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有能メイドの必需品

 マリアがマスターキーを掲げ、執務室の前に立つ。

 彼女の後ろで、顔面を蒼白にさせたノキシスが必死に腕を伸ばしていた。

 彼の身体を、サミュエルが押さえる。

 暴れるノキシスが、必死な声で叫んだ。


「ま、待つある! やめるあるっ、マリア!!」

「えいっ」


 軽やかな掛け声とともに、振り被られたマスターキーが、()()()()()()()


 ばきっ! べりべりっ! どごおぉぉん!!


 激しい音が木片を巻き上げる。

 飛び散る木屑からノキシスを守るように、青褪めたサミュエルが背の低い主人へ覆いかぶさった。


 猟奇的だ……。唖然としているノキシスが、何度も振り降ろされる黒い刃を見詰める。


 マリアが『マスターキー』と称したそれは、どこからどう見ても薪割り用の斧にしか見えなかった。


 何故マリアが、メイド服の裾がひるがえろうと、構わず斧を振り回すことになったのか?

 事の発端を辿るには、時刻は少し巻き戻る。






「マリアー!! 今日も美人あるー!!」

「ふふ、ありがとう、ノキさん」


 花壇の水遣りをしていたマリアへ、うさんくさい男ノキシスが両手で投げキッスを送る。

 うふふと淑やかに微笑んだ彼女が、品ある仕草で手を振った。


 マリアは自動人形だ。

 彼女はノキシスがよちよちの赤子の頃から、ノキシスを主人としている。

 乳母を兼ねた彼女は、主人の行動パターンを誰よりも熟知していた。


「ノキさん、今日はどちらまで?」

「いっちょ下界まで行ってくるよ! 下々のものがきっちりハタラキアリしてるか、ノキさんの両の眼で確認してくるある!」


 ふふん、嫌味な角度で胸をそらせ、ノキシスが小振りの旅行鞄を隠すように足で蹴る。

 あらあら、微笑んだマリアが、やんわりと目許を緩めた。


「視察かしら。それともお手伝いかしら?」

「くっ、小姑するある! 埃ひとつ見逃さねーある!」

「ふふ、それでこの前の大雨も、川が氾濫せずに済んだものね」

「マリア……!!」


 情けない声で地団駄を踏むちっさいおじさんを、茶目っ気を込めた顔でマリアが笑う。


「じゃあ今日のおやつは、ノキさんのすきな水ようかんにしますね」

「マリア!!」


 一気に表情を輝かせたノキシスが、いそいそと旅行鞄を抱え上げた。

 愛車に乗り、彼がずれた眼鏡越しにウインクを飛ばす。


「いってくるある、マリア! おやつまでには戻ってくるよ!!」

「はい、お気をつけて」


 優しげな微笑みでマリアが見送る。

 彼女へ手を振り返し、ノキシスが愛車――自転車のペダルこいだ。

 きこきこ、間の抜けた音がする。


 べこべこに曲がった前かごに収められた旅行鞄が、がたがた弾む。

 これまた傷の多い赤い車体が、門前の悪路をよれよれ進んだ。




「マリア! ノキを見ていませんか!? 俺の鍵束がないんです!」


 キッチンで小豆をこしていたマリアへ、サミュエルが駆け寄った。

 端整な顔は焦ったように周囲へ向けられ、少年の息は弾んでいる。


 真っ先に雇用主を疑う辺り、この少年は良い性格をしている。

 くすり、楽しげに微笑むマリアの姿に、サミュエルの顔色は変わった。


「あいつ、また外に行ったんですか!?」

「お仕事熱心なのよ」

「あーっ、もう!! 俺の鍵返せよ!!」


 盛大に鬱憤を吐き出した少年が、勢いよく外へと飛び出す。


 くすくす、マリアが笑った。

 小窓から見える景色が、ばたばたと裏口から走って行くサミュエルを映す。

 ――今日も平和ね。

 穏やかな微笑みで見送り、彼女が再び小豆をこす作業へ戻った。


 時計の針が、くるりくるりと回った数時間後。


 ちりりん、マリアの耳に鈴の音が届く。

 ティータイムに丁度よい時刻は日差しも心地好く、マリアはほわりと目許を緩めた。

 ――そろそろ植木の剪定をしないとね。彼女が高く伸びる木々を見上げる。


 彼女はできるメイドだ。

 小豆を水ようかんへ変える作業はもちろん、明日用の小豆を水に浸すことも終えている。


 日課の庭掃除を行うマリアの前に、自転車を立ってこぐサミュエルと、後ろの荷台にまたがるノキシスが現れた。

 彼女が聞いた鈴の音は、どうやらこの自転車の音らしい。


 不貞腐れた顔のサミュエルが、減速して自転車を止める。

 うさんくさく笑うノキシスが、もったりした動きで愛車から降りた。


「マリアー!! 今帰ったあるー!!」

「お帰りなさい、ノキさん、サミュさん。おやつできていますよ」

「さっすがマリアある! あいしてるよー!!」

「おいおっさん!! 15歳に自転車こがしてんじゃねーよ! 危ないだろうが!!」

「危険さを説いたら、この世界で生きていけないある……」


 一揆こわいある……。べそべそ、ノキシスが身を縮める。

 怒声を張るサミュエルから逃れるように、ノキシスが自身の耳を塞いだ。

 ますます少年の目尻がつり上がる。


