04. いとしいひと
結局、私は閣下と一緒に執務室に戻ってきた。
「お帰りなさいませ」と迎えた副官殿は、閣下に抱えられた私を見て、安堵していた。
副官殿も心配してくれてたようだ。逃げちゃってごめんなさい。
「無事連れ戻せたんですね。よかったです」
「ああ。その事で頼みがある」
閣下は淡々と副官殿に指示を出す。
「……この猫は俺が飼う事にした。飼い主を探す通達は取り下げてくれ」
「ええ、承知いたしました」
「お前は今日からうちの子だ。末永くよろしくな」
閣下は私を見下ろし、副官殿に対するそれとは別人のような甘い声で囁き、私の後頭部に軽くキスをした。
うわぁ………
何かをごっそり持ってかれた気がする。体からふぁーっと力が抜けていく。
師長、やっぱり私には無理です!このままじゃ身が持ちません………!!
閣下の腕からジタバタして抜け出すと、私はささっと長椅子の下に隠れた。
「…………なんだか、恥ずかしがってるように見えますね」
「そうか?」
「女の子だからかな……?」と副官殿は首をかしげている。追い討ちはやめていただきたい。今私はいないものと思ってください。
気を取り直した副官殿は、深く黙考している閣下に向き直った。
「飼うのであれば、いつまでも"子猫"と呼ぶわけにはいきませんよね」
「そうだな、今それを考えていた」
「名前はもう決めてあるんですか?」
「……ティー」
閣下が言った途端、副官殿がゴホゴホと思いきり噎せた。
いや違う。肩が震えてる。たぶんあれは爆笑してる。
「……素敵な名前だと思いますよ」
「お前は呼ぶな」
「嫉妬で名前呼び禁止とか……!」
我慢できないとばかりに、副官殿は本格的に笑いはじめた。閣下は苦虫を噛み潰したような顔をしている。
副官殿は意外に笑い上戸だったらしい。知らなかった。
◇◇◇
というわけで終業後。
私はいつものようにラスフ閣下の私室で休んでいた。
「ティー、おいで」
お風呂上がりの閣下は、やはり色気が駄々漏れすぎて、私なんかが見てよいものではない気がする。尊すぎて無理です……!
名前を呼ばれても、そっぽを向いて知らんぷりしていると、苦笑した閣下が強制的に私を抱き上げた。
じたばたしたけど離して貰えず、「こら、逃げるな」とベッドに連れていかれて下ろされる。
今までベッドに上るのは遠慮していたけれど、上に乗ってみるとものすごくフカフカで感動した。跳び跳ねて遊びたいのを必死に我慢していると、閣下は布で髪を拭きながら私に話しかけてきた。
「ティー、お前を本格的に飼うことになったから、この部屋を引き払って、城下の邸に戻ろうと思う。
騎士団からも、城に詰めて働きすぎるなと前々から苦言を呈されていたんだ。だから丁度いいかもしれない」
「にゃあ…………」
「俺は遠征に行くこともあるから、誰か猫の世話が出来る人間を雇おう」
今後の計画を立てている閣下はどことなく楽しそうだ。でも、今それを決めてしまうのはまずいんじゃないかな……
だって私は、ずっと猫でいるつもりはない。いつかは人間に戻ってしまうのだ。
困った。どうやったら止められるんだろう。
やめよーよ、ちょっと待ってと伝えたくて、にゃあにゃあ鳴いていると、閣下は私を見下ろして小さく笑った。
「お前はかわいいな…………」
「………」
「こんな風に、あの娘にも素直に伝えられたらいいんだが」
──想い人の話だろうか。
鳴くのをやめて閣下をじっと見つめていると、「ティーの瞳の色はあの娘によく似ている。綺麗だ」とまた誉めてくれた。
「目だけじゃない。あの娘の髪と、お前のふわふわした愛らしい毛並みは、そっくり同じ色なんだ。だからお前の事は放っておけなかった」
またお褒めの言葉をいただいたのに……ひどく切ない。
閣下は私を通して、別の誰かを見ている。それに気づいた途端、胸が締めつけられるように痛くて、悲しかった。
だから人間に戻りたかったんだってば……!
泣きそうになったその時、閣下は半ば独り言のように言葉を紡いだ。
「…………最初は、あの男の副官で可哀想に、と思っていたんだ。中庭で胃薬を一気飲みしてる姿を見る度、体を壊さないか心配になったりしてな。
でもあの娘は、いつもひたむきに頑張っていて……気がつけば俺にとって大事な存在になっていた」
「にゃー……(え、それって……)」
「彼女が書類を持ってくる度に、食事に誘おうとして緊張して……結局何も言えずに見送っていた。自分で自分が情けない」
私は大きく目を見開いて、彼の話に聞き入っていた。だってそれって……
「ティア・ノーウェル副官の休暇が明けたら、今度こそ食事に誘おうと思う。ティー、もし彼女に会う事があれば、ぜひ仲良くしてくれ」
えっ………ちょっ………
彼女に会うことが……っていうか、今ここに本人います……よ…………!
