1.12.音喰い、異変
家の修繕の案を巡らせていると夜になり、就寝する運びとなった。
さすがに木材無しで家の修繕はできそうもない。
どうにか木樹の妥協点を探りだして、もう一度交渉するしかないと決めた時には既に日が暮れていた。
結局今日も、何もしていない。
とはいえ、異形とも普通に話ができるようになった。
姿形がちょっと違うだけで、芯にあるのは人間の心や性格とまったく同じものだ。
それに気付いた瞬間、彼らと接する時あまり怖気なくなった。
いいことだ、と自分で思いながらワタマリを抱きかかえる。
温かいワタマリは周りにコロコロ転がっており、冷たい風からも守ってくれた。
ぺしょぺしょ、ぺしょぺしょ。
この日初めて、ワタマリが何かを舐める音を聞いた。
なんだ、と思って暗い中ワタマリを掴んで弄り回してみると、手を舐められる。
「……口、あったんだ……」
そういえば、ワタマリは何を食べているんだろう。
ふとそんな疑問がよぎったが、睡魔に負けて目を閉じる。
その後も、ぺしょぺしょという音はワタマリから聞こえ続けていた。
◆
朝起きて、村を見て愕然とした。
前々からぼろぼろの村ではあったが、今日、それが更にぼろくなり、地面に幾つもの血痕らしきものが飛び散っている。
昨日まで元気だった異形たちはひどく疲弊しており、怪我を手で押さえて痛みに耐えている者もいた。
「何が……」
「ケフッ。ぺしょぺしょ」
ワタマリたちが舌なめずりをする。
するとぽこぽこと分裂し、更に数が増えていく。
過半数は廃屋の天井にぴょーんと跳ねて消えていったが、十二匹は旅籠の足元に近寄った。
いつもであれば持ち上げて可愛がるが、そんなことをしている余裕はなかった。
一刻も早くこの現状を聞かなければならない。
「つ、ツギメ! クロボソ! 空蜘蛛兄弟! 誰かいないか!?」
青、赤、黄色といった液体が地面に流れている。
異形は血液の色が様々らしいが、怪我をしていることに変わりはない。
いくつか冷たくなっている異形も散見でき、思わず口元を押さえて目を反らした。
一体、何が起きたんだ……?
とにかく話が聞きたい。
誰でもいいから、近くにいた枯草の様な異形に声を掛けた。
「だ、大丈夫か!? なにがあった!」
「……」
「喋れない異形か……」
すると、その異形が一点を指さす。
そちらを目で追ってみれば、ツギメとクロボソが異形たちの手当てに追われていた。
「有難う、話を聞いて来る」
「……」
弱弱しく枯草の手を振ったのを見てから、私はすぐに二人の方へと赴く。
足音で気付いたのか、ツギメは少し焦ったようにしてクロボソを見た。
カリカリと細い指を動かして頬を掻くクロボソは、すぐに笠で顔を隠してしまう。
反応から察するに、あまり見られたくはない光景だったのだろう。
だがここまで大きな変化を見逃すはずがない。
「ツギメ、クロボソ。これは、なんだ? なにがあった? 襲撃か?」
「は、旅籠様。こ、これは、その……えーっと……」
「ツギメ殿。もう隠し通せる話ではありゃんせんぜ」
「この惨状を話せと申されるのですか!? そんなの……」
「隠す方が、不安になるとあっしは思いやすがね」
そう言われ、ツギメは旅籠を見た。
自分ではどんな顔をしているのか分からないが、クロボソの言う通り確かに不安が襲い掛かってきている。
原因が分からなければ、対処も難しい。
それを隠されるとなると、いよいよ何を信じていいのか分からなくなってきそうだ。
しばらく考え込んでいたようだが、諦めたように小さく息をつく。
「……分かりました。お話します……」
「頼めるかい?」
「あっしが説明いたしやしょう」
笠を持ち上げて顔をさらしたクロボソは、相変わらず白い口だけが動いていた。
顔を隠す必要はあるのだろうか?
一拍おいて、クロボソは事の次第を離し始めた。
「簡潔に言いやすと、襲撃されたんですわ」
「襲撃……? なにに?」
「二口でやす」
……妖怪の、二口?
