フー・アー・ユー?
「それじゃ、気をつけるんだよ」
「うん。……二日間、ほんとにお世話になりました。ありがとう」
アパートの前で車を降りて、送ってもらった絵里さんに改めて感謝を述べる。「もう、ほんとに。大変だったんだからね」絵里さんは苦笑交じりに言うと、窓から手を伸ばしておれの肩を小突いた。
「大変だろうけどさ、うまくやんな。無理はするんじゃないよ」
「分かった。ありがと」
窓から出した右手をひらひらと振って、絵里さんが走り去る。その車の背が、細い路地から見えなくなるまで見送ってから、おれもようやく踵を返して部屋に戻ろうとする。
雨が上がった後の夜は冷えていた。
大事なのは、今。
絵里さんの言った言葉が強く頭にこびりついていた。大切なのは、過去それ自体ではなくて、その先の今をどうやって生きるのか。……兄の失踪という過去、いっこうに目覚めない遥姉さんの現状を受け入れられずに、六年も前の「真相」にしがみついている。それに縋ることで自分を保っているおれは、果たして、芦原さんや母と何か違うだろうか。
その思いは簡単には飲み下せなかった。棘のように、内側に引っかかって、ちくちくと刺しては平静を乱すのだ。
兄のことから逃げ出して、母のことからも目を背けて。おれは……。
「見つけた」
――物思いにふけっていたせいだろうか。それとも、彼女があまりに自然だったからなのかもしれない。ともかく、彼女に話しかけられるまで、おれは相手の存在に気づいてもいなかった。
その言葉が、自分に向かって投げられたものだと気がつくのに、少しかかった。それの指す意味がどういうものかもまだ判然としないまま、声のした方向を振り向く。声は突然背後から聞こえてきた。さっき、絵里さんを見送ったときには路地に人影はなかったはずだ。誰かの近づいてくる足音もしなかった……そんなことを考えながら、おれは振り返った。
そこで、目の前の彼女にようやく気がついて、しばらく言葉を失った。
「やっと、見つけた」
とても透き通った声だった。彼女は噛みしめるように繰り返した。
夢の中の少女が、目の前に立っていた。
「くれあ……」
衝撃のただ中で、おれは彼女の名前を呼んだ。赤髪の男が最後に叫んだ名前を。目の前の少女は名を呼ばれて、意外そうに、そして少し訝しげに眉を動かした。その反応を見て取り、おれは確信する。たしかに、あの少女だ……あの子は、やっぱり実在したんだ。夢の中の、空想の存在ではなかった!
顕れた少女を、まじまじと見つめる。――少女は夢で見たままの姿をしていた。呼吸はすでに整い、全身の出血も治まっていたが、痛々しい傷跡はそのままだ。ぼろぼろになった衣服の下にそれらの傷が覗いている。
少女の肌は白く、瞳は澄んだ蒼色だった。背も思ったよりも高い。年は十五、六といったところだろうか。顔つきにはまだ少し幼さが残っている。一方で、まとう雰囲気は大人びていて、近寄りがたい空気を放っている。
美しい少女だった。
夢の中では、正面からはっきりと顔を見ることはなかった。こうして対峙してみると、とても整った顔立ちをしている。すらりと伸びた鼻梁。澄んだ蒼い瞳と、その上で美しく弧を描く眉。艶やかな銀色の髪。精巧に造りこまれた人形のような、完成された美しさだ。
可憐という印象を抱かないのは、きっと、そこに表情がないからだ。彼女は、何を考えているのか読み取れない眼差しで、おれのことをまっすぐに見つめている。
――どこか人ごとのように、そんなことをぼんやりと考えながら、おれはただ呆然とその場に立ち尽くしていた。
本当に、夢ではなかった。
実際に目にするまでは信じられなかった。いや、今でも確信しかねている。しかし……彼女は現に、こうして目の前に立っている。ほんの数歩の距離、手を伸ばせば触れられるほど近くに。
それとも、おれはまだ、夢を見ているのだろうか? 昨日から色々なことが起きたので、疲れ果てて倒れ、夢の続きを見ているのかも……。
「私の名前を知っているのね。どうして?」
この期に及んで現実逃避しようとするおれの思考を、少女の言葉が遮る。彼女は見定めるように、蒼い眼を鋭く細めている。
