1.16.誘惑
ふよふよ、と意外と早い速度で黒い影が移動する。
この地を旅し続けた彼にとって、長い距離の移動など大した苦にはならない。
いくつかの丘を越えていけば、目的地に辿り着く。
だがそこまで目立ってはいけない。
ゆっくりと、少数で動いている二口を探さなければ。
気持ちが前に出てしまい、思わず草の根をかき分けて進んでしまう。
ガサガサと音がたった瞬間『誰だ!』と警戒する声が投げ込まれる。
「っ……! とと、なんでぇ、旦那でやしたか」
「なんだ……お前か……。驚かすんじゃねぇよクロボソ」
「こいつは失敬」
ぼろくなった笠をつまみ、深々と頭を下げる。
相対しているのは二口だ。
長くぼさぼさな髪の毛が乱れながら伸びている。
正面から見れば普通の出で立ちなのだが、時折頭頂部が上下していた。
後頭部にある口がもごもごと動いているのだろう。
人間に近い姿をしているとはいえ、その様子はやはり異質だ。
どうやら見回り巡回役を見つけたようで、幸いなことに一体しかここにはいない。
本当に他に誰もいないかを確認するため、きょろきょろと周囲を見渡していると訝しまれた。
これは良くない。
「で、何してんだ」
「あいや、ちょいと耳よりの情報がありやしてね……」
「ほう? 言ってみろ」
「渡り者が異形の地に降りて来たんでさ」
「! ちょっとお前こっち来い……!」
ガッと長い髪の毛で肩を掴まれ、強引に連れていかれる。
連れていかれたのは深い茂みの中だ。
しばらく進んだ後、立ち止まった。
「それは本当か?」
「あっしが言うんでさ。間違いありゃあせん」
「これを教えたのは俺だけか?」
「そうでさ。んまぁ他にも……」
「いや待て、大丈夫だ。よくやった」
この二口、笑っている。
どうやら、この二口はこの情報を自分のものにしたいらしい。
渡り者が来たと知っている二口が自分だけということを喜んでいる。
大方、これを自分だけの手柄にするつもりなのだろう。
自分たちが強くなり、妖術を扱えるようになる術を模索し続けているのだ。
弱い妖は弱い妖なりにいろいろ考え、やりくりしている。
そこで二口が目を付けたのは、異形の地であった。
この地は妖怪でもそうそう足を踏み入れることはない。
異形の地を支配下に置いてしまえば、渡り者との遭遇率は高くなる。
だが、支配下に置くといっても、二口がその地に滞在してはいけない。
その理由は、他の妖から確実に目を付けられるからだ。
妖にとって無価値である異形の地に、何故お前たちは滞在しているのかと問われてしまうと面倒である。
そのため距離を置き、時折恐怖心を与えに赴く。
そうすることで抵抗の意思を完全に殺す。
かくして二口は妖の中でも比較的渡り者を捕縛してくる妖怪として、力の強い妖に一目を置かれている。
これは弱い妖が生き残るための術だ。
だが、このままで終わるつもりは毛頭なかった。
「よし、ではこれを大口様に……」
「! ……あ、あの~……旦那」
「なんだ?」
「あっしゃ思うんですけど……。えと、妖って、渡り者を喰らうと強くなれるんでやしたっけ?」
「そうだな」
クロボソの問いに二口は頷く。
妖が必死になって渡り者を探す理由はこれだ。
もちろんこの世界の人間を食うことで、自分の力を増すこともできるが、渡り者であれば一人で人間数十人から数百人分の力を得ることができるとされている。
それを自らの主に献上するのは至極当然のことだ。
だが、それではいけない。
「でやしたら、大口様だけが強くなっても意味ないのではありゃんせんか?」
「……おいクロボソ、お前……」
「いやいや、悪い意味じゃあございやせん」
この言葉は無礼に当たるのだろう。
だがここは、自分の意見を貫いて続きを口にする。
「二口の主、大口様が力を得るのは必須。されど、周りの者が今のままでやすと、大口様だけに負担がかかりやせん? 大口様だけの力が強くなったとて、それは一族が強くなったと言えるんでやすか?」
「……なるほど? 確かに、言われてみればそうだ」
一人だけが強くなったとしても、他の者が弱いままだと一族としては強くなれない。
結局大口に頼るしかない状況になってしまうことに、この二口は首を傾げた。
主と、それに付き従う者共。
双方が強くあらなければ、力を維持することは難しい。
「旦那が大口様の右腕になる為に、あっしが見つけた渡り者を喰らいやせんか?」
「……それは大口様の裏切りにはならないか? 今までだってこうした時、他の妖に手柄を奪われた」
「だからこそ、見つかる前に喰らうんでやすよ。渡り者を捕えているのは異形の地。そこれであれば、そうそうみつかりゃしやせん」
クロボソは二口の様子を伺う。
彼はしばし悩んだあと、小さく頷いた。
「いい案だ。よし、案内しろ」
「承知いたしやした。一人でよろしいでやすかね?」
「おう。また捕まえたら違う奴にやるさ」
二口の言葉を聞いて、クロボソは心底安堵した。
だがそれを表には出さない。
