後日談
色々あったけど、王宮魔法師長のしがない副官である私には勿体ないくらいの、素敵な婚約者ができた。上司に言いくるめられ、仕事もあと少しだけ続けることにした。
でも五日に一度は後悔する。自分はなぜ仕事辞めておかなかったのか……と。それもこれも、あの横暴上司のせいだ。
猫事件から約一ヶ月。
誠に遺憾だが、私に再び災難が振りかかったのだった。
◇◇◇
「マイゼン師長、ただいま戻りました……」
「…………アブラカダブラ~猫耳幼女になーれ!」
「ちょ、やめ……!」
終業時刻まであと少し。
先日ようやく予算の折衝をまとめあげ、今日はその書類の束を受け取って、スキップしながら上司の執務室に戻ってきたその時だった。
またしてもあのふざけた呪文が聞こえたと思ったら、ぼわん、と私の周囲で白煙が立ちこめた。
バサリと床に書類が落ちる。
そして煙が消えた後、そこにいたのは、オレンジがかった茶色の耳と尻尾が生えた、三~四歳くらいの幼女だった。
誰かって?……勿論、私だ。
「しちょーーーう、あんたいったい、なにしやがったんですかぁっ!!?」
胸倉を掴んでガクガク振り回してやりたかったが、ブカブカになった服を踏んで、うっかり転びそうになる。
「おっと」
その寸前。上司は空中に線を引くように、指を上にすっと動かした。途端に私の体がふわりと浮く。
これほど器用に魔法を扱える者はそういない。彼はやはり一流の魔法師なのだ。
性格は最悪だけどな。
ブラーンと宙吊りになったまま、半分涙目でマイゼン師長を睨んだが、まったく堪えた様子はない。それどころか、楽しげにニヤリと笑いかけてくる始末。本当にいい性格してやがりますね!
「おー可愛い可愛い。ティアって子供ん時はこんな感じだったんだなぁ。あ、その魔法、一晩で消えるから心配いらねえよ。大丈夫ー」
全然大丈夫じゃねえ。
攻撃魔法をブチこんでやりたかったが、それをやると城から追放されてしまうので辛うじて耐えた。
それより早く元の姿に戻りたい。切実に。
へにょりとした耳や尻尾と一緒に、気持ちを奮い立たせる。
猫にされた前回と違って、今は幼女だが口がきける。言葉が話せる。それなら解除の魔法が使えるはずだ……!
「……われ みずからにかけられし へんしんのじゅちゅを とかんとす しろきせいれいよ ききとどけたまえ!」
必死に呪文を唱えて、体内に循環する魔力を練り上げる。
けれど…………呪文が舌足らずだったせいか、幼女の体だと魔力操作が上手くいかなかったのか。はたまた、くそ上司の魔法が強力だったからか。
せっかく練り上げた私の魔力は、火花のようにパチパチと周囲で弾けて消えてしまった。
「………ブフッ」
「くっ……ばかじょーし、わらってないで、もとにもどしてくださいよお!!」
「くく、いや、せっかくだし、お前の婚約者殿にもその姿を見てもらおうぜ。絶対喜ぶから、な?」
「えっ、それはやめっ………」
「今日はそんまま帰っていいからな。んじゃお疲れさーん」
肩を震わせていた上司は、人差し指をすっと横に引いた。すると私の周りの景色が一瞬で変わった。
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「…………………君はティア、か?」
「…………ハイ」
私は、ルパート・ラスフ閣下の執務室にいた。あの上司が魔法で転送したのだ。
わが婚約者であるラスフ閣下と、副官シャフト中尉が目を丸くして私を凝視している。
ですよね……婚約者が猫耳幼女の姿でいきなり職場に現れたら、そりゃ驚きますよね……ええ……
私だって、こんな姿で閣下と顔を会わせるなんて非常に不本意だ。屈辱ですらある。
「すみません、かっか……」
半泣きで見上げると、閣下は弾かれたようにガタッと椅子から立ち上がり、私の前に来て膝をついた。
「ティア、なんといとけない……いや、いたわしい姿に……」
「いやぁ、これは……連れて帰って、何でも買ってあげたくなりますね」
「シャフト中尉」
「失礼しました」
閣下が振り返らず名前を呼ぶと、副官殿は真面目な顔で姿勢をただした。閣下はフロストブルーの瞳で、私を気遣わしげに見下ろす。
「またマイゼンの仕業か」
「……………ハイ」
「そうか」
閣下は苦渋に満ちた表情を浮かべた。そして副官殿に「今日の仕事は終わりだ」と告げると、壁にかけていたマントを掴んで私を包みこむ。
そして安心させるように私の耳の生えた頭を撫で、縮んだ体を抱き上げた。
びっくりして涙が引っ込む。
閣下の顔が近い。うっかり照れそうになったけれど、今の私は幼女だ。閣下はそのつもりで私に接しているはず……平常心、平常心。
気持ちを落ち着かせていると、閣下の低い声が降ってきた。
「それは、マイゼンが解かないと解除できない魔法だろうか」
「いえ、ひとばんできえるそうです。でも、じりきではとけなくて……」
「成程。一晩ならわざわざあいつに解除させるより、そのまま帰宅して朝を待った方が良さそうだ。とはいえ、その体では何かと不便だろう。今夜は俺の邸に泊まるといい。侍女に世話をさせよう」
確かにこの体では何をするにも覚束ない。普段、私は城の端にある寮で一人で生活しているし、今の時期、下級貴族の両親は地方にいる。
幼女の世話を頼めそうな知り合いはいない。だから閣下の申し出は心底ありがたかった。
「おねがいしても、かまいませんか……?」
「勿論だ。幾らでも頼ってくれ」
か、格好いい……!
