06.クレスの事情1
「――よく戻ったな、クレス」
「殿下もご無事で、何よりです」
この国の第一王子、エーリッヒの執務室で、机の上で手を組んで労いの言葉をかけてくれる殿下を前に、俺は髪を切り、髭を落とし、身を整えて戦争前と同じような姿でこの方に向き合っていた。
北の他国との戦争で勝利を収めた我が軍だったが、凱旋の際に味方であったはずの近衛騎士団の者にエーリッヒが襲われ、俺はこの身を挺して彼を守った。
俺には魔力がある。
魔力があり魔法を使いこなすことができる者は少ないが、剣の腕にも覚えがあったから、魔法だけに頼らずに魔導騎士になる道を選んだ。
剣で襲ってきた部下二人を前に、俺は魔力を振り絞り、転移魔法を発動させてエーリッヒを城へと逃がした。だがさすがにこの魔法は魔力があれば誰にでも簡単に使えるというものでもなく、力を使いすぎて傷を負いながらも、なんとか馬で西の地へと逃げ延びた。
それにしても信頼していた部下二人に裏切られるとは、不覚だ。
戦中も共に戦った仲間だった。つまり、彼等は北の他国とは関係のない者なのか……?
俺は西の地にあるアイマーン男爵領の畑で力尽き、落馬した。それを助けてくれたのがあの娘――ルビナだった。
「貴方を襲った二人の消息は未だ不明だとか。俺がついていながら……申し訳なかった」
「いや、お前のおかげで俺の命は助かったんだ。感謝する。――ともあれ、戦争は終わった。お前には相応の待遇と報酬が支払われる予定だ」
「恐れ入ります」
エーリッヒとはもう付き合いが長い。今は人払いをし、この部屋には二人だけだから、俺は少し砕けた話し方をした。
「しかし、よく逃げ延びたな。お前は怪我をしていただろう?」
「ああ、実はアイマーン領まで逃げたのだが、男爵令嬢に助けてもらったんだ」
「アイマーン男爵のご令嬢に……?」
「ルビナという娘だった」
「……ふぅん」
彼女が俺を手当てしたいと申し出た時の真っ直ぐな瞳を思い出す。
珍しい目の色をした女だった。琥珀のような、とても美しい瞳だった。
「……アイマーン男爵は魔導師ではなかったな」
「わかっている。そんなつもりはない。ただ、礼をしに行こうとは思っているが」
彼女を思い出し、思わず緩んでしまった俺の表情を見て、エーリッヒは何かを察したようだ。
慌てて口元をキツく結び直す。
……しかし、わかっている。
たとえ彼女を想っても、俺たちは結婚することができないということを。
この国では魔法が使える者は少なく、とても貴重な存在だ。
特に女の魔力持ちは魔法が使えるというだけで、場合によっては貴族ではなくてもそれ以上に待遇されるほどだ。
だからそのほとんどの者は王都で暮らし、王宮に仕えている。
そして魔力は遺伝すると言われているので、魔力を持つ者同士が結婚するというのが望まれている。
特に俺のような侯爵家の嫡男で、祖父も父も筆頭魔導師を務めてきたような家系に生まれてしまったからには、結婚相手にも魔力持ちであるということが求められている。
親が魔力持ちではなくても、突発的に魔力を持って生まれてくる者もいないことはないが、それはとても稀なことだった。
片親だけが魔力持ちでは、子供に遺伝する可能性も下がってしまう。
だから結果的に、魔力を持つ者のほとんどは貴族に限られてくるし、血が濃くなっていってしまう。
魔導師には男の方が多く、あぶれた者は魔力を持たない者との結婚も認められるが、俺にはそれが許されないだろう。
歳が近く、婚約者の決まっていない女の魔導師として名が挙がっていたのは、ツィリー伯爵令嬢である、従妹のマルギットだった。
法律的には結婚を許されているが、血が近い。
本来であればもう少し遠い者……できればまったく交わりのない者の方が好まれる。
というのは表向きな理由で、俺はマルギットがあまり好きではなかった。
彼女は魔力がそこそこに強かったが、そのためか昔から他人を見下している節がある。
婚約もしていないのに俺の婚約者であるかのように振る舞い、俺に親しく話しかける女に嫌がらせをしたこともあった。
だからどこかに未婚で婚約者のいない、女性の魔力持ちはいないだろうかと、俺はギリギリまで粘ってその婚約が結ばれないよう避けてきている。
だがマルギットも今年十九になった。そろそろ相手を決めなければならないだろう。
戦争が終わったということもあり、これからマルギットが本格的に動き出すのではないかと警戒している。
「……まぁ、お前ほど魔力が強ければ、たくさん子を作れば一人くらい魔力持ちが生まれてきそうな気もするがな」
「それでもきっと父が許さないだろうな……」
「だろうなぁ。お前のことも早く筆頭魔導師として活躍させたいと思っているだろう」
「そうだな……まぁ俺はこのまま魔導騎士として殿下の側についていたいが」
はぁ、と短く息をつき、再びルビナのことを思い出す。
ルビナは優しい手つきで俺の手当てをしてくれた。
薬草を潰して作った薬を傷口に塗り込んでくれたが……そういえば、思ったより傷の治りが早かったな。あれはなんの薬草だったんだろうか。
あれ以来、ふと気がつくと俺は彼女のことを考えるようになってしまっていた。
あの日は仲間に裏切られたばかりで、女であろうと彼女を警戒した俺は、何か不審な動きを見せればすぐにでもその細い首をへし折って殺す気でいたのだが、ルビナは濁りのない真っ直ぐな瞳を向けて傷の手当てをしてくれた。
貴族令嬢であるはずのルビナは、まるで平民のような身形をしていた。
畑仕事をしに来たと言い、俺に野菜スープを作ってくれたが、それがとても美味かった。
シンプルな味付けであったのに、野菜の旨味の引き出し方や食感が絶妙だった。
アイマーン家は何か問題を抱えているようだと感じたが、彼女はそれについては話したくなさそうだった。
彼女のことはとても気になる。
だがおそらく彼女には魔力がない。魔力持ちの女性は貴重だから、魔力を持っているのならあのような生活はしていないだろう。とっくに登城し、城で仕えているはずだ。それに、婚約者がいるようなことも言っていた。
魔力なしの男爵令嬢となると……たとえ俺が彼女を想っても、父が認めてくれないだろう。
下手に動けば、従妹であろうと伯爵令嬢で魔力持ちのマルギットと焦って婚約させられるのが目に見えている。
だから、変な気を起こしてはいけない。
そう考えつつも、早くもう一度彼女に会いたくて、俺は礼をしに向かうための準備を進めたのだった。
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