9.5.帰還、岩の異形共
大地に強く根付いている木々が、何かを感じ取ってざわめいている。
風が強く、枝が揺らされて木の葉がかすれているだけなのではあるが、それが嫌に不気味だった。
それを感じ取った動物たちはすでに身を隠しており、顔を出すことすらしない。
何なら息も殺しているようである。
この不気味さの正体は何なのか。
一言で言ってしまえば気配である。
粘液まみれになった岩の異形たちが行進している。
その不気味さといったら、百鬼夜行よりもどろどろとしているようであった。
旅籠に任された女郎蜘蛛の子蜘蛛退治を完遂させた岩の異形共。
ただすりつぶすだけだったので滞りなく終わったようだ。
子蜘蛛は炎を噴く個体もいたが、岩の異形たちには相性が悪く誰も怯むことなく殲滅し続けることができた。
ずいぶん数が多かったので殲滅に三日程かかってしまったが、これで再び異形たちに牙向く蜘蛛はいなくなっただろう。
これにより自信をつけた岩の異形は、若干変化していた。
戦闘に特化するように腕や部位を変形させており、拳は更に大きく、鎧は更に分厚く、と危険な部位が増えている。
まだ大きな変化ではないが、褒美をもらえば更なる進化が期待できるだろう。
空蜘蛛兄弟の兄である楽は、ニコニコと笑いながら木の枝にぶら下がって彼らを見ていた。
彼らが満足に戦えていたことに喜びを覚えていたのだ。
「シシシシ~。僕の弱体毒煙、なかなかいいんじゃないこれ」
遊ぶようにしてぽっぽっと口から煙を出した。
これは異形以外の生物にのみ効力のある毒煙であり、他にも多くの効果をもたらす煙を吐き出すことができる。
今回、試験的に子蜘蛛に弱体化する毒を使ってみたところ、火を噴かないことはもちろん、まさかの壁を登ることができないという弱体化に成功した。
これが見事にぶっ刺さり、岩の異形たちはロードローラーのごとく子蜘蛛をすりつぶすことができたのだ。
支援系の能力ではあるが、ここまではっきりした弱体化を見せられると楽しくなってくる。
表には出ることができない力だが、これを与えてくれた旅籠に感謝しているので、これで満足だ。
ぶら下がっている糸を切ると、下にいたクニイワの頭の上に着地する。
彼も戦闘の中で若干変化しており、蛇のようなしっぽの先が鋭利な岩に変わっていた。
まるで割った黒曜石のようだ。
「クニイワ~! 調子はどう?」
「ホウコク、タノシミ」
「だね! 早く帰ろう帰ろう~! 皆~! もう少しだから頑張ってねぇ~!」
『『ロー!』』
いつもの掛け声に全員が笑みを見せる。
最後尾にいる岩の異形たちが、幾らかの荷物を運搬しているのが見えた。
あれは女郎蜘蛛が隠し持っていた物資だ。
おそらく刀や衣服などが入っているので、これを旅籠に献上するつもりである。
彼らはそのまま十山城へと進んでいった。
重々しい体が残す深い足跡を、一体の異形がじっと眺める。
既に多くの妖が異形の手にかかっており、女郎蜘蛛、雨女も仕留めた。
同格の妖の力が減少することを危惧した他の妖が、まだ弱い異形を野放しにしているだろうか?
もっと言うならば、さらに力のある妖が力をつけている異形を野放しにするか?