名を呼んでしまったことを後悔するが、遅かった。咄嗟にうまい言いわけなど思いつかない。それに、彼女の視線に晒されていると、ありのままに真実を話さなければいけない、という気分になった。この少女の前では、嘘を吐いてやり過ごすことはできない――そんな風に思わせる何かが彼女にはあった。
「夢で、君を見たんだ。……それと、君を追っていた男のことも」
結局、おれは正直に打ち明けることを決めた。おれの言葉を受けて、少女の顔がわずかに翳る。視線を外し、つかの間、目を伏せて思案を始める――。
「――その子から、離れなさいっ!」
その時だった。鋭い声が飛んできたと思うと、ものすごい力で腕を掴まれ、後ろに引っ張られる。「うわ……っ」情けない声を上げて尻餅をつくおれの前に、絵里さんが立ちはだかった。おれと、少女との間に割って入ったのだ。肩で息をしながら、少女をものすごい形相で睨みつけている。
「え、絵里さん? どうして……」
「角を曲がる直前に、お前と、その子が見えたんだ。……血まみれの女が、大事な子の真後ろにいるのを見かけたら、そりゃあぎょっとするでしょ」
一目で異常を察知して、大急ぎで車を回して戻ってきてくれたらしい。その判断力には素直に感服する。頼りにもなる、けれど……そのおかげで、今の状況はどう転ぶか分からない危うさを孕んでいる。絵里さんと、顕れた少女とは、交わる視線だけで分かるくらい、とても険悪な雰囲気だ。
「……あなた、何なの。うちの圭祐と、どういう関係?」
絵里さんが少女に問いかける。……その答えはおれも気になっている。彼女がいったい、何者なのか。どうしておれは彼女を夢に見たのか……おれは絵里さんの体越しに少女の様子を伺ってみたが、質問に応じる様子はなさそうだった。
「……あなたは、誰? 私が用があるのは、あなたじゃなくて、後ろの彼なんだけど」
代わりに、同じような問いを返す。後は互いに睨みあったまま、場に険悪な雰囲気が漂う。絵里さんが苦々しい表情で舌打ちをして、振り向かずにおれに声をかける。
「圭祐、お前、何か知っているの? 私、もう何がなんだか……。この子は誰? いったい……いったい、何を話してるの」
表情は険しかったが、絵里さんの声は困惑に揺れていた。だけど答えようにも、おれだって、まだ混乱している。
絵里さんはおれに一瞥をくれたが、何も答えられないでいるのを見ると、また少女の方に目を向けた。きっと睨みつけ、また厳しい口調で問い詰める。
「あんた、何者なの。いきなり現れて……この子に何の用、圭祐をどうするつもり?」
やはり答えない。冷ややかな眼差しで絵里さんをちらりと見つめ、ついで背後のおれに視線を向ける。刺すようなその視線と正面からぶつかって、思わずどきりとする。
どういうわけか、この少女の意識は絶えずおれに注がれていて、絵里さんのことは眼中にないようだった。視線をそらすこともできず――へたりこんだ体勢のまま、固唾を呑んで待つ。
しばらく誰も言葉を発さなかった。あたりの緊張感が刻々と高まっていくのを感じる。相変わらず、少女は何を考えているのか分からないし……。
「圭祐。お前、何か隠してるでしょう」
唐突に、絵里さんがおれに厳しい口調で言う。
「昨日から、様子がおかしいとは思っていたけど……答えなさい。お前、何を知ってる?」
こちらを振り返らず、少女のことを睨みつけたまま。絵里さんは畳みかけた。
「あっちは、どうやら聞いても教えてくれないみたいだから、お前に聞くわ。あの子は誰。お前とあの子は、どういう関係なの?」
「……どういう関係も何も。おれだって、初対面だよ」
「へえ、そう。それで、お前はどうしてあの子のことを知ってる?」
「それは、その……」
先ほど、会話していたのを聞かれていたらしい。絵里さんはおれの言葉をぴしゃりと遮った。
言い訳やごまかしの利くような空気ではなかった。かといって……今、この場であの荒唐無稽な夢の話をするのか? ちょうど今、夢に出てきた女の子が、目の前に顕れたところなんです――逆の立場なら、そんな話を信じられるか?