「なんで……?」
「あっしらは……弱く、脆く、碌な戦い方を知りやせん。そんな雑魚を、嬲るのが好きな奴らが、その二口……いや、妖なんでやす……」
ようやく、異形が置かれている本当の立場が露見した。
この世界の種族の中では、最弱だということは知っていた。
妖からないがしろにされ、戦力にされていないということも知っていた。
それだけだと思っていたが……妖から受けている待遇は、虐待だ。
まだ虐待の方がましだろうか?
こうして死者が出ているのだから、この扱いは奴隷に近いかもしれない。
だが、彼らは弱い。
だからこそ反撃すらできず、こうしてされるがままになっている。
こんな生活を、彼らは何年、何十年耐えてきたのだろうか?
もう、慣れてしまっているのかもしれない。
諦めに近い感情が、周囲にいる異形全員から感じ取れてしまった。
だがこれだけ家や怪我人が続出しているのに、騒ぎの声や家屋が倒壊する音などは一切聞こえなかった。
それは何故だろうか?
聞いてみると、ツギメがワタマリを一匹抱える。
「この子たちは、私たちと違って“音”を食べるんです」
「……音……」
「食べるのは“音”と“気配”です。なので、旅籠様のいる場所に、二口は近づこうともしなかったのです。音も食べているので、外で起きている音に、旅籠様は気付けません」
ワタマリ、隠密系の異形として君臨してる。
めっちゃ有用なのでは……?
……だが、納得いかない。
「……誰も、何もしないのか……?」
「できないんです。私たちでは、何も……」
「あっしも逃げるだけで精一杯ですぜ……。ですが今回は……よかった。少ない」
「ええ、そうですね」
「……少ないって、何が?」
「死んだ異形でやす」
……は?
一気に怒りが湧いて来た。
異形とはいえ仲間が死んだのに、その言い草はないだろう。
その気配を敏感に感じ取ったのか、ツギメとクロボソはびくりと肩を跳ね上げる。
「……は、旅籠様……?」
「クロボソ、お前今なんて言った?」
「え、と……。し、死んだ異形が……少なくて……よ、よかった、と」
「いいわきゃねぇだろ!!」
つい、怒鳴り声を上げてしまう。
真正面からをそれを受け止めたクロボソは飛び上がり、尻もちをつく。
隣にいたツギメも動揺しながら後ずさりした。
周囲にいた異形も旅籠の怒鳴り声に気付いたらしく、恐る恐るといった様子でこちらを伺っている。
今まで、こうして怒鳴られたことはなかったのだろうか。
初めて怒られた子供のように委縮し、縮こまっている。
だがそれを見ても、旅籠の怒りは収まらなかった。
「仲間が死んでんだぞ! なにが良かっただ! 他人事みたいに言っていいことじゃねぇぞ!」
「も、もう、もうし、もうしわけ……ありゃ、んせん……」
「ツギメも同意してんじゃねぇ!」
「ひぅ!? も、申し訳ございません……!」
何故、自分はこんなに怒っているのだろうか?
