98.舞踏会の準備
それからクレスの傷は私の治癒魔法で治した。
回復薬を使わなくても直せる程度の浅い傷で良かったけど、服はところどころ破けてしまっている。
夜の舞踏会まではまだ時間があるし、どっちみち私も着替えなければならないから、予定より少し早いけど私たちは一度帰ることにした。
屋敷に着くと、メリと一緒にブランが駆け寄って来てくれる。
「おかえりなさいませ……クレス様、どうなされたのですか?」
足に飛びついてきたブランを抱きかかえたクレスの格好を見て、メリは珍しく少しだけ目を見開いて驚きを表した。
「ああ、ちょっと想定していなかったことが起きてな」
「クレスも着替えて行くことにしたのよ」
「……かしこまりました」
何があったかは聞いてこないメリだけど、苦笑いを浮かべる主に息を吐きながら頷いている。
「それより、ブランが遊んでほしいみたい。今夜は帰りが遅くなるし、時間もあるから少し遊んであげましょうよ」
「そうだな。よし、少し遊ぼうか、ブラン」
「わんっ」
クレスの言葉に返事をするように鳴くと、すぐに一生懸命小さな身体を伸ばして主人の顔を舐めようとするブラン。
「わかったわかった、遊んでやるから、部屋に行こうな」
「ふふ、早く帰ってきて嬉しいのね」
「あとで呼びに参りますからね」と言ったメリに返事をして、私たちは二階へと上がる。
「おかえりなさい、お姉様、お義兄様」
そこで、イナに呼び止められた。
「ただいま、イナ」
「あの……今夜、お姉様のドレスをお借りしたいのですが……」
もじもじと胸の前で指を絡ませて遠慮がちにそう口にするイナの態度は、以前からは想像もできないほど控えめな女の子に見える。
昔のイナであれば、当然だと言わんばかりに私が持っている一番高級なドレスを自分の方が似合うからと言ってもらおうとしてきただろう。
だけど私は今のイナの方が何倍も可愛げがあって好きだ。
「舞踏会にはトーマスにエスコートしてもらうことにしたの?」
「…………はい……」
そう思いながら聞いた質問に、イナは曖昧な返事をした。
悩んでいる理由はやっぱりルッツかしら。
「どちらにしても、一緒に行きましょう。仕事は?」
「今日はもういいから、舞踏会の準備をして来いってルッツに言われて……私、また何か余計なことを言ってしまったのか、ルッツを怒らせてしまったみたいです」
「まぁ……」
二人の間に何があったかはわからないけれど、ルッツは本当はイナを舞踏会に行かせたくないのかもしれない。
「……」
「……」
無言でクレスと目を合わせていると、クレスの腕の中にいたブランがイナの方に身体を伸してしっぽを振った。
「ん? なんだブラン。イナちゃんに抱っこしてほしいのか?」
「え……!」
クレスの言葉に、イナは嬉しそうに表情を明るくする。
「抱いてみるか? イナちゃん」
「はい!」
待ってましたと言わんばかりに大きく頷いてブランに手を差し出すと、ブランはすぐにイナの手に移って彼女の頬を舐め回した。
「きゃっ、ブラン、くすぐったいです~」
可愛い可愛いと何度も言いながら嬉しそうにしているイナも誘って、時間まで一緒にブランと遊ぶことにした。
部屋で小さなボールを転がしたり、じゃれてくるブランを構ったり。
私とイナがそうしている間にクレスは途中で抜けて行った。
おそらくルッツのところに行くのだろうと察して、私は何も聞かずに彼を送り出した。
「――ルビナ様、そろそろお支度の時間です」
「ええ、わかったわ。お願い」
しばらくそうして遊んでいたら、メリを始めとした侍女が数人この部屋にやって来た。
彼女たちの手にはこの日のためにクレスが新調してくれたドレスがある。
「まぁ……とても綺麗ね」
「わぁ……! 本当に綺麗ですね! お姉様のドレス」
淡いブルーから濃いブルーへグラデーションのかかったドレスは、本当に見事だった。
「いいなぁ」と顔に書いてあるイナにも、もちろんドレスは用意している。
「貴女のはこっちよ」
「え?」
私のドレスに隠れて見えなかった侍女を前に連れ出し、その手に抱えられた珊瑚色のドレスをイナに見せる。
「お姉様……これは……」
「私のものを貸すのもいいけど、私のでは少し大きいでしょう? だからイナ用にドレスを用意してもらったの。貴女ももう十六だし、これから必要だろうから」
「……お姉様」
ぽうっとドレスを見つめていた瞳を潤ませて、イナは私に抱きついた。
「ありがとうございます~! 私、とっても嬉しいです! これからもお仕事頑張ります~!!」
「気に入ってもらえて良かったわ。サイズは大丈夫だと思うけど、着てみて?」
「はい!」
ブランはメリによって一旦囲いの中に入れられる。
ドレスをかじられてしまっては困るから、ちょっと待っててね、ブラン。
きょとんとした顔でこちらに視線を向けているブランに見守られながら、私とイナはドレスアップされていく。
今日はイナもきちんとお化粧をしてもらい、髪もセットして、いつもより大人っぽく見える。
「わぁ! 凄いです! メリさんは魔法使いですか?」
鏡に映った自分を見てキャーキャーはしゃぐイナは、黙っていれば立派な貴族令嬢。
以前、自分に魔法をかけていた頃にも劣らないと、私は思う。
「ふふ、ルッツ、なんて言うかしら」
「え?」
ローズピンクの紅を塗った小さな唇から独り言のように呟かれた名前はその人で、私は思わず聞き返してしまう。
「なんですか?」
「……イナは、その姿をルッツに見てほしいと思ったの?」
「え……? ええ、そうですね。ルッツに綺麗だと言わせて、見返してやりたいので!」
「……そう」
ふふんと鼻を鳴らして嬉しそうに鏡の前でくるりと回っているイナは、気づいていないのかしら。
それが恋心ではないかということを。