どう説明したものか、おれが言葉に詰まっていると……今度は少女の側から動きがあった。
「面倒だね。場所、変えようか」
あくまでおれに語りかける。絵里さんのことはフル無視。さすがに、絵里さんもカチンときた様子で、一層空気が緊張の度合いを増す。
気にするそぶりも見せず、こちらに歩み寄ろうとする少女に絵里さんが待ったをかけた。
「小娘が、いい度胸してんじゃないの。あんまり大人を舐めるんじゃ、」
「退いて」
少女が短く言った、その直後だった。――絵里さんの体が、突然、何かもの凄い力で殴りつけられたかのように、横に吹き飛んだ。
「……っ、は……っ」
大きく投げ出され、固いコンクリートの地面に叩きつけられて、絵里さんが息を詰まらせる。
「え、絵里さんっ! 大丈夫⁉」
うずくまって、苦しそうにもがく絵里さんに駆け寄ろうと、慌てて立ち上がる。少女はそれを許さなかった。
「待って」
その一言で十分だった。一言で、おれの足はぴくりとも動かなくなってしまった。駆け出そうとした勢いだけが先走って、バランスを崩し、また倒れてしまう。
なんだ、これ。
こいつは何をしたんだ? 何かされたのは間違いない、けど……声をかけられただけで、こんな、魔法みたいな。
「みたい、じゃなくて、そのものだよ」
這いつくばるおれを見下ろしながら、少女はこちらに歩み寄ってくる。……声に出したつもりはない。心を読んだのか? そんなことが……。
「別に、あなたを殺したり、傷つけたりしたいわけじゃない。そんなに警戒しなくてもいいよ」
「……じゃあ、何が目的なんだ」
「あなたの力を貸してほしいの。あなたが必要よ、一緒に来て」
「ふざけんな。おれは傷つけなくても、絵里さんは傷つけるんだろ。そんなやつに、だれが協力するか」
「そ。じゃあ……人質作戦っていうのはどう?」
そう言って、少女は、絵里さんに向けて手をかざす。……知らない言葉で、少女が何ごとか呟いている。見る間に、彼女の指の先で、風が渦巻いて、うねりをあげ始めた。
「本当は、こんな手荒な真似はしたくなかったけど。あなたが言うことを聞いてくれないなら、仕方ないよ。ね?」
「っ、お前、いいかげんに――」
「舐めんなって、言ってんだろ!」
激昂しかけた時、鋭い声が上がった。同時に、一発の銃声が響く。――絵里さんが撃ったのだ。
「絵里さん⁉」
あまりに想定外の事態に目を剥く。……撃たれた少女も、撃った絵里さんも、それぞれ別の理由で驚きに目を見開いていた。
絵里さんが少女を目掛けて放った弾丸は、直撃する寸前、何かに阻まれたように不自然な軌道を描いて逸れ、近くの地面を抉った。立て続いた怪奇現象に絵里さんは戸惑い、少女もまた、思わぬ反撃に面食らった様子だった。
「え、絵里さん? なんで、そんなもの……っていうか、どうやって手に入れ……」
「今はどうでもいいでしょ、そんなこと。ただの護身用よ」
「護身用って……」
