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透明な僕とお前

作者: saw

「裕貴、本当に行けるの?」


 母親の言葉を反芻しながら重い鞄を背負い直し、

 炎天下のアスファルトの上を歩く。

 この道を歩くのは1年ぶりだ。

 というのも僕、水野裕貴はつい最近まで引き篭もりであった。


 別に華びやかな高校生活を夢見ていた訳ではなかったが真逆入学して数ヶ月で、

 それも人気者の桐野紗良という女の隣の席になっただけでいじめられるとは思わなかった。

 まぁいじめといってもリーダー格の男子に物を盗まれたり無視されたりといった物だったが、そもそも学校に興味が無かった僕は即家に引き篭もることに決めた。

 そんな僕が何で学校に行くことにしたのかというと、そのリーダー格の男子が問題を起こして退学になったことと、そして僕の制服を悲しそうに毎日見ている母さんの姿を見てしまったからだ。


 昨日も「学校に行くよ」と僕が言ったとき母さんは不安が見え隠れしつつも嬉しそうな顔で僕の頭を撫でた。


 言っておくけど断じて僕はマザコンとかではない。

 誰だって母親の喜ぶ姿は嬉しいものだろう。

 そう自分に言い聞かせている内に校舎についた。

 いい思い出がある訳でも無いので特に何も思わず無表情で靴を履き替え教室に向かう。

 僕の学校はクラス替えが無いが、いじめっ子がいないから特に問題はない。

 まぁ見て見ぬ振りをした奴らはいるけど。

 すぐ卑屈になる自分に溜息とも深呼吸とも分からない息を一つ吐いてドアを開ける。


 と同時に飛び出してきた女にぶつかりそうになった。


「わ、危な!……ってあれ、水野じゃん! 久しぶり!」


 そう言って女は僕に軽く手を振りながら走っていった。

 破天荒な女を尻目に


(苦手なタイプだけど、案外普通に接してくるものなんだな)


 と心の中で呟きながら机に向かうと同時に隣の席の女が目に入った。

 ……?

 思わず目を擦る。

 隣のそいつは、僕のいじめの原因となった、友達が沢山いて笑顔が絶えない人気者の桐野紗良、のはずだった。

 だが今僕の隣と席にいるのはいつも笑顔が浮かんでいた口を一文字に結び、悲しそうに下を向いている地味な女だった。

 それでも形の整った唇や、長い睫毛と色白の肌は、紛れもなくあの人気者のものだけれど。


 僕は直感した。

 いじめられていたから知っている。

 彼女だけ皆から見えていないようなこの感じ。




 彼女はきっといじめられている。

 恐らく無視といった類の。

 そういえばさっきぶつかりそうになった女もひっつき虫の様に彼女といつも一緒に行動していた筈だった。

 だが今彼女の周りには誰もいない。


 人気者がいじめられている理由は分からない。

 ただ性格の悪い僕は可哀想とは思わず、「嬉しい」と思った。


 もしかしたら心のどこかで、八つ当たりだと分かっていてもいじめのきっかけとなった彼女を怨んでいたのかもしれない。

 ただ自分でも理解できない高揚感に浸った僕は、勢いに任せて彼女に声をかけた。


「ねぇ」


「え?」


 少し間が空いたあとに驚いた様に彼女がこちらを見る。


「え、あ……何?」

「無視されてんの? 皆に」

「無視……? あー、うん、そう、そうなの」


 騒がしい教室に彼女の困惑した細い声が溢れる。

 そこで僕はハッとして、目的がないまま勢いで話しかけてしまった事に気まずさを感じて彼女から目を逸らして椅子に座る。


 すると今度は彼女の方から

「水野くん」

 と呼ばれた。


「なに?」

 訊ねながら恐る恐る横を見るとそこには先程までの地味な女はおらず、

 笑顔を浮かべ目を輝かせた以前のような彼女がいた。

 その変わりように呆然として彼女を見ていると、彼女は満面の笑顔のまま

「友達になろ!」

 と言って僕の手を握った。




 これが僕と彼女の奇妙な生活の始まりだった。




「水野くん帰ろ」

 彼女は放課後から僕の後ろについて回ってきた。

 僕がいじめられていたから親近感を抱いているのか?

 僕のいじめはお前が原因なのに。

 まあ、お前は知らなかっただろうけど。

 そう思うとムカムカとした気持ちと話しかけてしまった後悔に襲われる。


「……なんでついてくんだよ」

「いやなんかビビッときたんだよね。この人と仲良くなりたいって」

「僕はなってない」

「え〜」


 無視して歩き始めた僕の後ろを、鞄に付けたクマのキーホルダーを揺らしながらとことこと付いてくる。

 早足で逃げていたが交差点で足止めされた僕は仕方なく彼女の方をジトッと見た。


「言っとくけど、僕と一緒にいても面白い事無いからな。後悔するぞ」

「水野くんは面白いって私の直感が言ってる」

「さっきから何だよそれ」

「直感が外れてたとしてもいいよ。

 ただ喋ってみたいの。」


 笑顔を浮かべてそう言う彼女は僕にも人気だった理由がよく分かる。

 諦めた僕は彼女の他愛ない話を黙って聞きながら帰路についた。


 それから似たような日々が二週間程続いた頃、流石に僕も彼女に慣れつつあった。

 相変わらず彼女は皆に無視されているけれど、彼女自身気にしている様子も無かったので敢えて聞くような真似はしなかった。



 いつもの帰り道。

 交差点で止まった時に足元にある花に気づいた。


「あれ、ここで事故あったんだ」

「え!? 今!?