答えは否である。
芽は早い内に摘まなければならないのは定石だ。
これを野放しにしているなど、力の劣ってしまった妖がするわけがない。
これからそうなるかもしれない妖が異形を野放しにするはずがないのだ。
では何故、十山城は今の今まで妖に襲われていないのか。
移動中の異形は都合よく襲われなかったのか。
「感謝いたしますぞ、狐殿」
「管狐の恩返しさ~。気にすることないよ~。あと、小空ね」
「ではそのように。小空殿」
「よろしい! 蛇髪殿! んじゃいくよ~!」
それぞれが両手を合わせて乾いた音を立てる。
印を結んで一つの結界を作り出した。
「「不知覚結界」」
ぱっと手を広げると、それが地面に吸い込まれていく。
たったこれだけだ。
特に派手な音が鳴るとか、大きな半透明の結界が出てくるとか、そういったことは一切なかった。
これは異形を探し出そうとしている相手から、異形を発見させなくする結界だ。
そのため溶け込むように静かに展開される。
隠す結界なのに、それが派手では意味がないのだ。
確認するために、小空は再び印を結んで手で望遠鏡を作る。
そこから見えるのは確かに張り巡らされた結界だ。
二重結界になっているので、そう簡単に発見されることはないのだが……。
「僕のより若干精度良くない?」
「何を言いますか……。儂はこれで全力ですぞ……? 小空殿は余力があるではありませぬか」
「アハ、ばれちった。いやでもすごいよ。流石だね」
「ほっほ、狐殿にそういわれる日が来るとはのぉ……。この蛇髪の命、まだ捨てたものではないですな」
「でもあれでしょ? この精度で……まだ漢字を宛がわれただけでしょ? 名前つけられたら化けそうだね」
「そうなれるよう、精進せねばなりませんですじゃ」
蛇髪は照れくさそうに頬をかく。
市女笠から見える白い鱗は、己から発光しているように見えた。
さて、これで恩は返した。
ここまでやってやれば管狐を助けてくれた礼としては十分だろう。
一応蛇髪に聞いてみれば、小さく頷いて満足してくれた。
「んじゃ、これで対等だね」
「ですな」
「対等になったところで頼みがあるんだけどいいかな」
「儂で決められますかな?」
「まぁ嫌とは言わないだろうし、なんなら蛇髪でも判断できることだよ」
「では聞かせていただきましょうか」
ニッと笑った小空は蛇髪に向き直る。
「手を組もう」
「……今なんと」
「手を組もうって言ったんだ。狐と、異形で」
蛇髪は目を見開く。
最強格である狐からの誘いで、大変ありがたい申し出ではある。
しかし、なぜ……という疑問が浮上した。
狐は妖怪の中で最強の妖術を有しており、異形など未だ取るに足りない相手であるはずだ。
だというのに……向こうから同盟の誘いが来るとは。
夢でも見ているのではないだろうかと思う反面、何が狙いだ……と警戒するしかなかった。
小空は、蛇髪はこう反応するだろうと予想していたらしく、思った通りの反応にくすくすと笑う。
とりあえず誤解を解かなければならないのと、説明が必要そうだ。
こほんと一つ咳払いをして話を始める。
「僕は野狐。階級としては地狐だけどね」
「……嘘ですな?」
「あれぇ? なんでわかったの?」
「狐が異形と手を組み、他の狐を納得させられるだけの権力が小空殿にはあるはずですじゃ。少なくとも仙孤だと思っておりますが」
「へへ、まぁそこは秘密ね。で、どうするの?」
「その前に目的が知りたいですぞ」
その話をするのを忘れていた。
コクリと頷き、その理由を口にする。
「異形はこれから強くなる。そして管狐を保護してくれたから信頼がある。僕たちは君たちと戦って被害を受けたくないし、恩人でもあるから被害を与えたくもないってだけ」
「意外と単純ですな……」
「何でも分かりやすい方がいいでしょ。さ、話したよ。どうする?」
「……」
蛇髪は顎に手を当てて思案する。
だがすぐに考えはまとまったようで、小空を見た。
そして、きっぱりと答えを出す。
「お断りしますぞ」
蛇髪の答えに、小空は真顔のまま表情を崩さなかった。
しかし、この提案は受け入れられない。
確かに狐は妖怪最強の妖術を有しており、味方ともなれば心強いことこの上ない。
だが……前提として彼らは『妖怪』なのだ。
「妖怪が、我ら異形にしたこと……。忘れはしませぬ。今更手のひらを返されようと、その手を取ることなどできませぬわ」
何年だ。
何百年だ?
力がないから、異形は使えないとして妖怪どもから下僕のように扱われ、面白半分で殺される日々を過ごした。
それを忘れて手を取り合おうなどとは、口が裂けても言えないし、どれだけ積まれようと蹴り飛ばさなければならない。
きっぱりと断った蛇髪に、小空は未だ真顔を張りつけている。
数秒それを保った後、ニカッと笑った。
「いいね! それでこそ異形だ!」
思わぬ反応に蛇髪は顔をしかめた。
どうやら、試されていたようだ。
「僕たちの力を知っていて利益になると分かれば、大体乗ってくるんだけどね。でもそれは僕らを頼りにしてるだけ。彼らが僕らにくれるものなんて、やっぱ少ないんだよね」
「……」
「その点、やっぱり異形はいい。利益じゃなくて道を貫いた。僕たちに返ってくるものがなくても、その決意は僕らが与える物以上に価値がある」
小空が背を向けた。
ふらりと浮かび上がって帰路の準備をする。
「だからこそ、君らとは戦いたくない。僕たち狐から異形に攻撃を仕掛けることはないとここで誓おう。でも、君たちが戦いたくなったらいつでもおいで。相手になるから」
「感謝いたしますぞ。小空殿」
「次合う時は敵かな? 友かな? 楽しみにしておくよ!」
そう言い残し、小空は空へと消えていった。
蛇髪も振り返って石の異形たちの足跡を追う。
暫く空を飛んだところで、小空は後ろを振り向く。
そして、誰がどう見ても心底落胆している様子を露わにした。
「……断られちゃった……。ああ、異形たちと戦いたくないのって……本心、だったんだけどなぁ……」