私は思わず閣下の膝の上に登って、「にゃあにゃなぁー!(私もあなたが好きです!)」と思いの丈を一生懸命に叫んだ。
その瞬間。
ぼわんと白煙が立ち込めて、私は人間の姿に戻っていた。
「……………………………」
「……………………………」
ものすごく驚いた顔で固まってる閣下の膝の上に乗っかって、睫が一本一本見える距離で、私達は暫く見つめ合っていた。
「…………………にゃ、にゃーん………………」
とりあえず猫の鳴き真似をしてみたが、まったく誤魔化しになってない。閣下はピクリと身じろぎしただけで、フロストブルーの瞳を見開いたまま呆然としている。
「…………すっ、すみませんでしたぁあああぁぁーーーー!!!!」
沈黙がいたたまれず、ガバッと閣下の膝から降りて、ジャンピング土下座で謝ると、私史上最高速で移動の魔術を唱える。
そして私は、唖然としているルパート・ラスフ騎士団長の前から姿を消したのだった。
◇◇◇
翌朝。
上司の元に出勤した私は、その机に、バン!と退職届を叩きつけた。
「今すぐ退職させていただきます!!!!」
「なんで?」
「騎士団長閣下に猫の正体がバレてしまったからですよ!!合わせる顔がないに決まってるじゃないですかぁ!!!」
「ふうん、そっかそっかぁ」
私が人間として出勤してきた時からニヤニヤ笑いを崩さなかった上司は、「いいかよく聞け」と腕組みしてふんぞり返った。
「お前にかけたのは、愛する者が出来たら解ける魔法だ。どうだ、すげえだろう」
「………こいつ頭わいてんのか」
「おいティア、心の声が駄々漏れだぞ。で、あいつがお前を好きだってのは、一部で有名な話だ。
なんせ御前会議でさえ、お前がいたらしょっちゅうチラチラ見てたからな。大臣のジジイどもどころか、陛下も知ってたんじゃねえか?」
国王陛下公認の片思いとか何それ。恥ずかしすぎる。
「だからしょっちゅうお前を使いにやって、チャンスをくれてやったっつーのに、あいつ、全く動かねえんだもん。お前はお前で超絶ニブチンだしよー」
「…………」
「ったく、あの野郎、ヘタレにも程があるよな」
「違います、ラスフ閣下は誠実で不器用な方なんです!!」
全力で反論すると、上司は目を丸くした後、楽しげに破顔した。
「ほら、お前なら絶対惚れると思った。魔法が解けたのはそれが理由だ。それで、なんで仕事辞める必要があんだよ」
「ぐっ…………」
「というわけでお使いを頼む」
ニヤッと笑ったマイゼン師長が軽く指を振ると、机の上の書類が一枚ひらりと浮かび上がった。
そして長い指がすっと横に流れると、私はいつの間にか、騎士団長の執務室に立っていた。
「…………」
「…………」
「………………おはようございます」
「…………」
「…………書類を、お届けに参りました」
蚊の鳴くような声で告げると、閣下は驚いて固まっている副官殿に「……少し外してくれ」と告げた。
副官殿が一礼して下がると、閣下は深くため息をついた。
それにビクッとする。でも、閣下は何も悪くない。謝らなければいけないのは私の方だ。
「あの…………色々とすみませんでした。
マイゼン師長に魔法で猫に変身させられて、騎士団と親睦を深める切っ掛けを作れと命令され、仕方なく従っていたのですが…………閣下や皆さんを騙すような形になってしまって…………」
「…………あの男のやりそうな事だ。君は悪くない」
「いえ、本当に申し訳ありませんでした」
「俺は怒ってなどいないから、どうか顔を上げてほしい」
深々と頭を下げると、閣下は穏やかにそう言ってくれた。
「それで……俺の気持ちを君は知っていると思うんだが……」
「…………えーと、はい」
「今度、食事に誘っても良いだろうか」
「…………喜んで」
──その瞬間、扉の外で聞き耳を立てていた副官殿は、「よっしゃ」と思わずガッツポーズをしたと後から聞いた。
それから私達はすんなりと婚約に進み、国王陛下や大臣達に「やっとか」と言われながら祝福されたのだった。
私達の婚約によって、上同士の仲の悪さのせいででよそよそしかった騎士団と魔法師団の関係も改善し、飲み会や合コンなどの交流が増えた結果、他にもカップルが成立したとかしないとか。
◇◇◇
「ところで師長」
「あんだよ」
「予算の折衝ってどうなってるんですか?」
「あーすっかり忘れてた。ティア、お前担当だろ。あと頼むな」
「……………すみません、私、退職していいですか?」
「ダメに決まってんだろ」
「ほんっとふざけんな、このくそ上司………!!!」
「はっはっは、最近、お前マジで本音を隠さなくなったよな」
というわけで、そろそろ本気で退職したい。
ちなみに、ラスフ閣下とは、「結婚したら子猫を飼おう」と約束している。
不器用な騎士団長✕お疲れ気味の猫女子(+キューピット横暴上司)でお送りしました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!