10.4.知らない天狗
なにかが転がる音がするのだが、あまり綺麗な音ではない。
乱暴に打ち付けられたそれはボギッと鈍い音を立て、手に持っていた武器を手放してガランガランと喧しく響く。
なんとか立ち上がろうとするが、折れた骨の痛覚が今頃やってきた。
激痛に顔をしかめて耐えていると、何者かが目の前でじゃり、と地面をにじる。
「満足ですかな?」
「十二分だろう」
片足だけで立っている案山子の異形と、びしょ濡れの異形人。
二人が相手をしていたのは、背中に黒い翼が生えている天狗だった。
周囲には七体ほどの天狗が地面に倒れており、辛うじて生きているのは目の前の天狗だけだ。
案山子夜は難しそうに手を動かす。
「加減というのは難しいですな」
「天狗相手にあそこまでできれば上等だ」
「落水殿は流石と言うべきですかな」
「場数が違うからな」
落水は四体、案山子夜は三体の天狗を仕留めている。
高速で動き回る彼らをどう捌いたのかはお互いに見ていない。
さすがにそこまでの余裕はなかったのだ。
そこで生き残った天狗が痛みを我慢しながら顔を上げる。
彼はなんとか上体を起こして落水を見た。
「ぐ……。何故、人間に我らが……!」
「普通の人間相手であれば蹂躙できただろうな。だが俺は異形人。一応不死身なのだよ」
「手応えはあったのに、死なないのは……それか……!」
「捕まえりゃあ楽なもんよ」
落水の戦い方は半分捨て身だった。
わざと攻撃を受け、体の中で相手の得物をガッチリと掴み、切る。
たったそれだけだ。
無論簡単に逃げられないようにいろいろ細工はしているのだが、これ以上ネタバラシをする必要もない。
落水は日本刀を納め、あとのことを案山子夜に任せた。
「貴様は……なぜ天狗の速さに追いつける!」
「それがわての異術だと思えばいいですぞ」
「そんな、出鱈目な……力があってたまるか!」
バンッと強く地面を叩いた衝撃で立ち上がる。
足と腕が片方ずつ折れているはずだが、念力でも使っているのか肉体を無理やり修正して武器すら構えた。
この根性は見上げたものだ。
折れた骨を修復するのは相当堪えただろう。
手に持っている槍をくるくる回し、案山子夜も構えを取った。
相手がやる気なのであれば、戦意を喪失するまで骨を折るだけだ。
しかしこれほどの根性があるとなると、尋問は無意味かもしれない。
バッと力強く開いた翼で空を掴む。
瞬時に後方へと移動して八角棒を構える。
「死ねぇ……! 異形がぁ!!」
再び空を掴み、己が出せる最速をもってして案山子夜に飛び掛かった。
天狗は妖怪最速。
この速度に適応できる存在などいないはずであり、この力があるからこそ天狗は地位を築き続けてきたのだ。
それをこんな異形が覆せるはずがない。
天狗が動けば木々がざわつく。
一拍遅れて爆風が吹き荒れ、目にも止まらぬ速度で移動しているのにも関わらず、その攻撃は的確だ。
力強く握った八角棒を案山子夜に向けて振り抜いた。
一瞬の静止。
八角棒がぶつかるであろう瞬間、世界が酷く遅くなる。
そこで天狗が見たものは、案山子夜がゆるりと動きながら残されている片方の足を槍で殴りつける瞬間だった。
「年功」
「ッッカ……!」
槍を振り抜いた案山子夜が動きを止めると、天狗が背後で地面と木々を破壊しながら吹き飛んでいった。
所々で血液がべっとりと付着しているのが分かる。
相手が飛んでくる速度が速すぎて足を両断してしまったのが原因だろう。
あれはもう助からない、とため息交じりに姿勢を戻す。
「なにしてんだ案山子夜」
「あの手の者は尋問したとて無駄ですぞ」
「ハッ。よくわかってんじゃねぇか」
「……故に、落水殿は全ての天狗を殺したのですな」
「ああ。にしてもお前の異術はなんなんだ?」
「年功ですかな?」
笠を取り、わさっと稲の髪をかき分けてからまた被る。
「そりゃなんなんだ」
「年の功……という奴ですが、もう少し詳しく説明すると……」
