8.8.もう一人
「さて、お味はどうかね?」
「すごく美味しいです!」
「そりゃあよかった。自慢の作物を食べてもらうってのはいいもんだねぇ」
すでにとっぷりと日が落ち、辺りは真っ暗だ。
二人は鍋を囲んで食事を摂っており、八角お手製の雉鍋を頬張っていた。
これが上品な味わいで大変美味しい。
味は濃くないが、その代わりあっさりとしている。
しかしそれでもしっかりと味が付いており、若干の塩気を含んだスープを新鮮な野菜が吸っており味わいが濃い。
スープまで全て飲み干してしまいそうな勢いでがっつく早瀬を見て、八角は大変嬉しそうに揺ったりとした動きで野菜を口に運んでいた。
八角はお茶を汲み、それを早瀬に手渡す。
口にまだ物が入っていたので会釈だけで礼を言い、受け取って静かに飲む。
渋みが丁度よく、こちらも美味しい。
「八角さん、料理上手ですね!」
「へへ、そうだろう? 元百姓で自給自足だったからなぁ。いやーこうして誰かと食卓を囲むのは久しぶりだ。弟子ってのも悪くないもんだねぇ」
「これなら明日も頑張れそうです!」
この返事に満足したのか、くつくつと笑って笑みを見せる。
「そりゃよかった。じゃあ明日はもう少しきつくするかな?」
「お、お手柔らかに……」
「はっはっはっは、冗談だ! でも今日くらいのはやるから頑張れよ」
「はい!」
鍋が空っぽになったところで、八角が片付ける。
早瀬もなにか手伝うと言えば、風呂の用意をしてくれと頼まれた。
指定された場所に向かって火を起こす準備をする。
そういえば火打ち石なんてはじめて使うな……と思いながらガチン、バチンと火花を起こす。
意外となんとかなるもので、火はあっという間に大きくなった。
ある程度薪を追加して手を払う。
そこで足音に気がついた。
「あ、八角さん。これくらいでいいですか?」
「……」
「……八角さん?」
やって来たのは八角本人で、何故か手には火打ち石を握っていた。
彼は早瀬と薪を見比べており、きょとんとした様子で立っている。
先ほどまでのお調子者な振るまいはどこへやら。
八角は至極真剣な顔でこちらを睨んだ。
「誰だ貴様」
「……へ? いやいやいやいや! ……え、冗談ですよね……?」
「俺は誰だと聞いている」
ぞわりとした悪寒が走る。
一歩身を引くと、八角は一歩前に出た。
答えなければマズそうな雰囲気が突き刺さる。
早瀬は空気を飲み込んで口を開いた。
「……本当に、いや本気で言ってるんですね……? 早瀬です。早瀬陸です。萩間さんから……貴方を師匠にと……」
「萩間の旦那がぁ……? ったくしゃあねぇな……」
八角はその場に座って胡座をかく。
近くにあった薪をぽーんと投げて風呂の燃料の足しにした。
「俺は八角。八角成越」
「!? や、やかどさんじゃないんですか!?」
「やーかーどぉー? 誰だそりゃ。……いや、前に聞いたことがあるなぁ。お前そのヤカドと知り合いか?」
「……二重人格か……」
「あん?」
萩間親子が彼のことを癖があると言っていた理由がわかった。
恐らくこの時代に二重人格という症例は認知がされていない。
性格の変わる変わり者として距離を取っているのだろう。
とりあえず……彼のことを知った方がよさそうだ。
早瀬は若干怯えながら、しっかりとした口調で問いかける。
「えと、八角さん。貴方はいつ目を覚ましました……?」
「今さっきだ」
「俺に風呂を沸かすように指示したの覚えてないですか?」
「知らんわ。だから驚いたのだ」
(記憶は別か……。これ八角さんに説明して聞いた方が良さそうだな……)
話を聞きやすい方に聞いた方がいいだろうと思い、早瀬はこれ以上の質問するのをやめた。
とりあえず彼とは初対面になる。
挨拶をしておこうと思い、背を正して会釈した。
「とりあえず、これからお世話になります!」
「……まぁー萩間の旦那からの頼みだしな。んで、俺はお前になにすればいいわけ?」
「えっと……鍛えていただければそれで……」
「じゃあ風呂入る前にやるか」
「えっ」
そう言うと、八角はバッと立ち上がって薪割り用の鉈を武器にする。
くるくると回して逆手で持ったそれを左脇構えに落とす。
「強土流剣術、左脇構え逆手下の段」
「えっちょ」
「妖はよ、待っちゃくれねぇのよ」
刃が目の前に迫る。
間一髪でのけ反りその攻撃を回避すると、八角は目を若干見張った。
だがそれだけでは終わらない。
八角はすぐさま右手に持ち替えて攻撃を仕掛けてくる。
「ッ!」
地面を蹴って跳躍し、再び攻撃を回避した。
八角は器用に鉈を指の間で回して逆手に持ち替えると、再び突っ込んでくる。
振りぬいた後は左手に持ち替えて切り返し、その次は鉈を放り投げて右手に持ち替えた。
攻撃の速度が速い。
指先が器用で鉈を何度もくるくると回しながら逆手、正手に持ち替えて連続で攻撃を繰り出してくる。
早瀬はこれに……身に覚えがあった。
「俺と同じ戦い方……!」
ビョウッ!