「俺の鍵返せ! そんで仕事しろ! 部屋に閉じ込めるぞ!!」

「反抗期おっかないね! マリア、水ようかん運んでほしいある!」

「はい、ただいま」

「誰が反抗期だ!!」


 逃げ出すように玄関へ飛び込んだノキシスを追って、サミュエルが開きっ放しの扉をくぐる。


 ノキシスはサミュエルより背が低い。

 当然脚の長さにも残酷な差があり、加えてサミュエルは運動神経が良い。

 ぎにゃあああああッ!!! 屋敷から悲鳴が響き渡った。

 この世の終わりのような絶叫だった。


 のほほん、微笑んだマリアがキッチンへ向かう。

 ――ノキさんもサミュさんも、楽しそう。

 彼女はこのタイプの主人の悲鳴を、『問題なし』とみなしていた。




 ふたり分のお茶と水ようかんをワゴンに乗せたマリアが、執務室の真ん前で困っているふたりを見つけた。

 あら? 彼女が首を傾げる。長い金糸がさらりと揺れた。


 ノキシスはぺんぺんと自身のズボンを叩いており、サミュエルはその様子を冷めた目で見ている。

 廊下にほっぽり出されたふたりは、家に入れない子どものようだ。


「どうかなさいました?」

「ああっ、マリア! 部屋の鍵が見つからねーある……」


 たっぷりと冷や汗をかきながら、ノキシスがマリアへ振り返る。

 彼はワイシャツにネクタイと軽装になっており、傍から見ると追い剥ぎにあっているように見える。


 対する主人のジャケットとベストを腕にかけたサミュエルが、半眼のまま口を開いた。


「どこぞの年甲斐のないおっさんが、執務室の鍵をなくしたようです」

「おっさん言わないでほしいね! まだぴちぴちの29ある!!」

「そのズボンも脱がすぞ」

「や、やめるあるー!!」

「あらあら」


 続くサミュエルの説教を要約すると、どうやらノキシスはサミュエルからこっそり鍵束を奪い、執務室に隠したらしい。


 そしてきっちりと執務室の鍵を締め、外で鍵をなくした。

 自業自得だ。


 膨れた顔で腕を組んだサミュエルが、ぷいとそっぽを向く。

 べそべそ喚くノキシスがポケットを漁るも、ハンカチ、ちり紙、マッチの箱くらいしか出てこなかった。


 頬に手を当てたマリアが思案し、ぴこんと閃く。

 颯爽とメイド服の裾をひるがえした。


「マスターキーを持ってきますわ!」

「ありがとうある、マリア!!」


 ノキシスの顔が、ぱっと明るくなる。

 彼にとってマリアは特別だ。赤子の頃からの付き合いだ。

 安心し切った顔で、にこにこする。

 遠退く後姿を見送り、サミュエルが首を傾げた。


「ノキ、マスターキーなんて、この屋敷にありましたっけ?」

「……んん?」


 はたと、サミュエルとノキシスが顔を見合わせる。

 そもそも、そのマスターキーに代わるものが、サミュエルの所持する鍵束ではないだろうか。

 あれ? ノキシスが首を傾げた。



 ――こうしてマリアが持ってきたものが、件の『マスターキー』だった。


「開きましたわ」


 轟音がおさまり、振り返ったマリアが、にこりと微笑む。

 柔らかな春の陽光のような微笑みだった。


 彼女の後ろで揺れる、無残な姿をさらした扉。

 大きな穴を空けた木製の扉が、蝶番の可動域のまま開いていった。


 はっと我に返ったノキシスが、ぱちぱち、手を叩く。

「ブラボー!」声を上げた彼の目には、うっすらと涙の膜が張られていた。


「さすがわたしの自慢のマリアだ! ありがとう、助かったよ!」

「お役に立てて光栄ですわ」


 普段のあるある口調を忘れて賛美するノキシスに、マリアがはにかむ。

 淡く頬を染め、胸の前できゅっと斧を握る仕草は、花束を持つ麗しい乙女のようだった。持っているものは物騒だが。

 顔色の悪いサミュエルも、ともに拍手を贈る。

 照れるマリアがにこにこ微笑んだ。


 先ほどの豪快さなど微塵も感じさせない淑やかな動作で、「お掃除しますね」彼女が腰を折る。


 マリアは自動人形だ。

 彼女の稼働日は、それこそノキシスの幼児期にまで遡る。

 ノキシスの母代わりでもあり、姉代わりでもある彼女は、長らくノキシスに仕えてきた。


 型は少々古いが、彼女は万能だ。

 家事などの一般的なメイド機能の他に、戦闘機能が備わっている。

 主人の安全第一。彼女は優秀だ。

 時に強制的な手段で主人の身を守る。


 自動人形の思考回路と、生身の人間の価値観が、若干食い違うことはよくある話だ。


「……サミュ」

「はい」


 か細く肩を震わせるノキシスに、サミュエルがジャケットをかける。

 眼鏡を外して両手で顔を覆ったノキシスが、くすん、切なそうな声を絞り出した。


「すまなかった。反省している。鍵には二度といたずらしない。なくさないよう、今後慎重になる。約束する」

「鍵に限定しないで、俺にいたずらしないと約束してくれませんか?」

「ノキおじさんは、いたずらっこという設定なんだ……っ」

「設定!? ノキ、設定ってなに!?」

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