通り魔は干したてのシャツを狙う
剣呑な空気や冷たい視線など感じていないかのように、領主が町を歩く。
荒み切った田舎町は寒々しい気候と相俟って、余計に寂れた印象を与えた。
10歳の少年サミュエルが、敵意のこもった目で領主の背中を睨みつける。
流行り病に伏した母親の治療費と引き換えに、少年は悪名高い領主の元で働かなければならない。
このまま逃げ出してしまおうかと、何度も脳裏が囁く。
その度に莫大な治療費の存在を思い出し、少年は頭を振った。
領主ノキシスの隣には、金の巻き毛のメイドがいる。
無表情の彼女は伏し目がちで、静々歩いていた。
――あの女の人も、嫌々働かされているのか?
少年サミュエルがメイドの背中を見詰め、そして領主を睨みつける。
――とっとと借金を返して、さっさとこんな奴のとこから出てってやる!
借金を踏み倒そうとしない辺り、サミュエルは真面目だった。
「ゲーテさん、聞いておくれよ! また今日もやられたんだよ!!」
不意に聞こえた女性の大声に、領主の脚が止まる。
声の発生源は、一軒のパブリック・ハウスからだった。
――エリアスの家だ。
サミュエルが友人の名前を思い浮かべる。
この貧しい田舎町で、パブを営む家は豊かな部類にあった。
パブの店主ゲーテはこの田舎町のまとめ役であり、前任の領主や新任の領主よりも、人々の信頼を勝ち得ていた。
エプロン姿の女性が、店主と思わしき男性を連れ出す。
彼等が領主の姿に気づき、ぎょっと立ち竦んだ。慌てた仕草で地に膝をつく。
「た、大変失礼いたしました、領主様……ッ」
地面に額がつきそうなほど頭を垂れるふたりに、ノキシスが鼻を鳴らす。
代々横暴な領主が治めるこの地は、根深いほど恐怖心が植わっていた。
「頭上げるよろし。それより、なんの騒ぎある?」
うさんくさい口調と、腕を組むぞんざいな仕草。
蹴ってやろうかとサミュエルが苛つく。
蒼白な顔を上げたパブの店主、ゲーテが、言いよどむように言葉を濁らせた。
「い、いえ、領主様のお手を煩わせるようなことでは……」
「今、手を煩わせてるある。さっさというよろし」
「お前な!!」
「やめなさい、サミュ!!」
必死の形相でゲーテに止められ、サミュエルが悪態を飲み込む。
渋々、まとめ役が口を開いた。
「その……通り魔が出るのです」
案内された民家は、森のすぐ傍にあった。
何棟か並ぶ木組みの家はモノトーンでまとめられ、寒空の下、重たい印象を与えている。
領主の到来にぎょっとした領民たちが、そそくさと家へ引きこもる。
周囲から人々の姿がなくなり、一層の寂しい景色が完成した。
数枚の濡れた服を差し出すゲーテに、領主ノキシスが怪訝そうな顔をする。
「……なんあるか、これ」
「これが、通り魔にあったものです」
「…………」
なおも差し出すゲーテから一枚受け取り、ノキシスが服を広げる。
麻製のシャツだった。
ほつれなどを丁寧に繕われたシャツは、背中に大きな穴を空けていた。
穴はぼろぼろと不揃いな断面を残し、ファッションにしては前衛的すぎる。
率直に表現すれば、無残な姿をさらしていた。
「……なんあるか、この穴」
「それが、通り魔にやられたものです」
「…………」
ちらり、ノキシスがゲーテを見遣る。
澄ました顔のまとめ役は読めない表情をしており、領主はため息をついた。
怯えたように肩を震わせた被害者の女性が、恐る恐る顔を上げる。
「そ、その、……この頃、洗濯物を干していると、こうして穴を空けられるんです……」
「洗濯物」
「あっあたしんとこ以外にも! 通り魔が出ていて……!」
「どうもこの近隣の家々を狙った犯行のようです。どの家も、洗濯物しか狙われていません」
「ほーん」
誰かが洗濯物に大穴を空けていく。
それも一度や二度ではない通り魔に、彼女たちは苛立ちと不気味さを抱えていた。
ずれる眼鏡を押し上げ、ノキシスが穴の空いたシャツを表へ裏へ返す。
徐にゲーテへシャツを押し付けた領主が、眼鏡を外してハンカチでレンズを拭った。
「洗濯物を干していた位置は?」
「聞くんだ!?」
「領主として、仕事しているだけだよ」
一蹴するとばかり思っていたサミュエルが、困惑の声を上げる。
女性もおどおどとした顔をしており、窺うように証言した。
「う、裏手です。家の中だけじゃ、干し切れなくって……」
「ああ、なるほど。ロープで吊っているのだね」
眼鏡をかけ直した領主が家の裏を覗き込み、ふむと納得する。
家の裏手に立てられた二本の棒の間で、一本のロープが風に揺れていた。
これまでのうさんくささは何だったのか、ノキシスがおっとりと微笑む。
「リスだね」
「は?」
「巣材を探していたのだろう。ウサギと迷ったが、ウサギでは高さを登れないからね」
にこにこする領主に反して、一同が間の抜けた顔をする。
――リス? この連続洗濯物ボロボロ事件の犯人が、リス!?
「……リス、ですか」
「この寒さを思えば、巣作りも終盤だろう。もうじき通り魔は訪れなくなるよ」
「……リス」
女性とゲーテとサミュエルが、まじまじとシャツに空いた穴を見下ろす。
ぎざぎざとほつれた断面は、確かにハサミで作ったにしては、鋭利さに足りていなかった。
――そっか、かじられたんだ。誰ともなく腑に落ちる。
「……いや、ネズミかな? 巣穴を見つけられれば確実なんだが、如何せん探す場所が広すぎるな……」
「いえ。詳細な犯人の特定は、なさらなくて構いません」
「そうかね? ……あっ」
ゲーテの断りに残念そうな顔をしたノキシスが、はっと何かに気づく。
こほんとわざとらしく咳払いし、「ある」忘れていた語尾を無理矢理つけた。
「マリア! ちびすけ! 帰るある!!」
「似非じゃん! その語尾完全に似非じゃん!!」
「うっせーある! こっちが素よ! 似非とかいうんじゃねーある!!」
「キャラ設定ブレブレじゃん!!」
足音荒く元来た道を引き返すノキシスを、サミュエルが追いかける。
ゲーテと女性へ会釈したマリアが、静々その後ろを辿った。
彼女の顔は、にこにこしていた。
「……どうやら今度の領主様は、少々癖のあるお方のようだ」
「きれいなお顔だったねぇ……」
残されたゲーテと女性が、ぽつりと感想を零す。
後日、予告どおり通り魔は訪れなくなり、代わりに白く重たい雪が降り積もった。