27.ティー・ロワイヤル
その日、クレスは帰宅するのが遅かった。
使用人たちのほとんどがもう寝静まった頃に帰ってきたクレスを出迎えた私は、共に二階にある彼の部屋へと足を進めた。
「すまないな、寝ていても良かったんだぞ?」
「ううん。平気よ」
夕食はお城で摂ってきたそうだけど、何か飲みたいと言うので紅茶にミルクを入れて出してあげた。
「本当にルビナが淹れた紅茶は美味いな」
「まぁ、クレスに比べたらね」
「お、言ったな」
上着を脱ぎ、シャツのボタンをいくつか開けて楽な格好になると、クレスは私にもソファーに掛けるよう言った。
「こいつも一滴。君も付き合ってくれ」
そして、一度立ち上がってブランデーのボトルを手に戻ってくると、そのまま私の隣に腰を下ろしてカップに新しく紅茶を注ぎ、ブランデーを自分の紅茶に垂らした。一滴ではなかった。
「私はミルクだけにしておくわ」
「なんだ、酒は苦手か?」
高級感のある、甘いブランデーの香りだけでクラクラしてしまいそう。
それに、なぜか隣に座ったクレスにちょっとだけ緊張する。
「では君にはこれを」
「……?」
そう言うと、クレスはカップの上でティースプーンに角砂糖を一つ乗せた。
その上から零れないようにブランデーを垂らして砂糖に染み込ませると、自らの手をかざした。
「わぁ」
途端に、角砂糖を青い炎が包み込み、幻想的にスプーンの上で踊り出す。
琥珀色のブランデーと、碧炎が紅茶の上で交わり、じんわりと砂糖を溶かしていく。
ブランデーと砂糖の香ばしいかおりに気分が良くなる。
それにとても美しく、見入ってしまう。
「……このブランデーは、君の瞳の色によく似ているだろう?」
「え?」
視線だけをこちらに向けるクレスのその瞳の色も、その炎に少し似ていた。
だからなんだかむず痒いような変な感じがして、つい視線を逸らしてしまった。
やがて角砂糖がボロりと身を崩し、ブランデーに溶け込んだ頃、碧炎もパッと消えた。
「これでアルコールは飛んだが芳醇な香りだけは溶け込んだぞ」
「ありがとう」
そのままスプーンをカップに落とし、くるくると混ぜ合わせてくれたクレスに微笑みを向けて、ティーカップを口元へ運ぶ。
「……うん、とても良い香り。それにいつもより美味しいわ」
「良かった」
長い脚を組んで私の方の背もたれに腕を伸ばし、のんびりとくつろぐ姿勢を取るクレス。
彼の手がすぐそこにあって少しドキドキする。背もたれに伸びた手に、肩を抱き寄せられるのかと思って一瞬ドキッとしたのは内緒。
「……」
口元は穏やかだけど、クレスはなんとなく疲れているように感じる。それに、何か話したそうだ。
もう遅い時間であるのは承知の上で、私をこうして引き止めたのだから。
「……それで、何があったの?」
「え? ああ、いや……何かあったわけじゃないんだけどな」
「いいわよ、今日はまだ眠くないから。紅茶一杯分は付き合ってあげるわ」
穏やかにそう声をかけると、彼は嬉しそうに眉を持ち上げた。本当に素直な反応をする人よね。可愛い。
それからクレスは訓練での様子や可愛がっている部下に恋人ができたということ、騎士団の食堂で食べたスープより、以前私が作ってあげたものの方が美味しいなどという他愛のない話を続けた。
よく喋るせいで喉が渇くのか、すぐに紅茶はなくなり、今はそのカップにブランデーを注いでストレートで飲んでいる。
「新しいグラスと氷を用意するわ」と言ってみたけれど、彼は「いいから。ここにいてくれ」と、立ち上がろうとした私の腕を掴んで、そのまま体を私の方に向けて話し続けた。
確かに何か困ったことが起きたとか、相談したいことがあるわけではなさそうだった。
それでも仕事とは関係のない人間に話を聞いてもらいたい時もあるのだろうと、私は彼の話に相槌を入れながら聞いた。
それにしても――大人しくもう一度座ったのに、クレスは掴んだ手を離してくれない。
お酒のせいか、彼の手はとても熱い。
掴まれている手首から彼の熱が伝わってきて、私の身体まで熱くなってくる。
「――だから、城にも君がいてくれたらどんなにいいだろうと思うよ。まぁ、それでは働かせ過ぎになってしまうがな」
「……ええ、そうね」
「……本当に、君とずっとこうしていられたらどんなにいいか――」
「……クレス?」
ふと、クレスの瞳が私から逸らされていないことに気がついた。
世間話をするだけにしては、随分と熱心な視線だった。
どうしたのだろうかと、座っていても私より上にある彼の顔を窺うように見つめ返すと、クレスはほんのりと充血した瞳を私に近付けて、何やら甘い言葉を囁いた。
「ルビナ……君の瞳はとても美しい色をしているな」
「……そう?」
母やイナの綺麗な菫色の瞳に比べると、私のは濁った黄色とも橙ともつかない色をしていて、あまり綺麗ではないと思っていた。
父やワルターも、特に私の容姿を褒めてくれたことはない。
けれどクレスは、まるで私を口説くみたいに甘い眼差しを向けて続けた。
その青い瞳を見つめていると、つい先程のブランデーと碧炎が甘い砂糖を交えて溶け合っていく、幻想的な様を思い出してしまう。
「髪もとても綺麗だ。そんなふうにまとめていないで、ほどいてごらん?」
私の頭の後ろに手を伸ばすと、纏めていた留め具を器用に外すクレス。
ぱさり、と長い髪が肩につく。
「ほら、とても美しい」
「……クレス、酔ってるの?」
いつになく恥ずかしげのない言葉と動作に、こっちが照れくさくなる。
そのまま髪を撫でるクレスは、目を細めてうっとりとした色気のある表情で、じっと私を見つめるだけ。
戸惑いながら見つめ返すと、クレスの整った顔が少しずつ近付いてきているような気がした。
さすがにこんなすぐ目の前にその顔があっては、アルコールを摂取していなくても私の心臓はドキドキと高く脈を刻んでしまう。
もう随分慣れていたけど、よく考えればここは彼の部屋で、今は二人きり。
このソファーは大人が横になれるくらいには大きいし、すぐ隣の部屋には彼のベッドがある。
それに、こんな夜更けじゃきっと誰も来ない。
クレスと何かあるわけがないと思い込んでいたから扉も閉まっているけど、私たちは男と女なのだ。
もし〝何か〟が起きてしまえば、きっとあまりに簡単に起きてしまうだろう。
そしてもしそうなった時、私は本気で抵抗するだろうか――?
それが今現実に目の前に迫っていて、私は自分に問いかけた。
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