キリッとした閣下をキラキラした顔で見つめると、フロストブルーの瞳が優しく微笑んだ。
副官殿が「相思相愛か……」と小さく呟いたが、私の耳には届かない。
「シャフト中尉、後は頼む」
「承知しました」
閣下は副官殿に暇を告げると、私を抱き上げたまま執務室を出ていく。
その前に、頭まですっぽりマントに包まれてしまったので、無様な姿を城の人達に見られずにすんだ。良かった。
◇◇◇
城からお借りした馬車でパカポコと揺られ、ラスフ閣下のご自宅に着いた頃にはすっかり夕方になっていた。
普段閣下は馬で登城しているそうだが、私を抱っこしながら馬に乗って、万一落としたら危なすぎるという判断で、急遽馬車を用意して貰った。
そして馬車にいる間中、私は閣下の膝の上で、猫耳ごと頭を優しく撫でられていた。
三歳だとそんなもんだろうけど、自尊心がゴリゴリ削られていきますね……
ほんと覚えてろ、くそ上司……
邸の玄関先に到着すると、年嵩の侍女さんが私達を出迎えてくれた。
「ルノア、客人だ」
「おせわになります」
「あらあら、どちらのお嬢さんでしょう、かわいらしいですね。ところで親御さんはご一緒ではないのですか?
それとルパート様、猫のようなこの耳は本物のように見えますが……」
ラスフ邸を切り盛りしているというルノアさんにペコリと頭を下げると、ルノアさんは笑顔で、しかし困惑気味に、身元と頭に生えたブツについて質問した。
仕える主人がいきなりプルプル動く猫耳や尻尾を生やした謎の幼女を連れてきたら、そりゃ驚きもしますよね……すみません。
「耳は本物だ。実は彼女が……婚約者のティア・ノーウェル嬢なんだ」
「えっ……」
困惑顔から一転、ルノアさんは閣下を不審者を見るような目つきで見た。
「いや誤解だルノア!学生時代、俺と同期だったマイゼンを覚えているだろう。彼女はあいつの副官で、たちの悪い悪戯に巻き込まれたんだ!」
「ああ、あの御方の魔法でしたか。よく覚えておりますよ。たしか、ルパート様はスズメに変身させられてましたねえ」
スズメ……
同情して閣下を見上げると、彼はすっと目をそらした。
「…………ではルノア、彼女の世話をよろしく頼む。くれぐれも失礼のないように。それと一晩で元に戻るそうだから、滞在は今夜だけだ」
「かしこまりました。ではティア様、まずはお風呂に参りましょうか」
恭しくお辞儀したあと、ルノアさんは私に向き直ってそっと手を差し出す。
私は「ありがとうございます」とその温かな手を取った。
◇◇◇
お風呂に入った後は、急いで用意された子供用の簡素なワンピースに着替えさせてもらった。何から何までお世話になって本当に申し訳ない。
誰かのシャツを適当に貸してもらうとかで良かったのに、と言ったら、一瞬の間があって、閣下は厳かな顔で「そんなことはさせられない」とかぶりを振った。
それから閣下と一緒に、食堂で軽めの夕食を取った。
でも食べ終わる頃には、私はすっかり眠くなっていて、食べかけのサンドイッチを片手に、かくんかくんと船を漕いでいた。
「ティア、危ない」
椅子から落ちそうになった所を閣下に支えられ、はっと我に返る。中身は大人なのに行儀悪すぎ……
「す、すみません!」
思わず赤面してしまった。耳や尻尾もうなだれてしまう。けれど、閣下やルノアさんは微笑ましそうな顔でこちらを見ている。非常にいたたまれない。
そういえば、子猫の時も猫の本能に引きずられがちだったので、子供になると子供の本能に引きずられてしまうのだろう。
全部くそ上司の魔法のせいだ。あいつ……体が戻ったら、今度こそ辞表を出そうと心に誓う。
閣下は、再びうつらうつらしはじめた私をそっと抱き上げ、用意された客間に連れていってくれた。
運ばれる私の耳が、廊下の窓を叩く雨粒の音を拾う。いつのまにか、外は土砂降りの大雨になっていた。
用意された客間のベッドにそっと降ろされた時、ガラガラピッシャーン!と激しい雷の音がした。「ひゃっ!」と悲鳴を上げて、思わず閣下にしがみつく。
「…………雷が怖いのか」