よく分からない。
怒っている相手は人間でも愛玩動物でもない異形だ。
そんな彼らの為にどうしてここまで怒ることができるのか、自分でもよく分かっていなかった。
だが、怒りを表せるということは、それだけ想っているということなのかもしれない。
仲間をないがしろにしていいはずがないのだ。
仲間が死んで『良かった』と口にしたこと自体に、今は怒っているのかもしれない。
それは旅籠が彼らに寄り添っている証拠であった。
だからこそ、彼らがなぜ真っ先に怒りを表さないのか、分からなかった。
それに再び怒りが再発する。
「これでいいのかお前ら! 仲間を殺されておいて、そんなへらへらしてていいのか!?」
「し、しかし……あっしらにゃ、どうする力もありゃんせんし……」
「……それ、誰が決めたの」
「誰が?」
一つの問いに、会話を聞いていた異形全員が思案する。
ぼそぼそ、と会話が聞こえてきた。
「妖……?」
「先代……? いやでも……」
「我々は、確かに弱いよ?」
「昔から、そうだと思い込んでいただけかもしれないけど……。でも何も持ってない事は変わらない……」
各々が自分の疑問や主張を口にする。
ツギメとクロボソも、少し考えていたようだが、やはり首を横に振った。
「私たちは、何もできないのです。なにも……」
「そうですぜ……」
「なんで諦めてるんだよ」
「え?」
長年、こうだったから、これはできない。
そういう考えがこびりついているように感じられた。
絶望的に自信が喪失している。
だから常に、そもそもできないということにして、何もやろうとしないし、何かを成そうともしない。
今回襲撃してきた二口は総勢何名だったのかは知らない。
だが、それでもここに居る全員で掛かれば怪我くらい追わせられる筈である。
その方法は問わないが、それすらもした様子はないし、逃げる、隠れるに重きを置き続けていただけ。
これでは何も始まらない。
弱いから、という理由を掲げ、結局何もしないし、何もできないという概念が作られている。
旅籠はここで暫く過ごしていくうちに、彼らの心は人間とほぼ同じだということを知った。
だからこそ、次の問いでは自分の答えをはっきりと口にしてもらいたい。
「悔しくねぇのか」
ツギメとクロボソの表情が固まった。
長い間沈黙が流れ続け、風によって草木が掠れる音が嫌に大きく耳につく。
「悔しいです! 憎いです! 殺してやりたいです!」
威勢よくそう口にして飛び出してきたのは、空蜘蛛兄弟の内の一匹だった。
異形たち全員の視線がそちらへと集まる。
彼の背中には、ボロボロになったもう兄弟の片割れがぐったりとしていた。
脚は数本しか残っておらず、切り傷からは血液が流れている。
旅籠は慌ててそちらへ駆け寄った。
「空蜘蛛……!」
「……」
「兄者をこんなにしたあいつら! 僕は許せそうにありません! でも、でもぉ……! 僕には、あいつらを倒すだけの力がないんです!!」
ダンダンッと幾つもの脚を地面に叩きつける弟の空蜘蛛。
その悔しさは、地面を叩きつける音が表現してくれていた。
ようやく聞きたかった言葉が聞けた気がした。
しかし、空蜘蛛の兄も死んではいないらしいが、虫の息である。
早いところ治療してやらなければ、息絶えてしまう可能性が高い。
大怪我をした空蜘蛛を見て怒りは何処かへ吹き飛んだため、すぐに冷静さを取り戻して周囲を見渡す。
「誰か治療のできる者は!?」
「ワシが」
ゆらり、と家屋の陰から出てきたのはジャハツだった。
ゆったりとした歩調でこちらに歩いてきて、空蜘蛛に治療を施す。
手を当てているだけではあったが、確かに傷はゆっくりと塞がっていた。
魔法か何かだろうか?
だが、話を聞くのは後だ。
その前に、旅籠は彼らの意思を再確認しておきたい。
ジャハツに治療を任せて立ち上がる。
「……私はここでやらなければならないことが、分かった気がする。お前らはどうする? このままこの生活を続けるか? それとも空蜘蛛みたいに立ち上がるか? ……どっちだぁ!?」
そう問うと、思ったよりも早く数匹の異形が立ち上がる。
彼らは同様に、側に怪我をしたか息絶えているかしている異形がいた。
空蜘蛛と同じように、最も近い身内にされた仕打ちに、怒っているのだろう。
そして意外にも、ツギメはすぐに立ち上がった。
先ほど叱責されたばかりではあったが、その表情からは何か強い意志を感じる。
しばらくしてぱらぱらと異形が立ち上がりそうになったところで、旅籠は手を上げた。
「今立ち上がった者だけ、私に着いてきてくれ」
そう言い残し、すぐに踵を返してあてがわれた家に向かう。
数多くの異形をその場に残してしまったが、今はそれで良かった。
計二十七名の異形を引き連れていく旅籠の背中を見ていたジャハツは、面白そうな顔をして顎に手を当てた。
「これは……ついに、時が来たのやも、しれんな……!」
語尾が次第に強くなっていくジャハツに、近くにいたクロボソは背筋を凍らせたのだった。