 割と最近の事故だよ?」

 呆れたような目で彼女が僕を見る。


「生粋の引きこもりだったからね」

「誇らしげにすな!

 ちゃんと今の内に周りにある色んな物を目に焼き付けておかなきゃだめだぞ」

「年寄り臭い」

「もう、大事なことなんだよ。

 新たな発見も沢山できるしね」


 指を立ててドヤ顔で僕に説いてくる彼女の鞄についたクマのキーホルダーを指で弾く。


「何すんの」

「これ可愛いか?」

「クマ吾郎の可愛さに気づけないなんて!

 やっぱり周り見てないから」

「名前から全然可愛くないな」


 彼女と可愛い可愛くないと騒ぐ自分の口元に自然と笑みが浮かんでいるのを不思議に思った。



 次の日学校に行くと、彼女が教室の入り口で固まってるのが見えた。

 視線の先を見ると彼女の机を今にもどこかに運ぼうとするクラスメイトの姿があった。

 無言で僕は歩み寄り、机を持つ手を無理やり外す。

 クラスメイトは驚いた顔をして僕を見た。

 そりゃあ誰だって驚くだろう、元いじめられっこが急に自分に楯突いたのだ。

 そのまま会話を交わす事なく急ぐようにして場を離れたクラスメイトとすれ違うように彼女は来て、

「ありがとう」と微笑んだ。



 その日の帰り道は彼女がファミレスに行きたいとごねたので、渋々ついていくことにした。だがその割に僕がポテトを注文しても彼女は頼む気配がない。


「食べないの?」

「ダイエット中なの!

 だから水野くんはもてないんだよ」

「何のだからだよ。お前ほぼ骨じゃん。」

「失礼ね。

 てかお前呼び止めない?

 紗良って呼んでいいよ」

「僕は大切な人しか名前で呼ばないんだ」

「例えば?」

「コロ」

「犬じゃん!」


 口を尖らせて文句を言う彼女を冷めた目で見る。


「名前呼びに意味ある?」

「あるよ! あと今日の占いで名前呼びで運勢上がるって言ってた」

「僕はスピリチュアルとか占いの類は信じてないよ」

「やだつまんない男」


 自分で言った後にプッと吹き出して

 そしてケラケラと彼女は笑った。


「お前は変わってるな」


 ポテトをつまみながら思わずぼそっと呟くと彼女は首を傾げて「そう?」と言った。


「私からしたら水野くんの方が変わってるよ〜」

「いやいや。

 お前は外見はまともだけど中身が5歳児」

「それ可愛いって言ってくれてるの?

 てかひどくない?

 ずっと優等生大人っぽいキャラでやってきたのに」

「皆の目は節穴だな」


 そうからかうと何故か彼女は嬉しそうな顔をして、僕に笑いかけた。


 その次の日も、また次の日も彼女は僕に公園に行こうだの楽器屋に行こうだの色んな誘いをしてきた。

 彼女はもしかしたら無視されている寂しさを僕で埋めようとしているのかもしれない。

 なのに、そう思っても怒りが湧いてこない自分がいた。






「今日は一緒に帰れない! ごめん!」


 珍しくそう謝ってくる彼女を、しっしっと手で払う。


「たまには静かに帰れていいよ」

「そんなこと言って寂しくて仕方ないんだなシャイボーイめ」

「誰かシャイボーイだ」


 軽口を叩きつつ「じゃあね」と帰っていった彼女の少し後に校舎を出てゆっくりと帰り道を歩く。

 彼女がいないからか静かに感じるその道は、いつもより周りのものが鮮明に見える。

 いない時まで彼女が自分の思考に纏わりついている様な感じがして思わず苦笑する。


 いつもの交差点。

 立ち止まり、ふと足元の献花を眺めると、

 献花と共に新しく手紙が供えられていた。

 目を逸らそうとしたのに、思わず凝視してしまった。







 見覚えのある不細工なクマの便箋に書かれている名前。



 桐野紗良ちゃんへ





 思考が停止する。

 信号が青になっても、僕はその場から動けない。

 余りにも非現実な現実に、心臓が煩い程に鼓動する。






 “彼女だけ見えていないような”





 あの時感じたけれど見逃した違和感。

 彼女がいじめられる?

 僕のいじめの元凶となった程人気な彼女が?


 もし


 机をどかそうとしたクラスメイト。

 いじめではなく、もう来る事のないクラスメイトの机を片付けようとしていたとしたら?



 彼女は何も僕の前で食べないし飲まなかった。

 もう彼女には出来なかったとしたら?


 でも僕は確かに彼女に触れて、話して、笑ったんだ。


 いつだって彼女は朗らかに笑う。

 全ての違和感がどうでも良くなってしまう位に明るい笑顔で。













 あれから一週間が過ぎた。

 僕は一度も彼女を見ていない。


 周りに興味のない僕は、彼女が死んでいる事を知らなかった。

 だから彼女が見えて、話せたのかもしれない。


 あの時下を向いていた彼女は無視されている事にではなく、自分が死んでもいつもと何ら変わらない日常を送るクラスメイトに悲しんでいたのだろうか。

 彼女は人気者に見えたが、実際は皆彼女の表面しか見ていなかったのかもしれない。


 僕が「周りの目は節穴だ」と言った時の嬉しそうな笑顔が脳裏にこびりつく。


 静かな帰り道。

 交差点で、持っていたシオンを添える。


「お前が嫌いだよ、紗良」


 変わってしまった僕は静かに呟く。

 夏の風が慰めるように僕の頬をなでた。






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