船という密室でもめ事は困る2
「誰がワタクシの積荷にイタズラしたざますか!?」
頬のこけた猫背の男が、教鞭をぱしぱし鳴らしながら詰問する。
これまた濃い人だなあ……。サミュエルが遠くを見る眼差しで、男を見詰めた。
広々とした食堂に集められた面々は、一様に困惑した顔をしていた。
唾を飛ばしながら怒鳴る男は、積荷の持ち主であり、エイムズ卿と名乗った。
積荷の下敷きになった男はダグラス卿といい、今も目を覚ます気配がない。
別室で医師が傍についている。
ダグラス卿のひとり娘テレジアは、使用人の青年ユーリとともに、青褪めた顔をしていた。
関係者としてノキシスたちも呼ばれたが、特別提供できる情報もない。
船は大雨に巻き込まれ、荒れる波に船体が揺れる。
薄暗い周囲を、揺らめくランタンの明かりが照らした。
うろたえた様子の船員が、しどろもどろに言葉を吐き出す。
「そ、それが、まだわかっておらず……」
「だったら草の根を掻き分けてでも見つけるざます! ワタクシはオ、キャ、ク、サ、マ、ざます! 夜明けまでに犯人を締め上げられないのなら、貴様たちを大荒れの海に放り込んで、サメのエサにしてやるざます!!」
教鞭を船員の鼻先へ突きつけ、男が尖った眼鏡を光らせる。
ノキシスの目が、俄然輝いた。
恐らく今後の参考にしようとしているのだろう、わくわくした目でエイムズ卿を追っている。
呆れ顔のサミュエルが、ノキシスの脇腹を肘でつついた。
はっとした主人が、素知らぬ顔で眼鏡を押し上げる。
「そんな無茶な!」
「ワタクシはお金を払って乗船しているざます! あの積荷は、商人の魂! ワタクシの命より大切な積荷ざます!! 犯人が見つかり次第、折檻してやるざます!!」
教鞭を両手で掴んでしならせ、エイムズ卿が青筋を立てる。
船内に緊張が走った。各々が互いに顔を見合わせ、相手の様子を窺っている。
――この船の中に、積荷のロープを切った犯人がいる。
それぞれが腹の底で、誰かを疑った。
「……私がやりました」
「ユーリ!?」
使用人の青年ユーリが、背筋を伸ばして前へ出る。
彼の表情は固く強張り、令嬢テレジアが動揺のままに叫んだ。
エイムズ卿の顔が、嫌悪に歪められる。
「キサマ! 使用人の分際で、主人に何てことするざますか!?」
「申し訳ございません」
「何をいっていますの、ユーリ! あなたな訳ありませんわ!!」
「いいえ。ロープを切ったのは、私です。お嬢様」
見本のような角度で頭を下げたユーリに、テレジアが追い縋る。
淡々と罪を告白する青年の胸倉を、逞しい体躯をした船員が掴み上げた。
「てめえ!! この騒ぎ、どう落とし前つけてくれるんだ!?」
「や、やめてくださいまし! ユーリから手を離して!!」
「退くざます、小娘!! とっとと部屋を用意するざます! 折檻の時間ざます!!」
「待ってくださいッ!」
激昂した船員と、目を血走らせたエイムズ卿を、焦った声が止める。
一歩前へ踏み出したサミュエルに、全員の目が向けられた。
びくりと肩を跳ねさせた年若い執事が、けれども言葉を重ねる。
「その人は、違うと思います」
「しゃしゃり出てきて何を抜かしているざますか! こいつが自白したざますよ!?」
「いえっ、ですけど、……ロープの切り口が、妙なんです」
「妙、とは?」
救出作業を手伝った乗客のひとりが、怪訝そうな顔で声をかける。
そちらへ一瞥したサミュエルが、こくりと頷いた。
「何といいますか、上手く切れなかった感じです。ロープにいくつもの切り傷がついていました。結構しっかりした造りだったんで、多分ロープを切った人、力が弱かったんじゃ……」
「私がやりました!!!」
サミュエルの説明を遮り、使用人の青年が大きな声を張り上げる。
先ほどまでの物静かな印象から一転、取り乱した様子で畳み掛けた。
「船が揺れているので、上手く狙いが定まりませんでした! 詮索は無用ッ、私が犯人なのですから!!」
「ひとまず落ち着いてはどうかな? 閉塞された空間で、皆が動揺している」
ぱん、手を叩いたノキシスの仲裁に、はっとした青年が口を噤む。
積荷の持ち主を見遣ったノキシスが、やんわりと言葉を投げかけた。
「期限は夜明けまでだったね。それまで時間をいただけるかな?」
「ふ、ふん! ワタクシは、犯人さえ捕まれば満足ざます!」
猫背を折り曲げ、エイムズ卿が食堂を後にする。
ドスドスとした足音を見送り、ノキシスが船員に声をかけた。
「部屋をひとつ貸していただきたい」
「か、畏まりました……!」
慌てて飛び出した船員を見送る。
肩を落としたサミュエルが、眉尻を下げた。
