8.12.もう一本の矢
狭い茶室で茶をたてる音が聞こえていた。
小さな空間に二人いるだけでも窮屈に感じてしまうが、今回は三人ほどが座っている。
それぞれに抹茶を出した孫六が手で飲んでくれと促すと、二人はそれを手にとって口に含んだ。
苦味が一杯に広がり、それが次第に抜けていく。
甘味を食べるのに丁度いい案配となった。
「赤巫女が判った」
同席していた一人、古緑がそう口にする。
抹茶を飲んでいた山本が目だけで反応した。
「誠ですか?」
「津留からの情報だ。まず間違いないだろう」
「よりによって赤巫女か……。まぁ、分かってはいたが改めて聞かされると面倒であるな」
赤巫女とは、巫女の中でも戦闘に秀でている女性たちのことを指す。
とはいえ弓を扱えるだけなので戦力としては数えられることは少ない。
数も多くはないので目立つことはほとんどといってないのだが……赤巫女は保守的な奴が多いと聞く。
不落城城主が巫女たちを近くに置いて守りを強化しているのではあるが、彼女たちはそれに満足しているのだ。
現状維持を崩さないよう、城主の意見を常に聞き入れ不動を貫く。
現状を大きく変えようとしている萩間達にとって、邪魔ともいえる存在であった。
「多くの巫女は大奥のような場所におるからなぁ……。赤巫女が城主の近辺警護をしている限り、我の言葉は他の巫女に届くまい……」
「そういえば山本殿は巫女の多くに恩を売っておりましたな」
「勝手に動かしたら叱られたわい! はっはっはっは!」
「そのせいで山本殿は城主に嫌われているからなぁ」
「はぁ、面倒だなぁ……」
まぁこの話はいい、と一度区切った古緑は抹茶を飲んで仕切りなおす。
「旅籠殿を射った赤巫女は把握した。だが正味そこはどうでもよい」
「まぁ、それが分かったとしても現状は大きく変わらないでしょうからね」
「ではどうする。巫女を動かし、守りを万全にする策はあるか?」
「赤巫女を使う」
古緑の言葉に孫六が眉を顰める。
先ほどどうでもいいと言ったばかりではないか、と言いたげな表情だ。
わかりやすい顔に山本もくつくつと笑った。
笑われていることに気づいた孫六は咳払いをしてごまかす。
早く説明してくれ、と手で促した。
「赤巫女に、異形を見つけさせればいい」
「不落城城主の側近ともいえる私兵だ。異形を見つければすぐにでも城主に伝わるだろうな」
「あーっとぉ……。それでは更に巫女を出し渋るのでは……?」
「そこで山本殿出番だ」
「ははぁ、なるほど? あの城主は危機となれば巫女を集めるだろうからな。そこに乗り込んで我が一声かければよいというわけか」
「声が届かぬ場所に巫女がおるならば、届く場所に呼べばよい。さて、一応確認しておくが……山本殿。不落城、入れるな?」
誰に物を言っている、というようにニヤリと笑みを作る。
どん、と胸を叩いて自信満々に声を上げた。
「無論」
心強い言葉だ、とその場にいた二人も笑みを浮かべた。
抹茶を飲み干した古緑は一つ安堵したようではあったが、まだ懸念が残っているようでその顔は浮かない。
これに気づいた山本が首をかしげる。
「まだなにかあるのか」
「……旅籠殿を狙っていた赤巫女は、不落城の方角から矢を放った。当たれば、背中から当たるはず。だが……旅籠殿に突き刺さった矢は正面から飛んできた」
「もう一本の矢、ですか」
「今津留に探らせているが……出てこぬだろうな」
矢を放った人間は、二人いる。
そのうちの一人は不落城城主にいる赤巫女であることは分かった。
だが、実際に旅籠に矢を突き立てた人物は分からないままだ。
古緑が把握している限り、不落城以外に巫女がいる場所は、最前線にある御代がいる屋敷のみ。
それを雪野もいるが、彼女は傍にいた。
つまり、巫女でない誰かが旅籠に矢を突き立てたということになる。
把握できている赤巫女よりも、巫女でないにもかかわらず旅籠を狙ったその人物の方が厄介だ。
なにせ、人物像すらも把握できていないのだから。
「解決には時間がかかりそうだな」
「異形、出てきますかね。出てこない限り先ほどの策は実行できませぬ」
「まぁ慌てる必要もあるまい! 時期に鬼どももやってくる。この不落城、まだ落ちはせぬよ」
「「……」」
「冗談だ。このままでは落ちる。間違いなくな」
空気を変えるために軽口を叩いたが、これはよくなかったらしい。
若干気まず気に抹茶を飲んだのだった。