「お前ね。遥や雅人君たちが危険なことに巻きこまれたかもしれなくて、私らはそれを嗅ぎ回ってるんだよ? 身を守る術の一つくらい、必要でしょ」
「……それにしたって、拳銃はやりすぎだ」
「効かなかったけどね」
絵里さんは舌打ちをして、苦い表情を浮かべる。
「そんな……むしろ、効いてたらどうするつもりだったの? 人殺しになるところだったんだぞ」
「心配しなくても、そのつもりで撃ったんだ」
とりつく島もない。絵里さんの、迷いのない口調を前に、おれはそれ以上何も言えなくなってしまった。
それから、絵里さんは再び銃口を少女へと向けた。慌てて少女の方を見ると、こちらも動揺から立ち直ったらしく、険しい表情を浮かべて腕を構えている。――まさに一触即発といった雰囲気だ。
「……関係ないんだから、邪魔しないでほしいな」
「圭祐、お前は下がってなさい。何を言われたか知らないけど、こんな危ないやつに手なんか貸すんじゃないよ」
絵里さんはそう言ったが、素直に任せるわけにはいかない。――少女の周りの空気が渦巻く。攻撃の気配を感じて、おれは慌てて声を張り上げた。
「待って……頼む、待ってくれ! 絵里さんも! ……クレア、おれに話があるんだろ。少し、話し合おう。な?」
足を固定されて這いつくばったまま、必死に呼びかける。少女はしばらくの間、絵里さんと睨み合いを続けていたが、やがて、おれにちらと視線を向けると、ぴりぴりと全身の毛を逆立てたような臨戦態勢を解いた。
「……ありがとう。それで、君はいったい、」
ともかくも修羅場を回避できたことに、胸をなで下ろす。ようやく、少しだが歩み寄ることができた。いつの間にか足の自由も戻っている。
立ち上がり、声をかけたところで――彼女は急におれの手を取り、そのまま引き寄せると、自身も一歩踏みこむ。自然、抱き合うような体勢になった。
「え、ちょ……」
予期せぬ行動に色々な意味で動揺してしまう。視界の端で、絵里さんもまた息を呑むのが分かった。肌の温もりを感じ、にわかに耳のあたりが熱くなるのを感じたが、それどころではない。少女の行動はそれで終わりではなかったからだ。
気づけば、彼女はその手に金色の鍵を握っていた。もう片方の手は、おれの腕を掴んだまま、少女は鍵の手をおれの背後にまわし、さらにもう一歩、力強く踏みこむ。
前後に揺さぶられて、おれは踏ん張ることもできず、後方へとよろめく。
これは、まずい。
夢の中の記憶が立ち現れてくる。「あのとき」の鍵だ――。
「圭祐……っ!」
悪い予感は的中した。絵里さんが鋭く叫ぶ声を聞き、その直後、不思議な浮遊感とともに視界が暗転する。抵抗する間もなく、おれは闇の中へと引きずりこまれた。
ドサリ。背中に衝撃が走る。自身と少女、二人分の重みを抱えて、おれは固い地面に投げ出された。
「っ、くそ……」
息を詰まらせ、目を瞬かせる。少女はすでに起き上がり、洗練された動作で服の汚れを払っていた。
くそ。やられた……っ!
悔しさに表情が歪む。自分の迂闊さに腹が立った。どうして、簡単に気を許したりしたんだ!
