辛辣執事さん
「ノキおじちゃん!」
「おーう。じゃりんこども、元気あるか?」
雑草をむしるノキシスの元に、子どもたちがわらわらと集まる。
タオルに麦わら帽子をかぶった彼が、土のついた軍手でずれる眼鏡を押し上げた。
歓声を上げながら、のしりのしり、ノキシスの背中に子どもたちがのしかかる。
ぐえっ、背の低いノキシスが埋もれた。
「じゃりんこじゃねぇやい!」
「あっちでね、サミュ兄ちゃんみたよー」
「すっごく怒ってた!」
「げげっ、もう気づかれたあるか!?」
しっしと追い払い、背中に残っているひとりの子どもを背負ったまま、ノキシスがそろりとあぜ道に顔を出す。
道の向こうを走る見慣れた馬車の姿に、彼がおろおろとその場をさ迷った。
「や、やべーある! あいつ本気ある!! 仕事したくねーあるー!!」
「あるー!」
特徴的な語尾を真似し、元気のあまった子どもたちがノキシスの腰にしがみつく。
あわわっ、眼鏡をずらした彼が慌てふためいた。
「や、やめるよろし! 逃げられねーある! ……はっ! そ、そうある!!」
きゅぴん、ひらめきに眼鏡をきらめかせたノキシスが、即座に行動する。
間もなくあぜ道に止まった馬車が、御者台からすらりと背の伸びた少年を下ろした。
艶の乗った黒髪と、整った顔立ち。
ぴしりと着こなした執事服は清廉で、あぜ道に降りた革靴はよく磨かれていた。
こほん、少年が咳払いする。
彼の前には、子どもたちが行儀よく、横一列に整列していた。異様な光景である。
「……ノキは?」
少年の短い問いかけに、子どもたちが素知らぬ顔でそっぽを向く。
中にはにししと笑う子もおり、少年はその秀麗な顔をぴくりと動かした。
「教えてくれた子には、ノキの財布で買った菓子をあげます」
「はいはい! サミュ兄ちゃん、ここ!」
「ここ、ここ!!」
「おめーら!! 裏切るの早すぎねーか!?」
一斉に背中でかくまっていたノキシスを差し出し、我先にと手を挙げる。
あまりにも潔い手のひら返しに、こじんまりと丸まっていたノキシスが悔しそうに地面を叩いた。
むんず、彼の首根っこが捕まえられる。
冷淡な顔をした少年、サミュエルが、無言のままずるずると彼を引き摺った。
「協力ありがとう。報酬はまた後日」
「や、やめるある! 離せある!! 苦しっ、ぐええぇぇっ」
「ノキおじちゃん、おかしまたねー!」
ぶうん!! 馬車の中へ放り込まれたノキシスが、頭から床へ突っ込む。
あだっ!? 上がった悲鳴に頓着することなく、サミュエルが扉を閉めた。
鼻をさすったノキシスが窓から顔を出すも、軽やかに御者台へ座った少年は素気ない。
あっさりと車輪が動き出した。
じたばた、ノキシスが暴れる。
「ひとでなしね! これ立派な誘拐よ! つーほーするね、人事に相談ある!!」
「ご存意に」
しれっとした顔のサミュエルが、馬の駆ける速度を上げる。
遠退く景色に、ノキシスが嘆いた。
畑の奥にある小屋から、女性が顔を出す。
彼女の手にはお盆があり、グラスに入ったお茶と茶菓子が載せられていた。
あらら、彼女があぜ道に出る。
「ノキさあーん!! また水ようかん食べにおいで! いつもありがとねー!!」
「わーん!! わたしの水ようかああああん!!!」
「ノキおじちゃん、サミュ兄ちゃん、ばいばーい!!」
総出の見送りと食いっぱぐれた水ようかんに、ノキシスが膝をついた。
サミュエルはノキシスよりも背が高い。
ちっさいおじさんの腕をむんずと掴み、彼がずんずん屋敷へ近づく。
前庭の花壇に水やりをしていたマリアが顔を上げた。
柔らかな金の巻き毛が、ふわりと風に揺れる。
「あら、おかえりなさい。ノキさん、サミュさん」
「ただいま戻りました、マリア」
「マリアー!! いつ見ても美人よー!!」
「ふふっ、ありがとう」
ずるずると引き摺られながら投げキッスを送るノキシスに、マリアが優雅に口許へ手を添える。
サミュエルが掴んだ玄関の取っ手が、大きく開かれた。
よたついたノキシスごと屋敷へ吸い込まれる。
にこにこ微笑む彼女が、それを見送った。
