96.初めて好きになった人
「ルッツはイナのことが好きなのかしら……」
イナとルッツを連れて王都の街に遊びに行った日の夜、いつものようにクレスの部屋で晩酌(私は紅茶だけど)をしながら、ふと昼間のことを思い出して口にしてみた。
私の膝の上ではブランが今にも眠ってしまいそうにうとうとしている。
「ううん……どうだろうな……確かにあの時の反応は気になったが、今まで一度もそんなふうに見えたことはなかったんだが」
その言葉を聞いて、クレスはブランデーの入ったグラスをテーブルに置き、唸りながら顎を撫でた。
確かに二人が一緒にいるところは何度か見たけど、そんなふうに思ったことはない。
でも、考えてみれば仕事中は常に二人きりなのだ。
二人は同い年なのだし、そうなっても決しておかしくはない。
「単にルッツがトーマスを気に入らなかっただけかもしれないけどな」
「トーマスといえば、彼もイナに本気かしら?」
「どうだろうなぁ……」
コンラート様の息子だからなぁ……。と、苦笑い気味に呟くクレスに、激しく同意する。
……いけないわ。彼は父親とは違う人間なのだから、これは偏見ね。
でも凄いわね、イナ。モテ期じゃない。魅了魔法でも使ったのかしら?
「まぁ、俺はトーマスがルビナに惚れているんじゃなくて良かったが」
「え?」
「彼とは仲が良いだろ? 父親もルビナ贔屓だしな。実は少し心配だったんだ」
照れたような拗ねたような顔で私の反応を窺いながら唇を尖らせるクレス。
これはいつもの可愛いヤキモチね。
「……イナはルッツのことどう思っているのかしらね」
さらりとそれを受け流して、話を戻す。あの子にも魔力があるから、きっと望めばトーマス……つまり伯爵家の跡継ぎ息子とも結婚することができるだろう。
だけど、もしかしてイナはルッツのことが好きなのかしら。
トーマスから舞踏会に誘われたのにすぐに手を取らなかったとき、イナはルッツのことを気にしているように見えた。
「うーん……二人をそういう目で見ていなかったから……わからんな。そもそもルッツは本当にイナちゃんに気があるのだろうか……?」
「……」
クレスに聞いたのが間違いね。
クレスはリリアンの気持ちにも、エーリッヒ様の気持ちにも気づかなかった男だ。
もちろんそういうところが愛らしくて可愛いのだけど。
「……」
「クレス? どうしたの?」
頭を抱えるように考え込んでいたクレスが、突然黙り込んで顔を上げた。
「いや……そろそろイナちゃんの嫁ぎ先も考えてやらないとなと思って」
「あら、優しいのね、お義兄様」
「んん……。イナちゃんの望む相手と、とは思うが、彼女にも魔力があるからな」
「……」
やはりそれはクレスも気にしているのね。
もしトーマスが本気なら、イナに魔力があることがわかったら強引に婚約を結ぼうとするかしら。
コンラート様が私の母にしたようなことにならなければいいのだけど……。
それにしても、コンラート様が親戚になるのは……ちょっと嫌かも。
「……ルッツは、イナちゃんのことをどう思っているのだろうか」
「クレスは彼と付き合いが長いのよね?」
「ああ、彼が子供の頃から知っているが……人に気を許す子じゃないからな……。と言っても、彼ももう十六か。早いなぁ……」
「本当、そうよね」
好きな子ができてもおかしくはないよな……とぶつぶつ言っているクレスを見ながら、膝の上のブラン撫でる。
イナもルッツと同じ、十六歳だ。
今まではあの子の嫁ぎ先を気にする余裕もなかったけど、そろそろ考えてあげなければならない年齢だ。
もう父もいないのだし、姉として、力になれることはなってあげなければ。
「まぁ、もう少し様子を見ようか」
「そうね」
ひとまずイナは誰にエスコートしてもらって舞踏会に参加するのか。
それを見守ろうと思う。
「……」
「なに?」
グラスに残っていたブランデーをくっと呷って喉に流すと、クレスがじぃっとこっちを見てきた。
「……ルビナの初恋はいつだった?」
「え……、私?」
「うん」
「私は――」
正直、クレスに出会うまで誰かを好きになったことはなかった。
恋なんてする余裕もない人生だったのだから。
「私は……」
「うん?」
「……」
ぐっと身を寄せて真剣な顔をしているクレスに、なんだか恥ずかしい思いが湧いてくる。
クレス……もしかしてわかっていて聞いてない?
「いつだった? 誰だった?」
「……」
とうとう手を握られ、ずいっと一層顔を近づけてくるクレスからはアルコールの匂いがする。
もしクレスじゃない人を答えたらまたヤキモチを焼くのでしょうけど、そんな人はいないし……答えなくても、拗ねるかしら?
「貴方よ、私の初恋の相手は」
「ルビナ……」
だから正直にそう言うしかないし、やっぱりクレスはわかっていたみたいに満足そうに顔をほころばせていく。
気取らない彼のこういうところは、やっぱり可愛い。
私の胸はまたキュンと疼くのだ。
「ああ、ルビナ……俺もだよ、俺も生涯本気で愛した人は君だけだ」
「そう……」
言いながら、もう待てないと言うように異常なほど距離を詰め、案の定唇が触れ合う。
「……」
「……」
ぐいぐい迫ってくるクレスの胸に手を当てるけど、私の肩を掴んでいるクレスに敵うはずがないということもわかっている。
だけど、クレスは忘れている。
私の膝の上には、ブランがいるのだ。
「……」
「…………ブラン、くすぐったい」
「わふっ!」
私たちの下で、体を起こしたブランがぺろぺろと顎を舐めてきた。
さすがに唇が離れると、しっぽをぶんぶん振ったブランが元気いっぱいにクレスの膝にのしっと前足をかける。
「わかったわかった、噛むな、こら」
あむあむと生えかけの小さな歯でクレスの親指を甘噛みするブランは、すっかり目が覚めてしまったらしい。
「クレス、責任を持ってブランを寝かしつけてね?」
「なに!?」
「私は先に寝るわ」
「待て、俺もルビナと――こらブラン、噛むなと言ってるだろ!」
小さな白い前足でクレスの大きな手を押さえ、一生懸命甘えているブランはとっても可愛い。
親子みたいで面白いから、今日はこのままブランをクレスに任せようと思う。
「寝かさないと、きっとすぐこっちの部屋に来るわよ?」
「ああ……せっかくさっきまで大人しく寝ていたのに……俺としたことが」
クレスが眠れるのは、何時になるだろうか。
一度構ってモードになったブランは、手強いのだ。