そのまま二口を連れて、渡り者がいる所まで案内をしていく。
移動にはそこそこ時間がかかった。
クロボソは浮遊しているので山道に苦戦したことはないが、やはり地面を歩いているとどうしても歩みが遅くなる。
それにより体力も奪われていき、異形の地についた時にはすでに日が落ちそうになっていた。
ズゴゴ……と怪蟲が動く音が聞こえる。
だがたいした驚異ではないので、二口はそのまま案内される通りに歩いていく。
数日前に傷つけられた異形たちがその辺にまだ転がっていた。
二口がそれを意に介す様子は一切なく、案内に従って足を速める。
ようやく目的地に到着すると、そこにあったのはぼろくなった神社である。
屋根が残っているのが奇跡とも言える代物だ。
クロボソはその奥の一点を指さす。
目を凝らしてみてみると、確かに縛られた渡り者が項垂れてそこに座っている。
「あれか」
「あれにごぜぇやす。他の二口様にバレると面倒なんで、さっと喰ろうてくだせぇ」
「よし」
二口は素早い身のこなしで渡り者に近づいた。
眠っているのか、動く様子は一切ない。
器用な寝方をする者だ、と思いながら後ろを振り向き、後頭部にある巨大な口をグワッと開けた。
これが妖怪、二口である。
歯並びは悪く、唾液が糸を引いている。
それが今にも渡り者を喰らおうとしていた。
「突けぇ!!!!」
「!!?」
渡り者の後ろから、鋭く尖った木々や竹が一気に飛び出した。
その数は十本。
しかし左右からも五本の木々や竹が飛び出し、大きく開いていた二口の口を穴だらけにしていく。
刺突音が何度も繰り返され、その場に血だまりが広がった。
頭だけではなく腹も、胸も、腕も脚も手も喉も……即席で作った槍が貫通する。
二口は渡り者が叫んだ瞬間増援を呼ぼうとしたが、その前に白い毛玉が口の中に放り込まれ、更に武器で貫かれてしまったので声など出す余裕はなかった。
そして全身が串刺しにされ、息絶える。
その場にどさっ……と倒れたところで、外から様子を伺っていたクロボソが近づいて二口の生死を確認した。
「……死んでやす」
「おっしゃおっけい!!」
パッと縄を解いて立ち上がる。
それに続き、異形たちも喜びの声を上げた。
たった一匹の妖を始末しただけではあったが、これだけで異形たちは大きな自信をつけた。
今までやられてばかりだったが、ようやく反撃に出ることができたのだ。
戦えないと思っていたが、そうではない。
それをようやく、今思い出して立ち上がった。
「やりましたよ旅籠様! 見ましたか今の!」
「僕もやったぞ! やってやったぞ!」
「旅籠様~! ど~ですか僕の糸玉!」
「分かった分かった……」
喜び勇んで旅籠との距離が一気に近くなる異形たち。
気持ちは分かるがそんなに近づかないでほしい。
増えたワタマリを抱え、彼らの接近を防ぐ。
それにしても上手く行った。
私が囮となり、他の異形たちが木樹に作ってもらった武器を手にして待機する。
木を切り倒すのには反対していたが、妖を倒すための武器が欲しいとお願いするとすんなり作ってくれた。
そしてワタマリが音と気配を喰らい、二口から認識されないようにした。
ワタマリとも意思疎通がとれたのは驚いたが、そのおかげで全員がバレずに完全な奇襲を行うことに成功。
これは文句なしの作戦勝ちだろう。
それと、最も貢献したのは……。
「クロボソ、お疲れ」
「いやいや、これだけじゃああきゃんせん。まだまだ連れてきやす」
「期待してる!」
あの時クロボソはこの一団に加わることはしなかったが、途中から顔を出して自らが二口を誘惑して連れて来る、と提言したのだ。
聞いてみると、今まで犠牲になった渡り者は最終的に二口に捕まった。
その時クロボソは渡り者を裏切り、二口に献上してきたと零した。
それには理由がある。
見つからなければもちろん裏切るなんてことはしないし、人間の里にまで送り届けたいと常々思っていた。
だがそれが確実に失敗に終わると判断した時、渡り者を裏切って献上して二口に恩を売ったのだ。
そして二口たちの話を聞き、その情報を駆使して次こそは渡り者を送り届けるつもりだったらしい。
なかなかうまくはいかなかったようだが、それでも私の時は上手く行っている。
今まで犠牲になった渡り者を使って築いた恩を、この場で使い切るつもりのようだ。
顔見知りというのであれば、誘惑はクロボソが最も適任だった。
「クロボソはあの連絡方法、覚えてるよね?」
「無論。二匹連れて来たなら怪蟲を二匹。三匹連れて来たなら怪蟲を三匹移動させやす」
「移動した数は私が判断できます」
「めっちゃ助かる」
これが連れてきた人数の把握方法。
異形は怪蟲を自由に使役できるが、弱すぎるという難点がある。
であれば連絡手段に使おう、と私は考えたのだ。
ツギメが動いた怪蟲の数を把握してくれるし、クロボソも自在に操ることができる術を持っている。
簡単な連絡であれば、これで充分そうだ。
「よし……! この調子で行くぞ!」
『『おおー!!』』