02.追放
「待てよ」
重苦しいワルターの声が私を引き止める。
「なによ、まだ何か?」
サインもしたし、荷物も持っていない。
文句が言い足りないのかと足を止めて振り返ると、突然ワルターは私の後ろに回り、両腕を強く押さえつけてきた。
「何するのよ!!」
「こうでもしないとお前は暴れるだろ? だから少しの間、大人しくしてもらうぞ」
何のために……そう思って暴れようとするけど、残念ながら彼も男だ。力では敵うはずもなく、無駄な抵抗に終わってしまう。
「イナ、いいぞ。やれ」
ワルターに何やら合図を送られると、イナは鋏を手にして近付いてきた。
その刃先と、笑っている妹の顔にぞくりと寒気が背筋を伝う。
嘘でしょう……?
この二人、私に何をする気?
「お姉様、じっとしていてくださいね? でないと傷つけてしまいますよ」
「ちょっと……っ!!」
何をするのかと思えば、イナは私の首元に鋏を近づけてきた。
そして、いつも首から下げているペンダントを掴むと、鋏でその紐をじょきりと切った。
「……っそれは!!」
「これを売ればかなりの値がつくぞ。こんないい物を独り占めしやがって。本当にお前はずるい女だ」
ワルターの愉快そうな声が頭上で聞こえる。
「それだけはやめて!! お母様から直接もらった、私の唯一の形見なの!!」
妹の手に渡ってしまったペンダントに、私は今までで一番必死になって彼女に訴えかけた。
イナが欲しがるものはなんでも譲ってあげたじゃない。だからそれだけは返して!
「……お姉様だけお母様からこんなものをいただいているなんて、ずるいです。私も欲しいです。なのでこれは置いていってもらいます」
「……っ」
けれど、その思いは虚しくも砕け散る。
イナに私の声は届かない。
それは母が私にくれたものなのに。
唯一の形見。何ものにも代え難い価値がある。
「他のものならいくらでも売ればいい。でもそれだけはやめて! 返して!!」
ドレスも装飾品も、高価なものはすべて妹に取られてしまった。だから私が持っていたのはあれだけだ。それなのに独り占め呼ばわりされるなど、心外だ。
けれどワルターは私を冷たく見下ろして言った。
「みっともなく喚くな。お前はもうこの家とは関わりがないんだ。部外者には何一つ渡さない」
「……!」
あまりの理不尽さに、私から力が抜けていく。
この男は一体何様のつもりなのだろうか? 何故私にそこまで言う権利があるのだろうか。
「……酷いわ、あんまりよ。今まで私があなたたちのためにどれだけ尽くしてきたと思っているのよ」
ただ虚しくて、涙も出ない。
父の看病も、畑仕事も、掃除も、料理も、家のことはすべて私がやってきたのに。
あなたたちは私がいなければ何もできない、見せかけのお坊ちゃんとお嬢ちゃんなのよ?
そのことを二人は何ひとつわかっていない。
私になんの感謝もないだけではなく、鬱陶しく思っているんだ。
ワルターとイナの蔑んだような瞳を見て、私は確信した。
「尽くしてきた? 知るか。お前が好きで勝手にやっていただけだろ! これからは僕とイナの二人でうまくやっていくから、お前は安心して出ていけよ」
「そうよ……。お姉様はいつもいつも畑にばっかり行って、全然私たちに構ってくれなかったじゃないですか!」
ワルターは愉快そうに笑ってイナの肩を抱き寄せた。イナは怒ったような顔をして私を見下ろしている。
私が好きで勝手にやっていた? 二人ならうまくやっていける? 構ってくれなかった?
ふざけるんじゃないわよ……!!
「……いいわ。あなたたちの気持ちはよくわかった。もう何も望まない。その代わり、もう二度とこの家には帰ってこないから」
婚約者であった男のつり上がった目元を睨みつけ、はっきりと口にする。
「ハッ、何を強がりを! それはこっちの台詞だ! 頼まれたってもう二度とお前をこの家には入れないからな!」
イナから受け取ったペンダントを左手で握りしめながら、ワルターは私の背中を押して玄関へと追いやった。
ドアを開き、私はワルターの手によって力強く外へと突き出される。
けれどちょうどその時、家の前にとても豪華な馬車が到着したところだった。