92.クレスの事情20
「……僕も、強くなりたい……っ、自分のことくらい自分で守れる男になりたい。兄さんやクレスのように、好きになった女性をこの手で守れるくらいは、強く……」
ずっと堪えていたものを溢れさせるように、フランツ様は涙を流した。
彼に圧倒的に足りないのは自信だ。
王族でありながら、上の兄二人に比べ身体が弱かった彼は昔からそのことに劣等感を抱いていた。
エーリッヒに内緒で剣の稽古をつけてくれないかと頼まれたこともあった。
弱く、守られているだけの王子は嫌なのだろう。
強くなって自信を持てば、きっとルビナにこんなこともしなかったはずだ。
彼もきっと、その感情の処理の仕方がわからなかっただけなのだ。
ボロボロと涙を流しているその姿は、やはりまだ成熟しきれていない子供だった。
「では、騎士団に入るか?」
「――え?」
「本当に強くなりたいのなら、騎士団で鍛えてもらうといい」
俺の代わりに口を開いたのはエーリッヒだった。
俺も同じことを考えていたところだったから、エーリッヒの視線を受けて頷いた。
「その代わり、騎士団の訓練はキツいですよ?」
涙を止めて俺とエーリッヒの顔を交互に見つめてくるフランツ様に言葉をかけると、彼は涙を拭って真っ直ぐに俺を見据えて言った。
「……入る。僕は騎士団に。どうせならクレスに鍛えてもらいたい。クレスがどれほどの男か見極めて、いつか僕はクレスよりいい男になってやる」
「それは楽しみですね」
フランツ様はまだ十四歳だ。彼は自分はもう大人のつもりでいるようだが、はっきり言ってまだまだ子供だ。
しかしそれは、言い換えればこれからいくらでも伸び代があるということだ。
フランツ様は昔から騎士の目を盗むのが上手かった。フランツ様の護衛に付けた者たちは皆それなりに優秀だったのだから、そんな相手の隙を突くとは、大したものだと常々思っていた。
それに、近衛騎士団に入団すれば彼の周りにはいつも護衛騎士がたくさんいる状況になるのだから、安心だ。
*
後日フランツ様の入団手続きを行う約束を交わし、その場は片付いた。
エーリッヒが兄としてルビナに謝罪の言葉を述べると、フランツ様もその隣で彼女に頭を下げた。
王子二人からの謝罪に、ルビナは少し困ったように微笑を浮かべてフランツ様に声を掛けていた。
その穏やかな優しい表情に安堵したが、俺の手はまだ小さく震えていた。
――帰りが遅くなってしまったから、その日は簡単に夕食を済ませ、早々に寝支度を整えてルビナと共に寝室へ向かった。
ブランは既にメリの部屋で寝ているようだった。
帰りの馬車の中でも、屋敷に着いてからも、俺はずっとルビナの手を握っていた。
さすがに食事中は離したし、湯浴みも別々だったが、それ以外はルビナから目が離せなかった。
彼女がつけている結婚指輪には俺の魔力が付与してある。
こういう時、俺の指輪と反応してルビナがどこにいるか感じ取れるようになっている。
今日は少し仕事が押してルビナを待たせてしまっていると思ったが、魔導師団の棟へ彼女を迎えに行くと、彼女が帰ってきていないということを師団長のエルヴィンから聞き、すぐにその場所を探した。
指輪のおかげで見つけることができたが、もし悪意ある者にルビナが連れ去られたかと思うと、とてつもなく恐怖だった。
王宮内に、俺の妻であるルビナにどうこうしようとする者はいないと思うが、万が一そんなことがあれば、俺はそいつを殺してしまうだろう。
ルビナがいるであろう部屋には当然のように鍵がかかっていた。その扉を躊躇いもせず魔法で破壊し、真っ直ぐにルビナへ駆け寄った。
フランツ様を責め立て、問いただしたかったが、ルビナを瞳に映せば、彼女の身を案ずること以外考えられなくなった。
その間に、俺の代わりにエーリッヒがフランツ様に言葉をぶつけた。
おかげで俺は不敬罪にならずに済んだのかもしれない。
思った以上にルビナの顔に恐怖の色は浮かんでおらず、逆に俺を落ち着かせるように優しく背中を撫でられ、本当に何事もなかったのだと悟り、心の底から安堵した。
だからその場ではフランツ様とも冷静に話ができたが、彼女と二人きりになると改めて色々な感情が俺の中をうごめいた。
沈黙した空気を破るように「何か飲む?」と聞いてきた彼女を力一杯抱きしめて、そのまま思わずベッドに組み伏せてしまった。