その時、べり……という音が地面から聞こえた。
音の方を見やれば継ぎ接ぎが伸びており、それが開いて月芽がひょこっと顔を出す。
「わぁ、お久しぶりです兄様! 案山子夜!」
「おお、月芽! 久しぶりですな! そちらは問題ないですかな?」
「はい! こちらも大丈夫そうですね」
「旅籠様の頼みですからな。何としても死守して見せますぞ」
「心強いです! そういえば異形鬼? という方が居られると聞いておりましたが……どこに?」
「奴なら休んでいる。心配無用だ」
「兄様がそう仰るなら大丈夫そうですね」
案山子夜は月芽に見えないようにしながら、落水に片手で感謝を述べた。
流石に勝負してボコボコにしました、とは言えない。
先ほどまで天狗とやりあっていたが、これも隠すつもりらしい。
心配されると思ったからなのだろうか。
案山子夜は小さく頷いてそれに応えた。
「月芽が来たということは、向こうで何か動きがあったのですかな?」
「お二方の確認を旅籠様より命じられまして。様子を見に来ました。それと、あと一月の間に城攻めの準備が整うということをお伝えに」
「一月!?」
「月芽、それは本当か?」
「はい! 崩落村にいた異形たちがすぐに増殖できる者たちだったのです! のっぺらぼう衆の拠点を落として名を与え、更に強くなっておりますよ!」
「のっぺらぼう衆か。相手としては丁度いいな」
他にも新たに名を与えられた者を共有していく。
布房は布伝に。
クニイワは漢字を与えられて国岩に。
異傀儡衆の筆頭であった草傀儡は壱成という名を与えられ、名を継承し続けてきた彼らの長も成長した。
異傀儡衆に落水は反応を示す。
どうやら文献で見たことがあるらしい。
「名を継承する異傀儡衆か」
「知っておられるのですか?」
「ああ。先代が死ぬと、子孫が名を継承し続けるらしい。だが与えられた名ではないため力にはならぬのだが、新たに名を与えられた個体が出現すると、それに呼応するように名が肉体に刻まれるのだ」
「へぇー! 珍しいですね!」
「過去に重宝されていた異形であるということだ。良い味方になるぞ」
一人に名付けをすれば、他の者も強化されるのはこういう理屈がある。
だがやはり新たに名を与えられた個体が一番強くなるらしく、壱成は名をもっていなかったが筆頭の座についたらしい。
そこまで話を聞いて、月芽は思い出したように声を出して案山子夜を見た。
「そういえば、旅籠様が異傀儡衆は案山子夜に任せたいと申されておりましたよ」
「わてですかな?」
「はい。なんでも姿が似ているからだとか」
「カハハハハ! なかなか適当な理由ですな! だがよいですぞ、承りましょうぞ!」
「では、そうお伝えしておきますね! 最後に……」
月芽は真剣な様子で二人を見た。
案山子夜と落水も雰囲気が変わったことに気づき、背を伸ばす。
「残り一月。この場をお任せしても?」
「……落水殿」
案山子夜が不安げに名を呼ぶ。
先ほど、天狗とやりあったばかりであり、彼らに目を付けられている可能性が否定できなくなった。
このまま一ヵ月間、天狗が来ないとも限らない。
案山子夜はこれを懸念しているのだろう。
無論落水も同じ考えだ。
流石にこの三人だけでは、神出鬼没な天狗を捌きつつ、一ヵ月間この山を守るのは難しい。
落水は頷き、このことを月芽に伝えた。
「そうだな。先ほど天狗とやりあってな」
「えっ!?」
「最強の一角に目を付けられるやもしれぬ。できれば五昇を送ってもらいたい。接近が分かればなんとかなるだろう」
「わ、分かりました。旅籠様に相談してきます!」
ぴょっと跳ねて継ぎ接ぎの中に消えた月芽。
開いていた継ぎ接ぎはビチッと締まり、どこかへと消えていった。
それを見送った二人だったが、また継ぎ接ぎが伸びてきて開き、月芽が顔を出す。
「あ、この子をどうぞ、とのことです!」
「「……え?」」
月芽が抱えていたのは、土の異傀儡だった。