「……なーに、ぶすくれてるあるか? 折角の美人が台無しよ」
「仕事終わらせてから遊びに行けよ」
「わたし領主よ? この土地で一番えらい人よ?」
「仕事しろください」
うへえ、半眼で廊下の天井を見上げていたノキシスが、ひとつの部屋へ突き飛ばされる。
よろよろとたたらを踏んだ仮にも領主に構うことなく、サミュエルが扉を閉めた。
――ノキシスの執務室。
勝手知ったる上司の部屋を、つかつか、よく磨かれた革靴が横断する。
執務机へ近づいたサミュエルが、一枚の書類を摘み上げた。
それを不機嫌な顔のまま、ノキシスのずれた眼鏡へ押しつける。
「……見えねーあるよ、サミュ」
「この収支報告の項目について!」
「まーたそのことで怒ってるあるか?」
げんなりとした顔で眼鏡を外したノキシスが、泥汚れを免れた裾で眼鏡を拭く。
サミュエルはむすりと頬を膨らませており、苛立ったようにノキシスへ書類を突きつけていた。
「交遊費とか、娯楽費とか! なんだよこの金額!!」
丁寧な言葉遣いをかなぐり捨て、サミュエルが不審な項目を読み上げる。
ああ……、目を泳がせたノキシスが、いそいそと眼鏡を装着し直した。
「クラブのおねえちゃんと遊んだお金ね。いやあ、ぼんきゅっぼんの美人だったよ!」
「いつ! どこの!! どの女だ!?」
「お前、わたしのかみさんか? 覚えてねーあるよ」
ますます表情をげんなりさせたノキシスに、サミュエルが足音荒く執務机へ戻る。
少年が手にした『おこづかい帳』に、ちっさいおじさんがさっと顔を青褪めさせた。
「さ、サミュ! やめるある! それ返すね!!」
「この田舎町に『クラブ』なんて上等な施設はありません。そしてこの屋敷の従業員は、私とマリアのみ。そのうち馬車を動かせるのは、私しかいません。おやおや。我が領主は、一体どこのお嬢様と遊ばれたのでしょうね?」
「なーにが『おやおや』あるか! プライバシーの侵害ある! ノート返すね!!」
背伸びをするも、ノキシスはサミュエルより背が低い。
半笑いで雇用主を見下ろした少年が、頭上でおこづかい帳を開いた。
「……やっぱり。橋の修理に、塀の補強。なんでそのまま書かないんですか」
「ノキさん、おねえちゃんいっぱい、うはうはね!!」
おこづかい帳を奪い取り、ふんとノキシスが鼻を鳴らす。
サミュエルへびしりと指を突きつけ、彼が口をへの字に曲げた。
「お前、ぜってー監査に言うんじゃねーぞ!」
「……俺、ノキが不当に評価されるの、いやだ」
「承認欲求こじらせてんじゃねーある。ぼんくらが一等都合がいいよ」
呆れたように顔をしかめたノキシスが、麦わら帽子とずれる眼鏡を外した。
汗で張りついた白い髪を掻き上げ、目頭を揉む。
おっさんくさく「ああー」とため息をついた彼が、薄目を開けた。
ノキシスの外見は大変整っていたが、言動や浮かべられる軽薄な笑顔が、彼をうさんくさく見せていた。
むすり、サミュエルが閉口する。
「ノキ、その眼鏡やめませんか」
「わたしのナイスセンスな眼鏡ちゃんに、ケチつけるあるか!?」
「絶対それ、度、合ってませんよ」
「むきーッ!! ちょっと視力とレンズが仲違いしてるだけよ! すぐまたコンビ結成するね!!」
「……いや、どうだろ、それ」
すでに今日の眼鏡タイムが限界らしいノキシスに、サミュエルがため息をつく。
裸眼のまま、覚束ない足取りで部屋を出て行こうとする彼の後ろを、少年が追った。
「ノキ、どこ行くんです?」
「お風呂ね。猫脚のバスタブにもこもこの泡いっぱいにさせて、うふーんってするよ!」
「三十路童貞が気色の悪いこと言ってんじゃねーよ」
「辛辣ある!! 童貞は否定するよ! ノキさんもてもて、名誉毀損ある!!」
「はっ」
鼻で笑ったサミュエルが、改めるように咳払いする。
完璧な笑顔と所作で、「ご入浴からお戻りになられましたら、書類の修正をお願いいたします」ぺろりと言ってのけた。
ぎょっとノキシスが顔を上げるも、彼の視界は覚束ない。
遠近の掴めないぼやけた空間へ必死に手を伸ばし、若々しいサミュエルの軽やかな動作にもてあそばれた。