「いつまでそうしているつもり?」
「……今すぐ、さっきの場所まで戻せ」
「それは無理。話し合いをするんでしょう? それには、さっきの人は余計だわ」
「お前にとってどうかは知らないけどな。絵里さんだって無関係じゃない、話をするなら同席するべきだ」
「あのねえ」
反駁すると、少女はうんざりした様子でため息を吐き、いきなりおれの胸倉を掴んだ。
「勘違いしないで。私にとって、あなたたちの事情はどうでもいいことなの。あなたと、私が、話をするのに、彼女は無関係でしょ」
鼻と鼻がくっつくくらいの至近距離で――どきどきするような心持ちではなかったし、少女の表情もそんな甘美なものではなかった。刺すような視線と、低い声。おれは口にしかかった抗議の言葉を、黙って呑みこむしかなかった。
途方もなく長い数秒の後、少女は黙って手を放した。
「着いてきて」
そう言って身を翻すと、少女はすたすたと歩いて行ってしまった。
「あ、おい……!」
振り返りもせず、彼女は先へと進んでいく。おれの呼びかけなど、まるで聞く耳を持たない。立ち尽くしたまま、その行く先を目で追う。
今いるのは、森の中の空き地のようだった。密生した木々に取り囲まれた中に、この場所だけが、草もなく、ぽっかりとひらけている。前方には、半ば崩れかかった廃墟があり、少女はそちらへと向かっていた。
ここは。この場所は。
考えようとしたところで――またも、暗転。少女の足下に無様にも倒れこむ。
「面倒だから、次からは自分で歩いてね」
冷ややかな眼差しでおれのことを見下ろしながら言う。悪態を吐きたい気持ちを、ぐっと堪えて深呼吸。落ち着け、落ち着け……。感情的になってもいいことがない。
「ここは……何なんだ。いったい、どこに連れてきたんだ?」
「あの柵の内側。あなたは、ここを探していたんでしょ?」
戸惑うおれに少女が告げた。しかし、その言葉で、おれはさらに動揺してしまう。
「柵の……ここは、私有地の中、なのか?」
おれや絵里さんは、六年間も、柵を越えられずにもどかしい思いをしたのに。この少女の手にかかった途端、こんなにも容易く辿り着いてしまった。……ようやく道が拓けたという喜びよりも、悔しさや、やるせなさの方が強かった。
状況も状況だし、とてもじゃないが素直に喜ぶような気分にはなれない。
目の前の廃墟は壁の大部分が崩落しており、それらの残骸が周辺に散乱していた。残った部分も焼け焦げたように黒ずんでいて、ひどい荒れ果てようだった。
つい数時間前に、芦原さんから聞いた「消えた城の怪談」を思い出す。……ここが、あの私有地の中だというなら、きっとこの廃墟が「城」で間違いない。兄たちは、この場所で何か厄介ごとに関わっていて……この騒動にも巻きこまれたのかもしれない。
けれど、なぜ少女はおれを連れてここに? おれがこの場所のことを探っていると、知っていた? それを知って、彼女もおれを探していたのか……?
「なあ、君は……何か知っているのか?」
「随分と曖昧な質問ね。何か、というのは、六年前の失踪事件のこと? それとも、あなたの体のこと?」
要するに、どちらも知っているということだ。いよいよもって分からない。おれが黙っていると、今度は少女から口を開いた。
「私のことが怖い?」
「……そうだな。けど、それ以上に、聞きたいことが山ほどある」
「私もよ」
そうする間にも、少女は迷いのない歩調で、迷路のような、暗い廃墟の中を進んでいった。やむなく後を追って、ところどころ崩れかかった階段を上り、やがて屋根のない最上階に躍り出る。壁さえもほとんど崩れて、この場所からは周囲の様子がよく見渡せた。
内部を練り歩いた感じから察するに、もとはかなり立派な建物だったのだろう。しかし、ここまで崩壊してしまっていては見る影もない。
しげしげと辺りを眺める。「私有地」に立ち入るのは、これがはじめて。その、はずなのだが……どことなく、見覚えがあるような気がする。
既視感を抱くのはなぜだろう。少し考えて、はっと思い当たる。昨日の昼に見た、二度目の夢だ。
あのとき、少女が眠っていた屋根のない部屋は、ここだったんだ――。
「さあ。まずは、あなたの話を聞かせて」
そう言って、少女はようやくおれに向き直ると、瓦礫の一つに腰を下ろす。少女はおれにもそうするよう促した。
「おれの話、って……」
