本家はギスギスしている
サミュエルが御する馬車が、林道を抜ける。
にょきりと覗いた城壁に、マリアの向かいに座ったノキシスがため息をついた。
「行きたくねーある……」
「ぱっと行って、ぱっと戻りましょう」
にこにこ、行儀良く座ったマリアが提案する。渋々、ノキシスが頷いた。
彼等が向かう先は、ノキシスの本家である。
次期当主と名高いオーティスに呼び出された彼は、こうして嫌々出頭していた。
ドナドナ、彼の胸中を的確に示した歌は、恐らくこれだろう。
厳かな城門をくぐり、重厚な屋敷へ馬車が近づく。
警備の誘導に従い、サミュエルが馬を留めた。
ずれる眼鏡を押しやり、ノキシスが大屋敷の前に降り立つ。
自然な動作で後続のマリアの手を取り、彼が唯一のメイドを降ろした。
サミュエルが馬車から荷物を運び、警備が馬車を移動させる。
もう一度重々しくため息をついたノキシスが、顔を上げた。
そこに浮かんだ表情は、軽薄そうな笑顔だった。
「とっとと終わらせて、さっさと帰るある」
「はい」
冷淡なほど無表情のサミュエルが、こくりと同意する。
エリアスの助言と本人のゴリ押しで、今回の付き添いの権利を獲得した少年は、既に剣呑な空気で周囲を警戒していた。
「お待ちしておりました」
扉を開けた使用人が、恭しく礼をする。
横一列に整列した使用人等は、温度のない人形のようで、サミュエルは表情をぞっとさせた。
「こちらでございます」
必要な言葉以外口にせず、使用人が割り当てられた部屋まで案内する。
「あら。誰かと思えば、卑しいグレーゴルの子じゃありませんの」
高らかに響いた女性の声に、使用人が道の端に下がり、頭を垂れる。
豪奢なドレスを身に纏った女性が、ふさふさの扇子越しに鼻を鳴らした。
さて、この女性、大変逞しい身体つきをしている。
肉付き豊かなウエストと、コルセットが作るくびれは、最早職人技だった。
「どの面を下げて、この地を踏んだのかしら。いやあねぇ、これだから下賎の輩は図々しい!」
「なんッ、」
「これはこれはフレーゲル様! お会いできて光栄ある~」
蔑む目にも動じることなく、ノキシスが揉み手する。
うさんくさい笑顔は相変わらず、フレーゲルと呼ばれた女性が気分を害したように顔をしかめた。
今にも怒声を上げそうなサミュエルを、マリアが片手で制する。
反論のため開かれた少年の口は、あまりに険しい彼女の表情によって閉じられた。
「まあッ、何て厚顔なのかしら! 恥を知りなさい!!」
「怒ったお顔もキューティーね! 美しいお声が、遠くまで聞こえるよ~!」
「お黙り!!!!」
ますます怒りの顔になったフレーゲルが、足音荒く侍従を引き連れ廊下を通り過ぎる。
すれ違い様、思い切りノキシスと肩をぶつけた彼女が、鼻息荒く革靴を踏みつけた。
ありったけの体重を乗せられ、痛みと衝撃にノキシスが悲鳴を堪える。
「あたくしが当主となった暁には、あなたの首をさっさと切り落として差し上げますわ!」
ノキシスへ向けて吐き捨てたフレーゲルが、どすどす足音を響かせながら廊下の先へ消える。
何故こうも疎んじられているのか……。
疑問とともに、ノキシスがため息を飲み込んだ。
「ご案内いたします」
「……ああ、頼む」
通り過ぎた大嵐なんてなかったかのように、案内役の使用人が歩みを再開させる。
彼の顔は能面のようにぴくりともせず、様々なことにサミュエルは愕然とした。
あんなの交通事故じゃん!!
少年は怒鳴りたい衝動を抑えることに必死だった。
部屋へ到着してからのマリアは迅速だった。
ノキシスをソファへ座らせ、サミュエルが運んだ旅行鞄のひとつを開ける。みっちりと敷き詰められていたそれは、応急処置セットだった。
サミュエルが絞ったタオルを、腫れた患部に押し当てる。
「いやあ、フレーゲルはまた一段と成長したようだね」
「内出血を起こしています。今日はもうお休みください」
「ははは。大丈夫だよ、マリア。ありがとう、サミュエルも助かったよ」
足の甲を晒すことになったノキシスが、苦笑混じりに肩を擦る。
小柄で肉付きの悪いノキシスと、立派な腹回りを持つフレーゲル。体格差は圧倒的だった。
華奢なヒールで踏まれなかっただけマシなのだろう。
それでも患部は青く色を変え、熱を持っている。
扉と窓が閉じられていることを確認したサミュエルが、感情のままに口を開いた。
「何なんだよ、あいつ!」
「フレーゲルは本家の人間だよ」
「そうじゃなくって! 何でノキにこんなことするんだよ!?」
「さて。わたしが分家の人間だからじゃないかな?」
小さく笑ったノキシスが、マリアの手を退かさせる。
自動人形の彼女はいつもの微笑を消しており、険しい表情をしていた。主人が微笑みかける。
「ありがとう、マリア。もう大丈夫だ」
「ノキ様。治療の途中です」
「これからオーティスのところへ向かう。帰ってきてからお願いできるかな?」
「本日はもうお休みください」
「そうなると、明日のわたしが困ってしまうよ」
タオルをぎゅっと握ったマリアが、「承知しました」静々頭を垂れる。
靴下を履き直し、ノキシスが革靴に足先を入れた。
マリアの手を支えに立ち上がり、サミュエルへ顔を向ける。
「サミュ、ついてきてくれ。マリア、部屋の用意を頼む」
「……わかりました」
「畏まりました」
揃った不貞腐れた応答に、ノキシスが苦笑した。