43.クレスの事情10
「おかえりなさい、クレス」
「おかえりなさいませ」
「ただいま」
執務の後、久しぶりにエーリッヒと酒を酌み交わした。
酒を飲んでも彼から婚約者への不満の言葉は出てこなかったが、気晴らしにはなったらしい。
最後は清々しい顔つきで「お前も早く愛する女のところへ帰れ」と言って、俺は城を追い出された。
友人のその顔を見て、「どういたしまして」と言葉を返し、急いでルビナの元へ馬車を走らせた。
遅くなってしまったが、ルビナは起きて待っていてくれた。
ああ、なんて優しいんだ! 会いたかった!
ほんの少し離れるだけで長い間会っていなかったような気分になる。とても寂しかった。
今すぐ抱きしめたいところだが、ニコラスも起きていて俺を出迎えてくれたから、さすがにここでは我慢しなくてはな。
ニコラスの前ではいつも通りの顔で逸る気持ちを抑えて、いつも通りの足取りでルビナと自室へ向かった。
「ルビナ!」
「……っ」
そして、部屋の扉を閉めたのと同時に、彼女を後ろから抱きすくめる。
ああ、これこれ。この感触。この温もり。俺のルビナだ。会いたかった。たまらん。
「……クレス、お酒を飲んできたわね」
「エーリッヒ殿下とな。……なんか素っ気ないな? ルビナは俺に会えなくて寂しくなかったのか?」
後ろから抱きしめたまま彼女の顔を横から覗き込むと、ルビナは「ん?」と首を捻ってふっと小さく微笑んだ。
彼女と向き合うために一度抱きしめていた腕を離す。
「クレスったら……朝会ったじゃない」
「それから半日も会えなかった。そして今夜も離れ離れだ」
「もう、そんなにしっぽ振って甘えられたら、かなわないわね」
「しっぽ!?」
「本当に可愛いんだから」と言いながら、背伸びをしてよしよし、と俺の頭を撫でるルビナに、俺は一瞬自分の尻に目をやり、しっぽなどは生えていないことを確認してしまった。
そして男としての威厳がなくなってしまうと慌てて背筋を正した。
「おほん。ルビナに言われるのは悪くないが、男というのは〝可愛い〟よりも〝格好良い〟と言われたい生き物なんだぞ?」
「でしたらもう少しそれらしくしていただきませんと。でも、クレスはちゃんと格好良くもあるから、心配しなくても大丈夫よ」
「……」
俺の方が年上なのに。ルビナの方が余裕があるように感じるのはなぜだろうか。
にこりと可愛く微笑まれると、やっぱり抱きしめたくなってしまう。
だがそうすればまた犬みたいだと頭を撫でられるのだろうか?
いや、ルビナに触れられるのは嬉しいが、どちらかというと俺がルビナを愛でたい。
うーん。どうもルビナの前だとうまく格好がつかないな……。
「それにしても、今日も使用人に混ざって仕事をしていたのか? もうしなくてもいいんだぞ、君は俺の奥さんになるのだから」
エプロンを付けているルビナを見て、俺は何度目かになるその言葉を口にした。
「でも急に何もしなくなるっていうのも……やっぱり私も仕事がしたいわ」
「そうか……」
だがやはり、ルビナからはその回答。
仕事か……。このまま家のことをしてもらうのはダメではないが……。正式に結婚したあとまではさすがにさせられない。むしろ彼女にも侍女をつけるべきなのだから。
となるとやはり、魔導師団に入れるべきだろうか……?
うーんと頭を悩ませていると、これには関係ないが一つ思い出したことがある。
「そうだ。来月のエーリッヒ殿下の結婚式だが、ルビナには、殿下の友人・クレスの婚約者として参加してほしい」
酒を飲んでいても、伝えることはしっかりと伝えた。
大丈夫。俺はそんなに酔っていない。
「護衛のお仕事は?」
「殿下直々の申し入れだ。その日は休日だ。俺にエスコートさせてもらえますか? 姫」
「……はい、是非」
紳士的に胸に手を当てて礼をすれば、ルビナも上品に微笑んで頷いてくれた。
これで、ようやくエーリッヒにルビナを紹介することができそうだ。
ついでに周りにも彼女が俺の婚約者だと知られるだろう。
……ああ、マルギットも参加するのだろうか……。披露宴には参加するだろうな、当然。
王宮でも彼女には極力会わないように避けているが、今でも俺の婚約者面をしているのだろうか?
いい加減他に好きな魔導師でも作ってくれていたら良いのだが。
ルビナに嫌がらせなどしなければいいんだがなぁ……。まぁ、そんなことは俺がさせないが。
「ともかくお仕事お疲れ様でした。お食事はお済ですね? ではお風呂にしますか? 旦那様」
そんなことを考えていると、ルビナはわざとらしい程に淑女らしく立ち振る舞いながらも、語尾にその言葉をつけて俺に微笑んだ。
一瞬にしてマルギットのことなど頭から消えていく。
「……今のはいいな。もう一回」
「はいはい、今のはこの家の主って意味ですからねー」
「……つれないなぁ」
俺の上着を抱えてそれを片付けに、つらりと背中を向けてクローゼットの方へ行ってしまうルビナは、俺の着替えを用意して「ではニコラスさんと代わりますね」と言って部屋を出て行ってしまった。
この部屋にも浴室はあるが、普段はここではなく屋敷の広い方を使っている。
それに、さすがに湯浴みをするのにルビナはついてこない。
結婚するのだから、ついてきてもいいのだぞ……と思ってしまうのは、今俺が酔っているからだろうか。
「……」
だが酔っていても、さすがに「背中を流してくれ」と言う勇気はまだない。
しかしそんな贅沢は望まない。
ルビナと結婚できる。こうして俺に「おかえり」と言って笑ってくれる。それだけで十分だ。
俺は幸せだ。
いつか友人にもそう思える日が来るといい。
心の中でそう願った。
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