岩の表面を慎重に確かめる。長い時間をかけ、雨風に削られたためか、思ったより表面はなめらかで、座り心地も悪くない。「君は……何者なんだ。何の目的で、こんなことをする」改めて、深く腰かけ直して、おれは少女に問いを投げかける。
「あなたは私を知っているのだと思っていたけど」
「知らないよ。君の正体も、目的だって」
「でも名前は知っていた。そうでしょう?」
少女はまた、あの不思議な眼差しで、おれのことをしかと見据えていた。……知りたいことや聞きたいことは山ほどある。しかし、先におれの知っていることをすべて話さない限り、少女もそれらを教えるつもりはないらしい。
「あなたは夢と言ったよね。そのことについて、詳しく教えてくれるかしら」
「……分かったよ。とは言っても、たいした話じゃないんだけど」
観念して口を割る。
夢の登場人物は少女と赤髪の男の二人だけで、その動向を本人に伝え聞かせるというのも、考えてみればおかしな話のように思えたが――ともかく、内容はまだしっかりと覚えていたから、思い出すのは容易だった。当人である少女は、特に質問などで話の腰を折ることはしなかったが、とにかく細部まで聞きたがった。
「ふうん……なるほど、ね」
聞き終えて、少女はぽつりと呟いた。片方の手を顎にあてがい、目を伏せてしばらく思考を巡らせる。
「今まで……こんな風に、夢で誰かのことを見たことはなかったのよね?」
やがて彼女は訊ねた。おれは頷く。
「ああ。こんなこと、はじめてだ。……付け加えるなら、異常な疲れもはじめてだ」
今だって体の調子は良くない。昨夜は少女の夢こそ見なかったが、「また見るのではないか」という考えが頭から離れなくて、結局よく眠れなかった。おまけに、先ほど激しく嘔吐したばかりだし、体はぼろぼろだ。
「そう……何の因果かしらね」
少女の言葉の意味は分からなかった。何か、彼女なりに納得のいく結論は出せたらしいが、それ以上は語らなかった。それよりも、続く彼女の言葉の方におれは気をとられてしまった。
「とにかく、話してくれてありがとう。じゃあ次は私の番ね」
少女から切り出したのは意外だった。てっきり、話し合いに応じる気などまるきりないのだと思っていたからだ。けれど、彼女は先ほどまでと同じように、おれの言葉に耳を傾けている。「聞きたいことがあるんでしょ。質問をどうぞ」促されるまま、おれは疑問を口にした。
「あ、ああ。……君はさっき、見つけた、って言ったよな。どうしておれを探してたんだ?」
少女の目的が分からない。
おれの力が必要だ、と彼女は言った。けれど具体的なことは聞いていない。この少女が、おれの何を必要としているのか。おれに何を求めている? おれは、何に巻きこまれようっていうんだ?
昨日、はじめて少女のことを夢に見てからというもの――嫌な考えが浮かんでくるたびに、「所詮ただの夢にすぎない」と自分に言い聞かせてきた。だけど彼女は実在した。それだけでなく、彼女は、六年前の失踪のことや、おれがそれを嗅ぎ回っていることまで知っている様子だし……。
ただの偶然だろうか。
もしかしたら、少女と、六年前の事件とは、何か関係があるのではないのか。
そんな疑念が、先ほどから次々と浮かんできて止まらなかった。
彼女は何者なのだろう。髪は銀色だし、肌の色、目の色、身体的な特徴のどれをとっても……いや、それはたいした問題じゃない。問題なのは、先ほど、身をもって体験したあの不可思議な現象だ。まさに「瞬間移動」――この子は、過去を知るこの少女は、おれをほんの一瞬で別の場所へと連れ去ったのだ。
話を聞いて、疑問を解消したい気持ちと、今すぐ逃げ出して、今後一切関わらない方がいいのではないかという警戒心とで、心がせめぎ合っていた。
今、目の前にいる彼女はおとなしく座っていて、危害を加えようという様子はない。とはいえ、彼女が絵里さんに対して行った仕打ちは忘れていないし……あんな、妙な力を持つ相手だ。簡単に心を許してはいけないことは、さっき、身をもって知らされたばかりだ。
そうした、おれの心の揺らぎが落ち着くのを待っていたかのように。
私の番、と言いながら、少女は黙っておれを見つめていた。また、あの見定めるような視線。
……もう、これだけ色々なことが起こってるんだ。今さら、何を言われたところで、取り乱すものか。おれは覚悟を決めた。少女は言った。
「私はクレア。異界の国レオルより、父、第四十七代国王アレウスの命で参りました。古の予言に従い――あなたを、お連れ致します」