「あ、あの、ごめんなさい。おとなになってからは、ぜんぜんだったのに……うひゃっ!」
近くでまた落雷した。もはや寝るどころじゃない。眠気が完全に覚めてしまった。
閣下の胸元でぶるぶる震えていると、「大丈夫だ」とぎゅっと抱き締めてくれた。
「…………本当言うと、俺は少しだけあいつに感謝している」
「え、あいつって、マイゼンしちょうですか?なんで?」
意外すぎて雷を一瞬忘れた。あのくそ上司には憎たらしさしかないと思う。思わず顔を上げると、苦笑する閣下が私を見下ろしていた。
「俺は君に頼られると嬉しい。それに、子供時代のティアがこれほど可愛いなんて知らなかった。雷が怖かった事もはじめて知った」
子供だった頃の私に会えて嬉しい、と閣下は言う。
「その耳も尻尾もよく似合っている」
「…………かっこわるく、ないですか?」
「いや、まったく。その逆だ。その姿を誰かに見られたら拐われそうで怖い。だから城から出る時、マントで君を隠した」
「………」
「可能なら、いつでも見られるように、今の姿を水晶に焼きつけておきたい」
「さすがにそれはちょっと」
真面目な顔で言われてもそれだけは無理だ。恥ずか死する。即座に却下したら、
「ならば目に焼きつけておくとしよう」
謹厳実直な閣下がくすくす笑った。この表情、激レアじゃないかなあ……素敵すぎて私の方が鼻血が出そうだ。
その後、少しだけお互いの子供時代の話をした。楽しい話で気をまぎらわせてる間に、いつしか雷も遠のいて、私はまたうとうしはじめた。
本格的に寝入ってしまう寸前、閣下の「おやすみ」という穏やかな声を聞いた気がする。
あんなに雷に怯えていたのに、何だかとても幸せな心地で、その夜は眠りに落ちたのだった。
◇◇◇
翌朝。
すっかり体は元通りになった。閣下とルノアさんにお礼と謝罪を伝えてラスフ邸を辞し、その足で上司の執務室に赴く。
「お早うございます!今日こそ辞表を提出させていただきます!!!」
スパァン!と机に辞表を叩きつけると、マイゼン師長はニヤッと笑った。
「ふうん。でもあいつ、喜んでたろ」
「うっ」
「お前ってつくづく嘘がつけない性格だよな」
ゲラゲラ笑っている上司に言葉を詰まらせていると、彼はその隙にビリビリと辞表を破いた。そしてあっけらかんと言った。
「俺が辞めるから、お前が辞める必要はねえよ」
「ええっ!?ど、どーしたんですか師長。まさか、ついに重犯罪をやらかしたとか!!?」
「ちげえわ!」
一番恐れていたことが……と慄いていると、上司から全力のツッコミが入った。違うのか。それなら良かった。
「でもどうして突然、あなたが辞めるだなんて……」
「そもそもの話、俺に王宮付きなんて向いてねえんだよ。俺はずーっと旅に出たかったんだ!」
「旅」
「ああ」
「全然知りませんでした」と言うと、上司はふんぞり返って「言ってなかったからな」と宣う。
「前々から辞職を打診していたが、一昨日ようやく陛下が許可をくれたんだ。後釜はフィロス家のジジイだ。まあ俺より大変っつー事はねえだろうし、ティアが副官として支えてやればいい。お前なら出来るよな?」
上司はニヤッと笑って珍しく誉めたかと思えば、最後に要らんことを付け加えた。
「というわけで、お前を猫耳幼女にして、ラスフの所に送り込んだのは俺からの餞別だ」
「嫌がらせの間違いでしょう……」
じっとり睨んだが、カラカラ笑っている上司は実に機嫌がよさそうだ。
「時々こっちに戻ってくるし、そん時は顔を出すから寂しがんなよ」
「いえ結構です。また悪さして引っ掻きまわすつもりですよね……」
「はは、ティアは相変わらずつれねえなー」
私は憎まれ口を叩きながらも、実はちょっぴり寂しくもあった。さんざん迷惑をかけられた憎たらしい上司である一方で、なんだかんだ、彼は素行の悪い兄のような存在でもあったから。
「ま、せいぜい幸せになれよ」
「言われなくても幸せになります」
ポン、と肩を叩かれて、ちょっぴり涙が出そうになったのは秘密だ。
後日談はここまで。
お読みいただき、ありがとうございました!