「……クレス?」
「……」
ここまであまり多く会話を交わしていない。
まして、先程のことは互いに触れずにいた。
もちろん彼女を責めるつもりはない。だが、何も言わずにもいられない――。
「ルビナが戻ってきていないと聞いて、俺がどれだけ心配したと思う?」
ゆっくり肘を伸ばして顔を上げ、呟くように問いかけてから彼女の髪をひと束取って口づける。
変わらず良い香りがして、俺の心を少しだけ落ち着かせてくれる。
「……心配かけてごめんなさい」
「君がベッドの上で手首を拘束されているのを見た時、俺がどんな気持ちになったか……」
そう言って、今度は細い手首を掴み、顔の前に運んで口づけた。
ルビナの腕はあまりにも細くて、少し力を加えれば簡単に折れてしまいそうだと思った。
「クレス……」
「……」
こんなことを言ってもルビナを困らせるだけだとわかっている。
俺は今、男として格好悪いことを言っている。
謝ってほしいわけではない。
だが、この気持ちをどこへぶつけていいのかわからない。
彼女を抱きしめるように首筋に顔を寄せ、そこにも唇を落とせばルビナの肩が小さく揺れた。
その反応だけで、理性の糸が切れてしまいそうになる。
大切な彼女を、俺以外の男が触れただけで気が狂いそうになる。
「大丈夫よ、クレス……だいじょうぶ……」
「……」
しかしルビナは、醜くさらけ出している俺の嫉妬さえもやわらかく包み込むように、腕を回してきた。
頭と背中に回った手で撫でるように抱きしめられ、そのあまりに優しい温もりについ目頭が熱くなる。
こんなにも大切な者ができることへの恐怖と、それ以上の愛おしさから胸がきつくきつく締めつけられる。
「……はぁ」
だが、俺は彼女の夫で、男で、年上で、騎士であることを思い出し、理性を取り戻すために深く息を吐き出して気を取り直した。
「俺は自分が不甲斐ない。指輪のおかげで君がどこにいるのかはすぐにわかったが……それでも少しの間、君を危険な目に遭わせてしまった。もし相手がフランツ様じゃなければ……」
そこまで言って、再びぞくりと寒気がした。想像もしたくない。
もう、こうなったらルビナに異変があればすぐにわかるような魔法道具を持たせたい。
さすがにそんなものを作るのは俺でも難しいかもしれないが……。
「本当に、閉じ込めておきたくなってしまうな」
半分冗談、半分は本気でそう言って口元だけで笑って見せると、ルビナも小さく微笑んで言った。
「私も、もっと強くなるわ」
「……ほぉ。強く?」
強くなるとは、まるでフランツ様と同じようなことを言うなと思った。
まさかルビナも騎士団に入りたいと言うわけではあるまい?
「ええ。変な効果の魔法にも抵抗できるくらい強くなる」
「なるほど……耐性効果か。うん。それはいいな」
今回ルビナを眠らせたものは、魔導師が作った護身用の睡眠剤だった。
フランツ様が持っていたものは瞬時に相手を眠らせる強力なものだった。それほど効果の高いものはそう出回っていないはずだが、日頃から抵抗耐性を身につけておけばそう簡単に効いたりはしないだろう。
しかし、魔力が強いくらいでいきなり簡単に習得できる技術ではない。
であれば――。
「では、新しく強い耐性効果のある魔法道具をプレゼントしよう」
「え?」
「君のそのペンダント……それなら肌身離さず持っているな。解除した母上の魔力の代わりに、新しく俺が付与してもいいか?」
「いいけど……」
そう問いかければ、ルビナは今も身に着けている母親の形見のペンダントを俺に渡そうと手を動かした。しかしその手を掴んで、静止させる。
「……クレス?」
「でも、それはまたあとでいい」
「ん……」
「今はとにかく君を感じたい」
耳元でそっと囁き肩を撫でると、ぴくっと身を震わせて反応してくれるルビナがあまりにも可愛くて、俺はもう耐えられない。
「今だけは、俺を――俺だけを見て、俺のことだけを考えて?」
「……私はいつもクレスのことばかり考えているのよ?」
「もっと……、もっと俺で君の中をいっぱいにしてやる。他の男が付け入る余地のないくらいに、な」
ルビナの頬を優しく掴んで至近距離でそう言えば、彼女は目の下を赤く染めて照れくさそうに微笑んだ。
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