鉈から振り出されているとは思えないほどの鋭い音が眼前を通り抜ける。
これを回避して距離を取ると、八角はようやく動きを止めた。
「ほお? そりゃ思考体術だな」
「ふぅ……!」
「そこそこ鍛錬は行っていたらしいな。悪くない」
鉈を回しながら笑う八角は、次に鉈を早瀬に向かって放り投げた。
足元に転がったそれを拾うようにと促す。
恐る恐る手にして拾ってみれば、この鉈は随分重いことが分かった。
まるで斧を握っているかのようだ。
この重さを……あれだけ軽々と振るっていたというのだろうか。
八角を見てみれば、ゆったりとした動きで構えを取っている。
人差し指だけで『かかってこい』と挑発した。
どうやら……今度はこちらに攻め手を譲ってくれるらしい。
先ほどの戦い方を真似すればいいだろうか。
早瀬は見よう見まねで同じ構えを取る。
八角は何も言わずにそれをじっと見続けており、飛び掛かってくるのを待っていた。
「行きます」
「来い」
脱力。
肩から手首までの力を抜いて走り出し、鉈の重さを十分に使って攻撃を繰り出した。
振り回されそうな感じがしたがこの勢いを殺さなければいい。
一歩、二歩目で八角へと刃が迫ったが、彼はその前に小さく言葉を口にする。
「押切体術、折り紙」
半歩引き、右手の手の甲を鉈を持つ早瀬の手首に、左手の甲を内肘にあてがった。
「おっ!?」
くんっと引っ張られるように、肘から地面に激突して転がった。
一瞬の出来事で何が起こったかさっぱりわからない。
とりあえず起き上がろうとしたが、どうしたことか起き上がることができなかった。
腕に力が入らない。
肘を伸ばそうとすると、カクンッと折れて再び地面に伏せる。
「え? ええ?」
「対妖用体術。使える相手は限定されるが、無手で制圧できる唯一の体術だ。冬の風にしか使えん技だがな」
「ぐ、立てない……!」
「ほれ」
八角は早瀬の肩甲骨を小突く。
するとすぐに立てるようになった。
急に立てるようになったのでバランスを崩したが、たたらを踏みながらなんとか整える。
不思議な感覚に気持ちが悪くなりそうだ。
変な感覚が残っているのか、腕や肘をしきりに触っている早瀬を見た八角は欠伸をした。
「まぁ……。まぁ今日はこんなもんだろ。んじゃ俺は風呂に入る。湯加減見とけ」
「え、あっ。はい」
スタスタを歩いて行ってしまった八角を見送り、早瀬は鉈を見る。
先ほど彼に立ち向かったはいいが……。何もできなかった。
一手目ですべて終わってしまったのだ。
あれでは……一太刀も入れることはできないだろう。
彼くらい強くなれば、旅籠を連れ戻すことができるだろうか?
早瀬は今、大きな目標ができた。
まずは……八角に近づかなければならない。
気合を入れなおした早瀬は、風呂の薪を追加したのだった。