多数の小さな結界を右手に作り出し、左手は銀のオーラを放ち続けている。
彼女は雪野を守ろうと必死になっているということが嫌でもわかった。
どうやら、そう簡単には行かせてくれないらしい。
すると、結界の発動に気づいた津辻原が扉をけ破って入ってきた。
狭い空間だが薙刀をしっかり操れるよう短く持っており、滑るように移動して二人の前で構えを作る。
「敵は!」
「場所は分かりません……! でも近くにいます!」
『わ、わあ……。ううん、私はただ……旅籠様のご友人とお話がしたいだけなのですが……』
「あそこまで派手にやっておいて交渉ですって? いい度胸じゃない」
『……では、少し手荒になることをお許しください』
声が止んだ。
御代は気配が離れていくことに気づき、逆に青ざめる。
「っ!! 風たちが襲われるかもしれません!」
「十分あり得るわね! 結界を解いて頂戴!」
「ちょっと二人とも待っ──」
次の瞬間だった。
「ぎゃあああああああ!!!!」
「うがあああ!? ああぐ!? あああああああ!」
数名の断末魔。
これは屋敷の外から聞こえた物で、男の声だった。
断末魔を聞いてきて集まったであろう風たちすらも、何か激痛を訴えて叫び声を上げ続ける。
それは次第に数を増やしているようだった。
三人は慌てて結界を解き、外へと走る。
すぐさま守の御力を発動できるようにしていたのだが、それは目にした惨状に阻止させられた。
庭に突如として現れた血の池。
数十名の風たちが刀を抜刀することすらなくその場に倒れており、さらにその周囲には動きを封じられた風たちが激痛に顔をしかめていた。
彼らの身体には継ぎ接ぎが伸びており、それが開かれると皮膚が千切れ、血がこぼれ出る。
そして、血の池の中心に立つ女の子。
体中に継ぎ接ぎがあり、落ち着いた色だが綺麗な着物を召している。
彼女はようやく姿を現したが、その表情は余裕に満ちていた。
登場した三人を見て、丁寧な口調を崩さないまま笑みを浮かべる。
「理解が速いようで大変助かります。流石巫女と呼ばれる者たちですね。貴方たちが今、私の異術を封じれば、この者たちはそのままとなります。あ、動かないでくださいねー? 動いても千切れるので。ですが」
月芽が指を振る。
すると、倒れていた者の傷がたちまち消え去った。
流石に流れ出た血までは元に戻らないようだが、これ以上血を失うことは間逃れたらしい。
か細い息が、未だに生きていると教えてくれる。
「私であれば、元に戻すことができます」
そこで津辻原が怖気を感じた。
すぐさま下がろうとしたのだが、自分だけで精一杯。
御代と雪野に、継ぎ接ぎが伸びてきて……捕まった。
「うっ!?」
「うわ……!」
「二人とも!」
「兵は替えが利きますが、巫女は少ないんでしたっけ? 兄様から聞きました」
「お前……!」
津辻原が構えるが、やはり動くことはできない。
一瞬のうちに大量の人質を取られてしまったのだ。
その中に巫女が入っているとなれば、迂闊に手を出すことはできなかった。
ここからは月芽の独壇場だ。
有利は完全に彼女にあり、主導権すらも完全に奪われていた。
これが、異形なのか。
力の差があまりにも大きすぎることに、津辻原は唇を嚙むしかできない。
守の御力を発動すれば、大量の怪我人を生むし、巫女二人の命も危なかった。
戦える術を持っていたとしても、相手に弱点がばれており、それを人質に取られてしまえば津辻原とてできることは何一つない。
ただ、恨めし気ににらみを利かせることしかできなかった。
「ふぅ……。これで話を聞いてくれますかね?」
「私に用があるのよね?」
「はい。その通りです。お話が終わればここへお連れ致します」
「分かったわ。連れて行ってくれる?」
「雪野様……」
「雪野ちゃん……!」
雪野の足に登っていた継ぎ接ぎが引っ込む。
その継ぎ接ぎは目の前で横に伸び、ガバリと口を広げた。
「その中へお入りください」
「どこに繋がっているの?」
「神社です」
「分かったわ」
雪野は少しためらったが、意を決してその中へと飛び込んだ。
それと同時に月芽も自分の足元に継ぎ接ぎを伸ばし、自由落下で落ちていった。
継ぎ接ぎが消えると同時に怪我人の傷は癒え、御代やほかの者たちに伸びていた継ぎ接ぎも引っ込んだ。
無事に解放されたらしいということに気づき、多くの者たちは安堵の息を漏らす。
だがそこで地面に石突きを強く打ち付ける音が響いた。
津辻原の薙刀が地面に突き刺さっており、悔し気にしながら膝をつく。
御代もその場に崩れ落ち、顔を覆っていた。
「雪野ちゃん……!」
「雪野様……どうか、ご無事で……!」
あの異形に対し、何もすることができなかった。
自分たちの周りにだけでも守の御力を発動させておけばよかったと、今更ながら後悔する。
握り拳を固める音が、彼女たちの無力さを物語っていた。




