……人、として、とは、人の数程あるということ
Paul Desmond
Summertime
を 聴きながら
**
……
……いつかの過去の対談を動画で目にして、井上陽水が口にしていた言葉、「わたしはね、未だに、人前でものを食べるのは恥ずかしいですよ」
その言葉で私は、このような感覚を持つ方は、……自分だけではないのだととても大きな親近感を抱いた
……この歳になって、……誕生日を迎えて、34歳になったが、……この歳になって……少しずつ、人に対しての受容の幅が拡がりを見せ始めたような……気は少しだけ、している
……歳を重ねてよかったと思うことは、……父を少しだけ赦せるような気がしてきたことだけだ
亡くなってから少しずつ、受容を出来るくらいには、風化させて
……歳を重ねれば、……否応なしに気づいてくる ……どのような人も……その方自身の生き方があり、表面的な好き嫌いや、一面的な見方だけでは人は理解には届かないということ ……だから、簡単に人を否定出来るものではないということを
……だからなのか解らないけれど、完全に関係を切り離す、という選択を若い頃程には即決しなくなって
……生き方は、変わっていないのかもしれないが、……完全に関係を切り離すことを即決出来ていた頃と比べると、……もしかしたら自分の心に……少しだけ余裕が出来たのかもしれない
切り離すことしか自分を保てない頃と比べると、人との距離をスペースを空けて見られるようになった
独りが楽だということもあるのだけれど、……もう一つは、どんなに関わっている方が合わないと感じても、その方はその方であり、同一視せずにいられるからだろう 諦めることも簡単に出来るようになったからなのかもしれない
……どんなに嫌な方に思えても、その方にも痛みや苦しみがあると気づくことが増えれば、好意的に受け入れることまではしないが、その方はその方で生きてらっしゃるのだから、関わらなくとも大丈夫だと解るからだろう
……それは、……自分を責める事柄ですらなく、周りを捨てることも選択肢にいれられるようになった時、周りの為に自分の命を捨てる必要性もないことも心に入れた時
自分の足で立てるようになる過程の中で……それは、環境だけではなく、精神的な自律も含めて、……それは切り離していけるものなのだと、……今までの自分の過程を含めて、自分を観察してきて、……感覚的に落とし込み、理解してきたことだ
……人の根源的な問題、依存心というものは……きっと、幼児期が長い人特有の問題なのだろうと、俯瞰してみることが出来るようにもなってきた
……私は、今、……やっと少しずつ、……自分の為に……少しずつ、息をして、いこうとしている
2020/11/23 10:27
完結と致します。
このような作品に目を留めて下さり、誠に有難う御座います。
精進致します。