「すみません、ノキ。俺の方が首を突っ込んでしまいました……」
「きみの正義感は、魅力のひとつだよ」
にこやかな主人の言葉に、サミュエルの表情がほっとする。
対する使用人ユーリは、焦燥に満ちた顔をしていた。
「まずは個別に話を聞こう」
「旦那様は、孤児だった私を拾ってくださり、下男として育ててくださいました」
椅子に座った使用人ユーリが、ぽつりぽつりと口を開く。
俯く彼の表情は暗く、ランタンで照らされた薄暗い部屋のせいか、顔色も青褪めて見えた。
対面に座るノキシスが、ふむと頷く。
脇に控えるサミュエルは、机に広げた用紙にペン先をのせていた。
ぎい、揺れる船体に、筆記する文字が歪む。
「何故、積荷のロープを切ったのだね?」
「ダグラス家を、乗っ取ろうと考えました」
「おや、穏やかではないね」
ぎょっと顔を上げたサミュエルに構うことなく、瞼を固く閉じたユーリが震える唇を動かす。
膝の間で組まれた指が、白く色を失った。
「旦那様には、ひとり娘のテレジア様しかお子はいらっしゃいません。この旅行中におふたりを亡き者にすれば、遺言を操作できるのではないかと計画しました」
「何故、そこまでして?」
「……私は、泥水をすすって生きてきた孤児です。……欲に目がくらみました」
「ふむ、そうか……」
ちらりとノキシスがサミュエルを見遣る。
生い立ちの似ている少年は、非常に落ち込んだ顔をしていた。
ノキシスがユーリへ向き直る。
青年の目は床を向いており、一度も視線が絡むことはなかった。
「犯行手順について、教えてくれないかね?」
「……旦那様とお嬢様が、甲板へ出られると耳にしました。先回りして積荷のロープを切り、疑われないようその場を離れました。その後、騒ぎが起こってから現場へ戻り、……自分の仕出かした事の重大さに、恐れ戦いたのです」
沈黙をはさんだユーリが、掠れた声で「ここに、罪を告白します」呟く。
考え込むように息をついたノキシスが、サミュエルへ視線を向けた。
「サミュ、きみから何か質問はないかね?」
「俺ですか!? ……ええっと、どうして先回りできたんですか? 甲板って、船尾以外にも積荷はあったはずですが……」
ちらと、ユーリの目が向けられる。
再び俯いた彼が、ぼそぼそとした声を発した。
「……お嬢様が、甲板を一周しようとご提案されていらっしゃったので。……もしも失敗に終われば、時期ではないのだと諦めようとしていました」
「他の乗客に被害が及ぶ可能性については?」
「……まさか、ここまで船が揺れるとは思っていなかったので」
それきり、使用人ユーリは黙りこくった。
「確かきみは、ダグラス氏と口論していたね」
マリアが案内した年若い令嬢へ、にこやかにノキシスが話しかける。
固くハンカチを握り締めた彼女、テレジアは、蒼白な顔色で、こくりと頷いた。
「……わたくし、来年16歳……成人しますの」
「おや。サミュと同年だね」
「そうですね」
親近感のわく話題に、サミュエルが書面から顔を上げる。
対するテレジアは俯いており、父譲りの黒髪が横顔を遮った。
「あの時、わたくしは父と、ユーリのことについてもめておりました」
「ユーリさんのこと、ですか」
こくり、頷いた細い首が持ち上げられる。
瞳を潤めた彼女が、膝にのるドレスをきゅっと握り締めた。
「わたくし、ユーリと将来を約束しておりますの」
「えっ、でも、ユーリさんって……」
きっぱりと放たれた言葉に、サミュエルが動揺する。
再び俯いた令嬢は、沈んだ声をしていた。
「ええ。彼は使用人で、わたくしは貴族。父は許してくださいませんでした。それどころか、ユーリを他所の家へやろうとしましたの!!」
激情に駆られた声が大きくなり、しかし即座にしぼむ。
テレジアは両手で顔を覆った。
「わたくし、耐えられませんでした。何故彼をわたくしから遠ざけるのか、あの場で父を問い詰めたのです。父は宥めすかすばかりで、わたくしの話を聞いてくださいませんでした。それで、わたくしカッとなって……ッ」
「口論に発展したんですね……」
「積荷のロープを、切ったのです」
「はい?」
痛ましい表情で相槌を打っていたサミュエルが、間の抜けた声を発して固まる。
勢いよく顔を上げたテレジアは立ち上がり、テーブルに手をつき身を乗り出した。
「ロープを切ったのは、わたくしです! 彼では、ユーリではありません!!」
「えええええっ」
まさかのふたりめの自白に、困惑に満ちた顔でサミュエルが狼狽する。
少年がノキシスへ視線を向けた。
じっと令嬢の話を聞いていた彼が、おっとりとした顔で微笑む。
「なるほど、わかったよ。話してくれてありがとう」




